ぷりま音楽歳時記 3-13. イ短調
<イ短調>

イ短調は調号なし。マッテゾン曰く「むしろ沈痛で、辛抱強い。」とりわけ明るい♯3つのイ長調が同主調だけあって、イ短調による闇はより深く感じられます。
<イ短調の曲>
この交響曲第6番は、「悲劇的」という副題で呼ばれます(マーラーが名付けたかは不明)。「沈痛、辛抱強い」イ短調が3楽章以外で用いられています。今回紹介するのは、バーンスタイン指揮、ウィーン・フィル・ハーモニーによる1976年のライブ映像です。
<イ短調>

イ短調は調号なし。マッテゾン曰く「むしろ沈痛で、辛抱強い。」とりわけ明るい♯3つのイ長調が同主調だけあって、イ短調による闇はより深く感じられます。
<イ短調の曲>
この交響曲第6番は、「悲劇的」という副題で呼ばれます(マーラーが名付けたかは不明)。「沈痛、辛抱強い」イ短調が3楽章以外で用いられています。今回紹介するのは、バーンスタイン指揮、ウィーン・フィル・ハーモニーによる1976年のライブ映像です。
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前回のエントリーで、音楽書の読み直しについて触れましたが、私がその第1弾に選んだのがこの本。2004年度の東大教養学部のジャズ講義の前期分をまとめたものです。ジャズの門外漢である私にとっては、書内で紹介される音楽はあまり耳なじみしないものばかりです。初読時は、字面だけの浅い理解でしたが、音楽を聴きながら、あらためて読み直したら少し理解が深まったような気がします。
「12平均律→バークリー・メソッド→MIDI」という音楽的な経緯はクラシック音楽にも相通ずるように思います。
最近、これまで読んできた音楽書を再読しはじめました。当たり前のことですが、音楽書は書物であって音楽そのものではありません。音楽について言葉で説明を尽くしてあっても、音楽書から直接、音楽が流れてくるわけではありません。
書内で参考資料として楽譜の一部やCDなどの音源の紹介がされることはあります。ただしインターネット以前は、それらの紹介されたものにアクセスするのもそう楽ではありませんでした。CDやレコードを収集するにも結構な財力や労力が要り、以前読んだ時は、実際の音楽を聴ききれないこともままありました。なので聴いたこともない音楽を言葉だけで理解したつもりになるケースも多々あったのです。
ところが、今はインターネットを介し、動画サイトや音楽配信サービスで気軽に紹介された音源にアクセスしやすくなりました。実際に音楽を聴ければ、音楽書での言葉も、よりリアルに深く理解することが出来ます。これまでの浅い理解を反省するとともに、改めて学び直しが楽しくなってきました。
音楽書の字面を目で追うだけであれば、それほど時間はかかりません。ですが紹介された音楽を聴きながら読めば、少なくともその音楽の分の時間は要します。音楽より先に読み終えても、その該当部を繰り返し読み咀嚼して理解を深めてもいいかもしれません。また文章から離れて音楽から直接インスピレーションを受けるのもいいかもしれません。

ここのところ駐車場についてお問合せを頂きますので地図を掲載しておきます。
教室から少し離れたところですが1台ありますので、教室へいらっしゃるときはご利用ください。


前回取り上げた「結婚しようよ」や「神田川」等、70年代の初頭で、ヒットするフォークソングの雛型が出来たといえるでしょう。そしてそこに触発された歌謡界は、貪欲にフォーク・ニューミュージック畑から人材を掘り起こしていきます。その代表格が作詞家・松本隆といえるでしょう。フォークの神様と呼ばれた岡林信康のバックバンドも務めた「はっぴいえんど」の元ドラマーで、バンド解散後は職業作詞家に転身しました。転身直後、チューリップに提供した「夏色のおもいで」(1973)の詞が作曲家・筒美京平の目にとまり、それをきっかけに筒美&松本の名コンビが誕生します。このコンビでの初期の作品には、今や大ベテランとなったThe ALFEEのデビュー曲「夏しぐれ」(1974)もありますが、残念ながらヒットせず。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975)でブレイクしてこのコンビが時代の中心に躍り出るのです。
さて今回取り上げるのは、「夏」つながりで、ゆずのデビューシングル「夏色」(1998)です。フォーク歌謡が確立しておおよそ四半世紀後のJ-popの名曲です。そしてそれからさらに四半世紀以上経った2024年に改めて本人たちにより再録音されました(編曲はトオミヨウ)。この曲を作詞・作曲したゆずの北川悠仁は「パンツ一丁で作った曲がこんなに有名になってずっと歌うとは思わなかった」と振り返っていますが、先に挙げたフォーク歌謡のDNAを色濃く受け継いでいるように思えてなりません。なお、この曲のAメロディは、四七抜き長音階、黒鍵だけで弾くことが出来ます。

2026年5/1~6/30まで「春の種まきキャンペーン」として通常30分で2200円(税込)の体験レッスンが無料となります。
5月分の無料体験レッスン、こちらのページで受付を開始いたしました。
先着順となりますのでお早めにお申し込みください。
※なお、無料体験レッスンの受講はお一人様1回に限ります。複数科目、複数回の受講の際は別途費用がかかりますことご了承ください。
先日お知らせしました発表会「小さな春のコンサート2026」を、さる4月19日(日)、教室の305号室で開催いたしました。
延べ30名が出演して、日ごろの練習の成果を披露いたしました。
ほどよい緊張感のなか、大変充実した発表会になりました。
当日のプログラムです♪

<第1部>それぞれ一人ずつ演奏した後に「フルートアンサンブル」で「野薔薇」を演奏しました♪

<第2部>終演後、グランドピアノ2台、電子ピアノ1台、ピアニカ2台で出演者みんなで「茶摘み」を合奏しました♪

<第3部>ソロでの演奏に加えて出演者みんなで「夏は来ぬ」「みかんの花く丘」「手のひらを太陽に」を斉唱しました♪


2026年5/1~6/30まで「春の種まきキャンペーン」として通常30分で2200円(税込)の体験レッスンが無料となります。
4/24(金)の正午12:00頃にこちらのページで5月分の無料体験レッスンの詳細な日程を発表し、受付を開始します。
先着順となりますのでお早めにお申し込みください。
※なお、無料体験レッスンの受講はお一人様1回に限ります。複数科目、複数回の受講の際は別途費用がかかりますことご了承ください。

前回のエントリーで触れたグレン・グールドへの電話インタビュー(1974年、3日間で計6時間)をまとめたのが本書で、演奏家としてのグールドを知る入門書としておすすめです。
録音時にどうして声を出してながら弾くのか?なぜ椅子を極端に低くして弾くのか?にも言及しています。改めてグールドは天才だけれど変人(笑)だと思った次第です。
ビートルズではなく、同じイギリスの歌手、ペトゥラ・クラークを異様に持ち上げているのも私の趣味に合いました。
私の音楽観に強い影響を与えたのが、ピアニストのグレン・グールドです。ただしそれは、彼の誰も真似ようのないピアノ奏法ではなく、録音についてを中心にした彼のメディア論です。

グールドは1955年にプロデビューするも1964年にはコンサート活動から引退します。亡くなる1982年までその演奏活動はラジオ・テレビ・レコードといったメディアを介してのみとなります。コンサート引退後に彼が記したメディア論「レコーディングの将来(1966年)」<『グレン・グールド著作集2』(みすず書房)に所収>が秀逸で私のグールドへの関心の原点となります。ここでグールドはメディアの発達に伴い、音楽において作曲家・演奏家・聴衆といった従来のはっきりとした役割分担の境界がなくなると予測します。確かに現在はインターネット上の動画サイト等で誰もが気軽に自身の演奏を公開できるようになりました。今やAIの手助けさえあれば、素人でも作曲ですら楽々できてしまう時代です。かつての聴衆も容易に表現者になれるのです。
以下「レコーディングの将来(1966年)」からの引用です。
「私の見解では、電子時代がくれば、音楽芸術は今よりはるかに想像力に訴えながらわれわれの生活の一部となり、生活の飾りとしての役割ははるかに少なくなって、ついにはわれわれの生活をもっと深いところから変えるであろう。」(前掲書p.170)
つまり音楽は特別な非日常的な存在ではなく、ごくごく身の回りにある日常的な存在になるとグールドは述べるのです。私もこの点について共感します。音楽が身近だからこそ、その影響力の深度は高まるのです。最後もグールドの言葉を引用して締めくくりたいと思います。
「聴衆が芸術家であり、その生活自体が芸術となるだろう。」(前掲書p.171)

1970年代に入ると日本での若者たちによる「政治の季節」に陰りが見え、1972年2月の「あさま山荘事件」でその風はすっかりと止んでしまいました。フォークソングも「政治の季節」と決別し、この事件が終結した翌3月にオリコンチャート3位まで駆け上がったのが、よしだたくろう(吉田拓郎)の「結婚しようよ」です。
これまで社会的なメッセージを背負いがちだったフォークソングで、若者たちの等身大の姿を私小説的に表したてんでこの曲は画期的で、翌年発表された「神田川」(かぐや姫)と共に日本のフォークソングの方向性を定めるに加え、従来の歌謡曲にはない新機軸、「ニューミュージック」の嚆矢ともなるのです。
なおこの曲の編曲を務めたのは、加藤和彦です。そして録音には後の「ティン・パン・アレー」の林立夫と松任谷正隆が参加します。なお松任谷はこの曲でレコーディングデビューを果たします。のちにアルバム「ティン・パン・アレー2」(1975)では松任谷アレンジによるこの曲のインストルメンタル版を聴くことが出来ます。
この曲に脅威を感じたのが、歌謡曲の巨人、筒美京平。「たくろうさんの『結婚しようよ』が出た時は、こりゃあ大変だと思った。やっぱり新しかったと思う。」と回想しています。
この曲のメロディは全編、四七抜き長音階で作られています。メロディが5音なのに、そのサウンドが新しかった点に筒美は吉田拓郎の才能を認めたのでしょう。

学生運動では、考えが近しい党派間ほど仲が悪く「内ゲバ」が起こってしまいました。日本のフォークソングの界隈も、仲間同士それほど仲が良くなくて、面倒で複雑な人間関係をつい思い浮かべてしまいます。そのせいか書籍でもフォークソングを各論的に論じるものはあっても、総論的に論じるものは滅多に目にしません。日本のフォークソングを概観するこの本は、私のような後追い世代にとっては大変分かりやすくありがたいです。
コロナ禍での緊急事態宣言からはや6年。対面レッスンが出来なくなりその対策に七転八倒していた当時をふと思い出します。その最たるものがリモートレッスンで、あれこれ試したものの結局うまくいかず、徒労感と無念さだけが、当時は残りました。
ただコロナ禍で、SNSを苦手とする私がLINEを始めてみたり、教室のホームページを開設したり、仕事でインターネットを活用し始めたのは大きな変化で、今に至る第一歩となりました。レッスンでも変化がありました。それまではレッスン時にボイスレコーダー等で模範演奏を録音して、生徒さんに渡していました。ですが、現在では手元を撮った動画を渡すようになりました。スマホで映した動画をLINEで送るのです。音声に加え、具体的な運指まで確認できるので、まさに鬼に金棒です。模範演奏を音声から動画に切り替えたところ、皆さんの練習効率も上がっているようで、私も大きな手応えを感じています。

このスマホの手元動画を活用できるようになったことで、リモートレッスンでの失敗に対する無念さがようやく晴れたように思います。スマホ用のアームスタンドを準備したり、撮影角度を工夫したり、リモートレッスンに向けての試行錯誤がようやく日の目を見るようになり、当時の労力がやっと報われたように感じたのです。
労力に対してその都度、直接的に報われたいものですが、こうして間接的にめぐりめぐってくることもあるのです。いつ結果が出るか分からないからこそ、それに左右されることなく日々粛々と試行錯誤を続けるに限ります。
本日いきいきピアノフォーラムVOL.7、予定座席満席、盛会のうちに終了しました。
ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
いずれタイミングをみて今回の内容はこちらのブログにもアップしていきたいと思います。
(今日の講座で使用したプレイリストだけリンクを張っておきます。)



「白い色は恋人の色」(ベッツィー&クリス/作曲:加藤和彦)

1967年12月「帰ってきたヨッパライ」でデビューしたザ・フォーク・クルセダーズは、翌年12月、シングル「青年は荒野を目指す」を発表し、自ら定めた1年の期間限定の活動を終え解散します。その後、メンバー各々、ソロ活動を始めます。特に加藤和彦の音楽スタイルはフォークにとどまらず、1970年代は、サディスティック・ミカ・バンドを率いてロックスタイルで活動します。70年代末から80年代初頭は、バックバンドにY.M.O.のメンバーを従え「ヨーロッパ三部作」を制作する等、変幻自在にそのスタイルを変えていきます。それに加え、他アーティストへのプロデュースや楽曲提供も行い活躍しました。2009年、62歳で急逝、2024年にはドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家加藤和彦とその時代」が公開され、その音楽作品の再評価の機運も高まっています。
加藤の最初のソロアルバム「ぼくのそばにおいでよ」(1969)の発表とほど近い時期にアメリカ人のフォークデュオ、ベッツィ&クリスへ楽曲提供したのが、今回紹介するこの曲。作詞したのは、やはりザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった北山修です。作詞家として成功したのち、精神科医として大学教授としても活躍しました。なお加藤&北山コンビで作られた代表曲が「あの素晴らしい愛をもう一度」(1971)になります。
この曲の冒頭のメロディは四七抜き長音階で作られています。サビで第7音が加わって盛り上がる王道的な展開の曲といえます。

前々回のエントリーで取り上げた「悲しくてやりきれない」を作曲した加藤和彦のインタビューをまとめた一冊です。暫く絶版だったのですが、2024年のドキュメンタリー映画の公開に合わせて、タイトルを変更して再発されました。
読めばわかりますが、加藤の音楽活動は変革に次ぐ変革といってもよく、それに伴って協働するスタッフや環境も大きく変化します。
才能ゆえの大きな変革とはいえ、それが叶わなくなった時、絶望的に息詰まってしまったかと思うと勿体なくも感じます。
日々のウォーキングで欠かせないのが、やはり音楽です。録りためたラジオの音楽番組等を聴きながら歩いています。その際、外音を遮断するイヤホンではなく適度に外音が聞こえる開放型のヘッドホンを使っています。
このヘッドホンは、軽量・安価(円安でだいぶ高くなりましたが…)・程よい音質なので気に入っています。ただ難点は昔ながらの製品なので、省エネで動かす現在のスマホなどのプレーヤーだと、パワー不足で充分に音を鳴らせません。パワー不足を補うためにポータブルのアンプを常用しています。このアンプは中の部品交換が可能で、それに伴い音質も変わります。なので、自分の好みの音に鳴るよう、あれこれパーツ交換しています。ヘッドホンも元々付属していたイヤーパッドだと耳が痛くなるので、別途で汎用品に交換するなど、日々、散歩用の音楽環境を微調整しています。結果、自己満足ではありますが、散歩時の「ながら聴き」の幸福度は格段に上がりました。
これはピアノの練習にも当てはまりそうです。調子が今一つの時は、劇的に練習法を変えたくなります。でも私の経験上、上手くいったためしはありません。スランプ時ほど微妙に練習を変えた方がいいと感じます。いつもより5分間だけ練習時間を長くする等、ほんの些細なことから始めるといいようです。日々での比較では、その差はほとんど感じられなくとも、月・年単位で振り返れば、その違いや成長を実感できると思います。日々の微調整を続けることで、練習での幸福度も上げたいものです。

「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ/作曲:加藤和彦)

さて「竹田の子守唄」のほかに、フォークソングで発売禁止になった代表曲に「イムジン河」(1968年)があげられます。「帰ってきたヨッパライ」で鮮烈にデビューしたザ・フォーク・クルセダーズのセカンドシングルとして準備するも直前で政治的配慮のため発売中止に。ザ・フォーク・クルセダーズの一員、加藤和彦はこの件を次のように回想しています。
『クレームが両方から来たのね。朝鮮総連の方は、北の歌だからうちの歌を出すのはけしからん。韓国のほうにしてみれば北賛歌だからそんなもん出すんだったら東芝製品買わないぞって、東芝に圧力がきちゃったわけ。両方から来たから、どうにもしょうがないの、もう。』<『エゴ 加藤和彦 加藤和彦を語る』P.56~57>
出荷済みのレコードの多くは自主回収、発売元の東芝音楽工業は大損害を被ります。ただし、制作陣は転んでもただでは起きません。以下、再び加藤の回想です。
『(音楽出版社・社長)石田さんは、「こういうわけで発売中止になった」という言い方しないで、「加藤、次出さなきゃなんないから、曲作れ。ギター持って来させてあるから」。あるんだよね、ギター。「ここを三時間貸してあげるから、作りなさい。鍵かけるよ」と出てっちゃって。確かめたらホントにかぎかかってて、「あのヤロー」。悔しいから、「イムジン河」のコード全部書いて、それを逆からたどって。そのまま曲作ったんだよね。それが「悲しくてやりきれない」。』<同上>
まさに逆転の発想で名曲が誕生します。なおこの曲もほぼ四七抜き長音階で出来ています。

今回紹介するのは本ではなく映画です。
戦争の悲惨さを描いたアニメーションで、この作品が現在における戦争映画のスタンダードになったと言えるかもしれません。
この映画のオープニングで流れるのが「悲しくてやりきれない」のコトリンゴによるカバーです。この曲は1968年に発表された曲ですが、半世紀以上経った今にも歌い継がれている名曲といえるでしょう。
昨今、よく見かけるストリートピアノ、各地で増加するなか、設置したのに半年足らずで閉鎖されるケースもあるそうです。一人でピアノを独占したり、不快に感じるほどの大音量で演奏する等のマナー違反がその原因とのことです。一部の節度を越えた行為のせいでせっかくのピアノが撤去されてしまう。一方、節度をわきまえた多くの方は、過剰なほどの慎ましさでピアノに触れもしません。どちらもとても残念なことだと思います。
政治や言論でもこうした例を最近よく見かけます。そして一部の節度を越えた声の大きい方の意見が社会にまかり通っているような気もします。節度ある慎ましさの裏側には、大切な繊細な感性が潜んでいると思います。それが一部の大きな声にかき消されてしまうのは本当にもったいないと思うのです。本当はどんな小さく弱く拙い意見でも社会に表明できればいいと思うのです。
でもいきなり言葉で意見表明をするのは大変です。言葉は確かに事象をクリアに指し示せます。ですが、その選択を誤れば簡単に揚げ足をとられてしまいます。そこで音楽演奏です。音楽は言葉ほど明瞭に事象を指し示せません。その代わりにどんな思い・感情も同時に表すことのできる包容力があると思います。それがゆえに揚げ足も取りにくいので、自由に思いきり表現できると思うのです。
慎み深い多くの皆さん、まずは音楽演奏で自らの意見表明をしてみませんか?せっかくの発表会やストリートピアノ等、公共の場を大切に、節度ある自由な表現を目指したいものです。

「竹田の子守唄」(京都地方民謡)

「フォークソング」とは元来、伝承された民謡や民俗音楽等を指します。19世紀、アメリカ各地でその類の音楽が蒐集されます。1960年代、冷戦下で「フォークソングリバイバル」の流れが生じます。これは単に民謡の蒐集にとどまらず、人種差別やベトナム戦争への反対運動等、若者の政治・社会運動と密接に連動してきます。
このムーブメントは日本にも上陸。その影響を色濃く受けたであろう1曲が今回紹介する「竹田の子守唄」です。この曲は1964年末に京都・伏見区で採譜・編曲された民謡で、関西フォークの界隈で広く伝播します。そして1971年、フォークグループ「赤い鳥」がこの曲を再録音しシングルA面曲として発表します(かの名曲「翼をください」をB面にさしおいて)。発表後3年で100万枚を越える大ヒットとなります。70年代前半までは多くの歌手にもカバーされるなど、日本のフォークソングの代表的な曲といえました。
ところがこの曲の出自が被差別部落であることが広く知られるようになると、メディアは放送・販売を自主規制し自粛するようになります。その経緯の詳細は前々回のエントリーで紹介した「放送禁止歌(森達也著)」をご参照ください。
21世紀になり自粛も緩和。再び様々なメディアでこの曲を耳にするようになりました。なおこの曲は「二六抜き短音階」の曲として編曲されていて、黒鍵だけで弾けます。下記は「赤い鳥」がインディーズレーベルURCで発表した1969年のヴァージョンです。
<変二長調>

変二長調の調号は♭が5つ。黒鍵を全て用いるこの調は、浮世を離れたどこか異空間を感じさせます。ピアノが得意とする調で、数多くのピアノ曲で用いられます。
<変二長調の曲>
交響曲第9番「新世界より」第2楽章(ドヴォルザーク)
「家路」のメロディでおなじみのこの第2楽章。この楽章だけが変ニ長調で残りはホ短調なのです。曲内における第2楽章の異空間性が際立ちます。今回紹介するのは小澤征爾指揮のボストン交響楽団による1996年の演奏です。





