黒鍵ペンタトニック 「肩たたき」(中山晋平)
「肩たたき」(中山晋平)
さて中山晋平と子ども達との関りはとても深いものでした。晋平は高等小学校を卒業すると18歳で上京するまでの約2年間、尋常小学校の代用教員を務めます。
晋平の教授法はユニークだった。≪鉄道唱歌≫を教えるとき、生徒にオルガンの周りにエンジンを作らせた。子供達に、ぐるぐると回りながら、リズムをとりながら歌わせた。(菊地清磨著「中山晋平伝」34頁)
上京してから晋平は、作家・島村抱月の書生と東京音楽学校の学生との二足の草鞋を履きましたが、卒業後も抱月主宰の劇団「芸術座」の座付き作曲家と浅草・千束尋常小学校での音楽専科の教員との二重生活を送ります。抱月の死去後、1919年に「芸術座」が解散。晋平は生活の糧となる車輪の片輪を失います。
ですが、時は童謡運動の隆興期を迎え、小学校教員の晋平にも光明が差します。1921年、雑誌「少女の友」での「てるてる坊主」の発表を皮切りに童謡の作曲に本格的に進出し、多くのヒット曲を残します。
今回取り上げるのは1923年に雑誌「幼年の友」で発表した「肩たたき」。この曲は晋平が得意とした四七抜き長音階で作られています。子供の日常生活に見事にフィットしたリズムも絶妙です。
1930年(昭和5年)平井英子の歌唱による録音です。