黒鍵ペンタトニック 「あめふり」(中山晋平)
「あめふり」(中山晋平)
昭和初期の童謡運動では「赤い鳥」や「金の星」等の児童雑誌がその中心を担いました。楽譜が雑誌に掲載されることで、多くの人に曲が知られていったのです。同様に大きな影響力を持ったのがレコードです。昭和初頭に、コロムビアやビクターなど外資大手が日本に本格参入すると、レコード業界は急成長。重要なメディアとなり、童謡ブームを下支えしました。
なおコロムビアは「七つの子」等で有名な本居長世と、一方ビクターは中山晋平と専属作曲家契約を締結します。レコード会社と作曲家の間で専属契約する仕組みは、戦後暫くまで残存し、歌謡界の骨子ともなったのです。
中山晋平の場合、レコードの吹込みには、歌姫・佐藤千夜子はもちろん、童謡歌手・平井英子が常連となります。晋平と共に平井英子も、歌手として日本ビクターの設立と同時に専属契約を結びます。その時、わずか10歳、まさに子役スターとして数多くの童謡を録音します。(大変なご長寿で2021年、103歳でご逝去されます。)
前回紹介した「肩たたき」同様、今回も平井英子によって吹き込まれた「あめふり」を紹介します。なおこの曲も黒鍵だけで弾ける四七抜き長音階で作られています。
1931年(昭和6年)平井英子の歌唱による録音。