今月の一冊 大石始著『ニッポン大音頭時代』
大石始著/河出書房社/ISBN(13)978-4309276137
すっかり日本の伝統とばかり思いこんでいた音頭。でも実は比較的最近になって成立したことをこの本で知りました。前回のエントリーと同様、こうした思い込みは身の回りの日常に結構あるのかもしれません。
その成立から現在に至るまでの音頭の変遷を辿ったこの本、大変興味深く読みました。そして音頭は国内にとどまらず、日系人社会を中心に国際的にも広まっていることを知り驚きました。音楽文化の伝播の強靭さ・奥深さを改めて思い知らされました。
録音で「やったつもり」練習にならないように
私は普段、必要最低限しか鏡は見ません。セルフポートレイトも苦手で、古くはプリクラ、現在ではスマホの自撮りはほとんどやったことがありません。それどころか写真そのものが苦手で、いまだに撮影されると魂が抜かれるという幕末・明治の迷信を信じているのかも…
でも音楽については別で、ここ数年、練習時、自分の演奏を出来る限りハンディレコーダーを使って録音するようにしています。それも譜読みも済んで、ある程度弾けるようになってからではなく、場合によっては片手ずつで練習する時さえ録音することもあります。そんなに自分の演奏が好きなのか?そうではなく、自分の演奏をできるだけ客観的に聴きたいと思っているからです。
演奏をしながらだと実は自分の発生音は思った以上に聴けていません。自身では強弱の差をはっきりつけて演奏したつもりでも、実際は大して差がつかないことがあります。つまり「やったつもり」で思いこんで練習を進めてしまうことがままあるのです。特に疲れているときは要注意で、酷い場合は音も聴かずただ指だけを動かす事態にも…
ですから録音なのです。録音したものをプレイバックすれば、多少は、冷静かつ客観的に己の演奏を聴けます。録音という一工程が加わることで、確かに練習が面倒にはなります。ですが、そこは「急がば回れ」の精神です。結果的には仕上げまでの時間がかなり短縮されるようです。ただ心がけていても、すぐ楽な「やったつもり」練習に戻ってしまうのです。でもまあ、根を詰めすぎても苦しくなるだけなので、気長に取り組んでいこうと思います。
黒鍵ペンタトニック [三朝小唄」(中山晋平)
「三朝小唄」(中山晋平)
中山晋平の創作ジャンル、これまで「流行歌」「童謡」と見てきましたが、三本柱の最後、「新民謡」について、今回から見ていきたいと思います。
明治以降、西洋化を進めた日本の社会ですが、1923年(大正12年)の関東大震災で転機を迎えます。昭和初期にかけて、復古的な文化運動が起こるのです。例えば美術では、1926年(大正15年)に「民藝運動」が始まります。ほぼ時を同じく、音楽では「新民謡運動」がスタートするのです。中山晋平はその運動の中心人物といえました。「新民謡」とはいえ実際は、民謡風の新曲です。いかにも古くからありそうな「ちゃっきり節」(町田嘉章作曲)などが新民謡の典型で、実はこの曲、静岡鉄道のCMの為に作られた新曲なのです。新民謡は地域振興や観光宣伝のためのご当地ソングでもあったのです。
和洋折衷の作曲が得意な晋平には、新作民謡はお手の物、多くの曲をヒットさせます。今回紹介する「三朝小唄」もそんな曲です。1925年(大正14年)、鳥取の三朝温泉に、詩人の野口雨情と旅行をした晋平。旅の宴の余興で、その場で雨情が詩を書き、晋平が曲をつけました。翌々年、それを改作して正式に発表し、ヒット曲になります。1929年(昭和4年)には同名の無声映画も制作、三朝温泉の知名度が全国的になりました。
なおこの曲も、二六抜き短音階をベースに曲が作られています。1か所を除いて黒鍵で演奏することが出来ます。
ぷりま音楽歳時記 2-14. ホ短調
今月の一冊 小沼純一著『ミニマル・ミュージック』
小沼純一著/青土社/ISBN(13)978-4791755783
前回のエントリーで触れたミニマル・ミュージックにハマりだした頃に、ガイド本として大変お世話になりました。
テリー・ライリーの他、スティーブ・ライヒ、ラ・モンテ・ヤング、フィリップ・グラスの4人の作曲家がやはり私にとってミニマル四天王です。そして4人とも米寿近くの高齢にもかかわらずみな健在で、ミニマルはもしかしたらご長寿音楽かもしれないと思う今日この頃です。
ミニマルは、久石譲氏にも多大な影響を与えています。宮崎駿のジブリ作品(特に初期)や北野武映画の音楽ではかなりミニマル的な手法を用いているので、久石譲作品がお好きな方は、ミニマルを聴くのに挑戦してもよいかもしれません。
災い転じて福となす~テリー・ライリーの日本移住
私は学生時代にミニマルミュージック(以下ミニマルと略)という現代音楽が好きになり、すっかりハマっている時がありました。ミニマルはクラシック音楽から派生した音楽ですが、いわゆる前衛的な音楽に比べると、ポップで聴きやすい面もあり、テクノやロックなどのポピュラー音楽との相互交流もその特徴と言えます。ある一定の音素材を重ねたり、ずらしたり、「音楽の万華鏡」という例えが、私にはしっくりきます。
そのミニマルの雄にテリー・ライリーという作曲家がいます。アメリカ出身で現在、88歳。なぜか、今、日本・山梨に住んでいるのです。移住の経緯が大変興味深く、ライリー氏は自身が参加する予定の「さどの島銀河芸術祭」の視察のために、2020年2月に来日。ところがそこで新型コロナウイルスが世界的流行となります。特にアメリカの状況は酷かったので、ライリー氏は帰国せずそのまま日本に滞在。滞在中にすっかり日本を気に入ってしまい、アーティストビザまで獲得し、今や日本を音楽活動の拠点としています。こんなレジェンドが日本を拠点に活動するなんて、驚きと共に強い喜びを感じます。
つい「コロナさなければ…」とついネガディブに考えがちな中で、この話題で私は気持ちがとてもポジティブになりました。そしてこのエピソードこそ「災い転じて福となす」好例ともいえ、大変勇気づけられました。最後にインタビューよりライリー氏の言葉を引用します。
「85歳にして人生の新たな章が始まるとは想像もしていませんでしたが、私の仕事や人生観全般において、もっとも活力に満ち、最も刺激的な時期の一つになっています。」
2023年10月13日 京都・東本願寺の能舞台でのLIVEのダイジェスト映像
黒鍵ペンタトニック 「あめふり」(中山晋平)
「あめふり」(中山晋平)
昭和初期の童謡運動では「赤い鳥」や「金の星」等の児童雑誌がその中心を担いました。楽譜が雑誌に掲載されることで、多くの人に曲が知られていったのです。同様に大きな影響力を持ったのがレコードです。昭和初頭に、コロムビアやビクターなど外資大手が日本に本格参入すると、レコード業界は急成長。重要なメディアとなり、童謡ブームを下支えしました。
なおコロムビアは「七つの子」等で有名な本居長世と、一方ビクターは中山晋平と専属作曲家契約を締結します。レコード会社と作曲家の間で専属契約する仕組みは、戦後暫くまで残存し、歌謡界の骨子ともなったのです。
中山晋平の場合、レコードの吹込みには、歌姫・佐藤千夜子はもちろん、童謡歌手・平井英子が常連となります。晋平と共に平井英子も、歌手として日本ビクターの設立と同時に専属契約を結びます。その時、わずか10歳、まさに子役スターとして数多くの童謡を録音します。(大変なご長寿で2021年、103歳でご逝去されます。)
前回紹介した「肩たたき」同様、今回も平井英子によって吹き込まれた「あめふり」を紹介します。なおこの曲も黒鍵だけで弾ける四七抜き長音階で作られています。
1931年(昭和6年)平井英子の歌唱による録音。
ぷりま音楽歳時記 2-13. イ短調
今月の一冊 山下洋輔著『新編 風雲ジャズ帖』
山下洋輔著/平凡社/ISBN(13)978-4582765021
山下洋輔トリオでの公演旅行記を収録したのがこの本。前回のエントリーで触れた乱入ライブについても、もちろん触れられています。
山下トリオ(初代)の最大の功績は、ツアー先の福岡で素人時代のタモリを発掘し上京させたことだと勝手ながら思っています。もちろんそのタモリとの出会いのエピソードも書き記されています。
抱腹絶倒のエピソードが満載な一方、さりげなく真面目な「ブルーノート研究」も収められて、大変読み応えがあります。
半世紀以上の時を越え「山下洋輔トリオ再乱入ライブ」
コロナでなかなか外出することが出来ず、家にいる時間が長くなった時期を境に、インターネット経由で配信ライブを購入して楽しむようになりました。コロナ禍以降、配信ライブは、ウォーキングと同様、私の生活習慣に新たに加わり、すっかり定着してしまいました。
その中で特に印象に残ったのが、およそ2年前に開催された「山下洋輔トリオ・再乱入ライブ」です。これは元々1969年に早稲田大学4号館で行われたのものの再演!?となります。
ジャズピアニスト・山下洋輔を当時、取材してテレビドキュメンタリーを制作していたのが田原総一朗。「ピアノを弾きながら死ねたらいい」という山下の発言を受けて田原が準備した舞台が学生運動真っ只中の早稲田大学の構内。黒ヘル「反戦連合」が、大隈講堂のピアノを担ぎ出し、対立する「民青」が占拠する4号館地下ホールに運搬しコンサートを強行開催したらどうなるだろう?拠点を奪われた「民青」、ピアノを盗まれた大学等、きっと黙っていられず暴動となるはずだ。そして火炎瓶とゲバ棒が飛び交う中、暴動に巻き込まれた山下はピアノを弾きながら死んでいくだろう。田原はそう目論み、山下もその依頼を受諾します。
コンサート当日、やはり対立するセクト同士が集結し一発触発状態に。にもかかわらず暴動は起こらず、会場全体で静かに演奏を聴いてしまい、山下洋輔トリオは無事に完奏。田原の計画はものの見事にとん挫するのです。それから半世紀以上経ってから、当時と同じ演奏者で同じ早稲田大学で行われたのがこの「再乱入ライブ」なのです。
敵対関係であっても、一時的とはいえ、その関係を忘れさせてしまう音楽の力は偉大です。加えて熱量の高い山下洋輔トリオの演奏に圧倒されました。年輪を重ねても、精進を怠らなければ、更なる高みにたどり着くことも学びました。
黒鍵ペンタトニック 「肩たたき」(中山晋平)
「肩たたき」(中山晋平)
さて中山晋平と子ども達との関りはとても深いものでした。晋平は高等小学校を卒業すると18歳で上京するまでの約2年間、尋常小学校の代用教員を務めます。
晋平の教授法はユニークだった。≪鉄道唱歌≫を教えるとき、生徒にオルガンの周りにエンジンを作らせた。子供達に、ぐるぐると回りながら、リズムをとりながら歌わせた。(菊地清磨著「中山晋平伝」34頁)
上京してから晋平は、作家・島村抱月の書生と東京音楽学校の学生との二足の草鞋を履きましたが、卒業後も抱月主宰の劇団「芸術座」の座付き作曲家と浅草・千束尋常小学校での音楽専科の教員との二重生活を送ります。抱月の死去後、1919年に「芸術座」が解散。晋平は生活の糧となる車輪の片輪を失います。
ですが、時は童謡運動の隆興期を迎え、小学校教員の晋平にも光明が差します。1921年、雑誌「少女の友」での「てるてる坊主」の発表を皮切りに童謡の作曲に本格的に進出し、多くのヒット曲を残します。
今回取り上げるのは1923年に雑誌「幼年の友」で発表した「肩たたき」。この曲は晋平が得意とした四七抜き長音階で作られています。子供の日常生活に見事にフィットしたリズムも絶妙です。
1930年(昭和5年)平井英子の歌唱による録音です。
ぷりま音楽歳時記 2-12.へ長調
<ヘ長調>
ヘ長調は♭が1つ。マッテゾン曰く「寛容さ、忠実さ、愛」。特に管楽器であるホルンが得意とする調で、のどかで牧歌的な曲に用いられることが多い印象です。
<ヘ長調の曲>
交響曲第6番「田園」第1楽章(ベートーヴェン)
弦楽器・木管楽器とホルンで演奏されるこの曲。ホルンが角笛のように響き、のどかな田園風景が醸しだされます。今回は、カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏で、1967年撮影の動画を紹介します。やや前衛的なカメラ編集の映像が時代を感じさせます。
今月の一冊(本)映画『愛情物語』(1956年)
今回紹介するのは本ではなく映画です。1956年のアメリカ映画『愛情物語』をお勧めします。実在のピアニスト、エディ・デューチンの生涯を描いた物語。カーメン・キャバレロのアレンジによるショパンのノクターン第2番が劇中に用いられ、この曲は一躍人気曲になります。
私にはややロマンティック過ぎる気もしますが、まあそれもたまにはいいでしょう。
※最近は、古いアメリカ映画を観ることが多くなりました。今の殺伐とした世情の中、観るだけで心が洗われる思いになります。
フィジカルもメンタルもセルフケアが欠かせません
相変わらずウォーキングは継続しています。そして歩き方を見直してから、腰痛はかなり軽減しました。ですがあちら立てればこちら立たずで、しばらくは足裏が妙に痛むようになりました。きっと若い頃なら寝るだけで回復していた疲れも、今ではそうもいかなくなったようです。
そこで夜、寝る前に足裏のマッサージを始めました。ツボ押し棒を使ってしっかり押し込むと効果があったようで、1週間程度で足裏の痛みがおさまりました。すっかり足裏揉みは就寝前のルーティンとなり、日々のウォーキングも快適になってきました。つくづく身体のセルフケアの大切さを身に染みる今日この頃です。
これは何もフィジカル面に限らず、メンタル面でも同様、セルフケアは欠かせません。コロナ禍以降、特に社会情勢はかつてないほど荒んでいるように感じます。どことなく不安な気持ちに苛まれやすいとも言えます。そこで音楽の力が有益なのは言うまでもありません。
もちろんコンサートへ出かけたり、部屋でイヤホン越し音楽を聴くだけでもある程度はリフレッシュできるでしょう。でもそれだけでは受け身で、どこか他人まかせになってしまっているとも言えます。
自らが演奏し、その響きを自ら浴び、気分一新!そのように能動的に自身のメンタルケアが出来れば理想的だと思います。そのためには自分自身が気持ちよく感じる音色で楽器を響かせることを最優先にしたいものです。それは「楽譜通りに間違えずに弾く」や「技術的に上達する」以上に大切なことだと思います。
黒鍵ペンタトニック 「鉾をおさめて」(中山晋平)
「鉾をおさめて」(中山晋平)
「東京行進曲」をはじめ、中山晋平のヒットした流行歌の多くは四七抜き音階でも短音階を使ったものが主流となります。代表曲「船頭小唄」や「波浮の港」も四七抜き短音階で作られています。
さて四七抜き短音階とは?白鍵の音だけで示せるイ調の短音階で見てみます。音階の4,7番目の音を抜くと「ラシドミファラ」との5音階になります。この音階での有名曲を上げると、「さくらさくら」「美しき天然」など、音階中の半音「ミファ」「シド」の音程が何とも言えない哀愁を漂わせるように思います。晋平が得意とした四七抜き短音階による曲作りは、古賀政男に引き継がれ「人生劇場」「悲しい酒」等々、いわゆる演歌の基礎となります。不思議なもので前世代の晋平の曲の方がモダンに聴こえ、後世の古賀の曲の方が復古調に聴こえてしまいます。
これはどうも歌唱法にも原因があると思います。晋平の曲をレコードに吹き込む常連歌手、佐藤千夜子は東京音楽学校声楽科出身、西洋式の発声法で歌うためモダンに聴こえるのかもしれません。今回紹介するのは、その男性版、オペラ、藤原歌劇団の創設者、藤原義江が歌唱する晋平作曲の「鉾をおさめて」(1928年)です。なおこの曲は全編、四七抜き長音階で出来ているので、黒鍵だけで弾けます。
ぷりま音楽歳時記 2-11.変ロ長調
今月の一冊 柳瀬博一著『国道16号線』
電気を必要としないアコースティック楽器のよいところ
ここ最近、お隣の千葉県沖で地震が多いのが気になるところです。万が一の非常事態になっても心配ないように、私も簡易な太陽光パネルとポータブル電源を準備しています。やはり日常生活に電気は欠かせません。
さてふと思い出したのが、数年前の出来事です。教室のビルの地下にある電源装置が浸水したため、ビル全体が停電してしまいました。復旧まで丸一日近く電気が使えなくなってしまったのです。もちろん困るには困ったのですが、レッスンは通常通り行えました。そう、我が教室でレッスンする楽器は全て、電気を必要としないアコースティック楽器のみだからです。ポータブル充電器等を使って譜面を照らす灯りを何とか準備するだけで、ほぼいつも通りにレッスンすることが出来ました。
アコースティックは平時、エレクトロニックに比べると面倒で手間がかかります。ですが、停電等の非常時にはそれが一転。電気を要するエレクトロニックの機器は全く使い物にならなくなるのに対して、アコースティックの楽器は泰然自若としたもの、実に頼もしい限りでした。住宅事情等で、普段は電子ピアノで練習する方も多いと思いますが、レッスンではどうぞ、グランドピアノのアコースティックな頼もしさを堪能していただければと思います。
そうそうアコースティック・ピアノは湿度管理が上手だとその状態を保てます。乾燥には加湿器、湿度が高ければ除湿器があれば理想的です。すると悲しいかな、それにはやはり電気が欠かせません。
教室で使っている加湿器です♪
黒鍵ペンタトニック 「紅屋の娘」(中山晋平)
「紅屋の娘」(中山晋平)
中山晋平が作曲家のキャリアを劇中歌の作曲でスタートしたのは、「ゴンドラの唄」を紹介した時に述べた通りです。
昭和になり、新メディアである映画の誕生以降、晋平についてまわるのが映画での「劇中歌」です。1928年、アメリカの無声映画「マノンレスコオ」に日本独自の主題歌「マノンレスコオの唄」を晋平が作曲してヒット。以降、国内制作の映画でも主題歌を作るのが習慣化します。その最初が映画「東京行進曲」(1929年)で主題歌を晋平が作曲します。映画公開に先立ちレコードを販売したところ、25万枚の売上げを越える大ヒットとなります。映画とタイアップした晋平作曲の主題歌は「愛して頂戴」「唐人お吉の歌」「アラその瞬間よ」「この太陽」等々次々とヒットしていきます。(ただしこれらのヒット曲はみな四七抜き短音階で作られているので、残念ながら黒鍵だけでメロディを弾くことはできません。)
今回は晋平最大のヒット曲「東京行進曲」のカップリングのB面、「紅屋の娘」を紹介します。この曲は四七長音階で出来ているので、黒鍵だけで演奏できます。なおこの曲のレコードでピアノ伴奏を務めるのは作曲家である晋平自身です。
ぷりま音楽歳時記 2-10.変ホ長調
今月の一冊 岡野弁著『メッテル先生』
日本の音楽に貢献したウクライナ人音楽家「メッテル先生」
以下2022年7月号の「おたより」から転載です。
大体、戦争なんてごく一部の権力者や戦争で利潤を獲得する死の商人他除くと誰の得にもなりはしない。何よりそれに巻き込まれる市井の人々は本当に悲惨の一語に尽きます。ただでさえコロナで面倒だったのに、どうしてさらなる厄介が生じてしまうのか?このような人の業の深さは歴史を知ることで、その一端は学べるでしょう。ですが、今からウクライナやロシアの歴史を一から学ぼうにもとても追いつきそうもありません。やはり私には音楽がとっつきやすく、そこでたどり着いたのが「メッテル先生」です。
「メッテル先生」、本名エマヌエル・レ・メッテル。大正末期にハルピンから神戸へとやってきた指揮者です。私はずっとロシア人とばかり勘違いしていたのですが、正確にはユダヤ系の亡命ウクライナ人だったのです。メッテル先生が関西音楽界に与えた影響は絶大で、クラシックでは大阪フィルを率いた指揮者、朝比奈隆を指導育成します。ポピュラーでは服部良一にリムスキー=コルサコフ直伝の和声法等の音楽理論を伝授したことでも知られています。
ロシア革命を機に亡命せざるをえなかったメッテル先生の事情をノンフィクションで知り、現在の戦争にもどこか深くで通底していることを感じ大変心が痛みました。とにかく今は一日も早い終戦を願うばかりです。異国の小市民に過ぎない私にできることは些細な事に過ぎません。それは仮に扇情的に戦争を煽られても、それには乗らず自身のメンタルを平静に保つことです。そのためにも音楽を聴き、自身でも演奏するのです。それはごく小さなことではありますが、平和への貢献の一端を担うと考えています。
黒鍵ペンタトニック 「証城寺の狸囃子」(中山晋平)
今エントリーからしばらく中山晋平を特集します。
中山晋平の曲は、大きく3分類できると思います。第1が「流行歌」、第2が「新作民謡」、そして第3が「童謡」。この分類毎に数曲ずつ眺めていきたいと思います。まず今回はそのイントロダクションです。
今回取り上げる「証城寺の狸囃子」はやはり中山晋平の代表作だと強く思うのです。この曲は前述の3分類の要素を全て含むからです。一応この曲は「童謡」とされますが、「新作民謡」の要素も含みます。そして何といっても強力な「流行歌」でもあります。近年でも2021年放送のNHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」でこの曲が使用され、大正末期の曲が時代を超え、令和の現在にも通用。改めてこの曲が骨太なポップソングであることを思い知らされました。
なおこの曲は何かと英語と縁の深い曲でもあります。1946年、ラジオ「カムカム英語」の主題歌に用いられたことはもちろん、1951年には、日本にジャズブームの火をつけたジーン・クルーパ・ジャズトリオがこの曲を録音します。さらに1955年にはアーサー・キットが英語詞で歌唱しています。
なお、この曲は1か所を除いて、四七抜き長音階で作られていて「晋平節」そのものといえます。
ぷりま音楽歳時記 2-9.変イ長調
今月の一冊 近藤憲一著『1日1曲365日のクラシック』
ベランダ菜園と「おすそわけ」と音楽
教室でベランダ菜園を始めてもう6年以上。元々は猛暑に備えてグリーンカーテンを作るためにゴーヤ栽培をはじめたのをきっかけで、今や通年で何かしら栽培するまでになりました。
菜園を始めて実感するのは、こちらの思う通りに野菜が育たない事です。スーパーの商品のようにはそろわず、曲がったり、大きさもまばらな野菜が育ちます。しかも旬になると収穫が集中。生鮮食品なので保存にも限界があり、自分だけではとても食べきれません。見た目は悪くとも大切に育てた野菜、捨てるに忍びなく、周囲へ「おすそわけ」したくなるのです。
この「おすそわけ」ってとても面白くて人と人との関係の潤滑油にもなったりします。もしこれが保存や貯蔵が可能であればそんな気も起きないかもしれません。期限のある生鮮野菜だからこそ、「おすそわけ」のこころが生じるのだと思います。
音楽もこうした生鮮野菜に相通じるところがあると思います。今や音楽も録音で保存可能ですが、本質的には一度音を鳴らせば消えてしまう、やはり限りあるものです。
自身だけで音楽を奏で楽しむのも面白い。けれども、それをさらに皆で共有し「おすそわけ」するのも楽しい。それが発表会など、人前で演奏する面白さだと思います。
もちろん当教室の発表会はプロの品評会ではありません。たとえ傷があっても、粒がそろわなくても、一人一人が大切に育んできた音楽を共有して楽しんでいく機会にしたいと思います。
黒鍵ペンタトニック 「男はつらいよ<映画主題歌>」(渥美清)
昭和のノベルティソングを特集してきましたが、今回で一段落です。特集のトリを飾るのに相応しいのが映画「男はつらいよ」の主題歌を除いて他はありません。
「男はつらいよ」は1969年に制作がスタート。1995年までに48作、主演の渥美清がなくなって以降さらに3作も制作された、他に例を見ない多作の映画シリーズです。お盆と年末年始、年2回公開されることが多く、まさに昭和の日本の風物詩ともいえる映画でした。
この主題歌、実は映画シリーズに先立って制作されたテレビドラマ(1968年)から使用されています。作詞は演歌界の大御所、星野哲郎氏です。星野氏は「急いで書いてくれ、といわれドラマの粗筋を基に、4,5日で書いた。当時はファックスもないから速達で送った。」と練る間もない仕事だったと振りかえっています。作曲した山本直純氏について、星野氏は「やさしいメロディーで、クラシックの人がうまく演歌を書いたって思いました。」と称賛しています。
まさにこの曲はソフトな演歌。四七抜き音階のペンタトニック(5音階)に「ピョンコ節」の付点のリズムは、明治・大正の唱歌・童謡にも相通じるように思います。