黒鍵ペンタトニック「戦場のメリー・クリスマス」(坂本龍一)
戦場のメリー・クリスマス(坂本龍一)
Y.M.O.人気が過熱すると、その人気にメンバーは苦しめられることになります。坂本龍一は当時を以下のように述懐しています。
『ぼくはこれまで「無名でいたい、前に出たくない」と思って生きてきたのに、気がついてみれば、道を歩いているだけで指を差されるような人間になっていた。それはまったく予想外のことで、本当に困りました。ほとんど部屋から出ず、人目を避けて閉じこもる生活になってしまった。 ~略~ 状況への憎悪は、やがてYMOへの憎悪につながっていきました。』(坂本龍一『音楽は自由にする』P137~138頁)
過度なメディアへの露出でのストレスがメンバー間の確執をも生みだしたのです。
そんな状況下の1981年、「BGM」「テクノデリック」といった内省的な内容のアルバムを2枚製作し、年末でグループでの活動が一時休止となります。
翌1982年はメンバー各々、ソロで活動します。坂本龍一の個人での活動で特筆すべきはやはり映画「戦場のメリー・クリスマス」です。大島渚監督からの俳優としての出演依頼に対して、坂本は自身が映画の音楽を担当することを条件に受諾します。そして映画音楽「世界のサカモト」の躍進が始まるのです。
上記がこの映画のテーマ曲です。この曲の基礎は二六抜き短音階で出来ています。ただしメロディが上昇したところで、音階の第2音が効果的に使用されます。
なおこの映画が公開された1983年、Y.M.Oは、アルバム「浮気なぼくら」「サーヴィス」を発表し「散開」(解散と同意)します。