西洋の楽器ピアノにフィットしたい東洋人の私
以前、私はひどい蕁麻疹に悩まされたことがありました。病院の皮膚科で抗ヒスタミン剤を注射しても、薬を処方してもらっても効かず。困って東洋医学的な治療をする病院に変えて漢方薬を処方してもらったら即改善。やはり西洋式の治療だけでは東洋人の私には不十分なこともあるのだと、この時思い知りました。
ピアノに対してもこれに似たような感覚に陥る時があります。東洋人の私には、この西洋の楽器はどこかフィットしきらないと感じてしまうのです。その違和感はごくわずかなのですが、一体それが何なのか?よく分かりません。
その点、歌謡曲をはじめとした邦楽ポップスでは「言葉」という明確な文化的な違いがいつも問題となりました。洋楽曲を原語そのまま直輸入するのではやはり不十分で、メロディをそのままに歌詞だけわたしたちに通じる日本語に翻訳されることが一般的です。ただし原語から直訳ではメロディに日本語がきれいに乗らないことも多いのです。だから意訳をする等、あの手この手で創意工夫されました。そして洋楽のメロディと日本語の歌詞がフィット。明治以降のこうした試行錯誤の延長線上に現在のJ-popは連なるのです。
邦楽ポップスでの先人の創意工夫を知ることは私自身大変勉強になります。ピアノは器楽なので、直接的には言葉の問題はありません。ですが、やはり直訳的に理解しようとするには限界があると感じています。あの手この手を尽くし、意訳的な創意工夫で自分の身体とピアノが違和感なくフィットしたいものです。そしていつか深く掘り下げてピアノを弾いてみたいものです。
坤輿万国全図(17世紀初めイタリア人の宣教師マテオ・リッチが作成した漢訳版世界地図)