ぷりま音楽歳時記 2-21.ヘ短調
<へ短調>
ヘ短調の調号は♭4つ。マッテゾン曰く、「温和で、感傷的。心配と絶望」とのこと。個人的にはこのヘ短調が全調の中で最も色彩が暗く、重い印象を受けます。「心配と絶望」というマッテゾンの意見に深く同意します。
<ヘ短調の曲>
この曲の第1・3楽章がヘ短調です。第1楽章の途中でヘ長調に転調して、再びヘ短調に劇的に戻ってきます。今回紹介するのは1970年ドイツ・ボンのベートーヴェン・フェスティバルでのクラウディオ・アラウの演奏です。
<へ短調>
ヘ短調の調号は♭4つ。マッテゾン曰く、「温和で、感傷的。心配と絶望」とのこと。個人的にはこのヘ短調が全調の中で最も色彩が暗く、重い印象を受けます。「心配と絶望」というマッテゾンの意見に深く同意します。
<ヘ短調の曲>
この曲の第1・3楽章がヘ短調です。第1楽章の途中でヘ長調に転調して、再びヘ短調に劇的に戻ってきます。今回紹介するのは1970年ドイツ・ボンのベートーヴェン・フェスティバルでのクラウディオ・アラウの演奏です。
これまで教室生のみ対象としていた講座を外部聴講も募集することにしました。
今回は和音伴奏の基礎である「コード」をテーマにします。もしご興味をお持ちいただけましたら是非ご参加ください。
こちらから、「お問合せ種別」(その他)「ご希望のコース」(ピアノ)にチェックを入れていただき、「お名前」「電話番号」「メールアドレス」をご記入の上、「お問合せ内容」に(講座参加希望)とご記入の上お申し込みください。
今回紹介するのは本ではなく映画です。
「音楽のチカラが、人生の喜びを取り戻す。」とのキャッチコピーのドキュメンタリー映画です。介護施設で歩行器なしでは生活もままならない老人が、懐かしい音楽を聴くとリズムに合わせて踊りだしてしまうシーンが特に印象的でした。前回のエントリーで記した「私のお気に入り」の音楽がどのように真価を発揮するかを思い知った作品です。
限りある人生、出来るだけ健康でいたいもの。そこで少しでも音楽を活用させたいものだと考える今日この頃です。
前回のエントリーの続きです。音楽を聴くことが「個人的」な経験になったと記しました。このことは演奏することにも当てはまるのかもしれません。合奏せずとも自己完結できるピアノのような楽器の場合は特にそうかもしれません。
そうなると他者と演奏技術の優劣を比較することにはあまり意味がないように思えてしまいます。それより「私のお気に入り」のメロディ・響き・リズム等を探していく、そして自分自身が心地よく感じる演奏を目指すことが大切なのではないかと思うようになりました。
自分自身を知るためにも他社との比較や評価があった方が自分の立ち位置を相対化できるという筋の通った意見もあると思います。ですが私はそれには反対です。というのも「私のお気に入り」とは必ずしも筋の通った理知的なものではないと思うからです。「私のお気に入り」どちらかといえば、理屈では表せない感性に下支えされていると思うからです。
理屈抜きの「私のお気に入り」を他者から理知的に点数化されたりするのは、どんなに頭で理解が出来たとしても、心底、体で納得できるものではないでしょう。その上、順位付けなどされてしまえば、面白いのはせいぜい上位の数名で、選外のその他多くは、行き場のない気持ちを背負ってしまうと思います。そこで背負いこんだトラウマは案外ダメージが深く、その回復はそう容易ではないように思います。
やはり「私のお気に入り」を探すのが大切です。そしてそれを応援すのがこの教室の仕事だと思っています。
映画「The Sound of Music」から「My Favorite Things」
「風の谷のナウシカ」(安田成美 作曲:細野晴臣)
アルバム「風街ろまん」で作曲に開眼した細野は、「はっぴいえんど」解散後もソロや音楽集団「ティン・パン・アレー」等で精力的に活動していきます。そして1978年に結成した「Y.M.O.(イエロー・マジック・オーケストラ)」で世界的な人気を獲得することになります。
細野の音楽的なインテリジェンスは非常に高く、博覧強記で知られた同じく「はっぴいえんど」のメンバーであった大滝詠一ですら「細野さんには敵わない」と舌を巻くほど。その豊富な音楽的な引き出しを活かし、歌謡曲での作曲でも細野は活躍します。歌唱力のある歌手には実力相応の難曲を提供。松田聖子には、転調著しい「天国のキッス」、中森明菜には独特のコード進行で厄介な「禁区」といった具合です。ただし難曲にもかかわらずポップに聞こえてしまうのが細野マジックと言えるのかもしれません。
ただ細野の作曲術の真骨頂は、歌唱力があまり高くない歌い手に提供する曲にあると思います。自身が歌唱で苦労した経験があるせいか、歌い手に優しい曲を作るのです。その好例が上記、後に女優として成功する安田成美の歌手デビュー曲です。歌い慣れない安田が安心して歌えるためか、冒頭のAメロディとサビの歌いだしはペンタトニック(5音階)で出来ています。そしてやや不安定な歌唱をもサウンド全体でつつみ込み魅力的な曲に仕上げてしまうのです。これは前回紹介した「風をあつめて」でも共通するとと同時に、こうした歌い手への配慮は筒美京平の作曲術にも通底すると思います。なおこの曲の編曲は筒美からも全幅の信頼を得ている萩田光雄が担当しています。
今回は今年2024年に発表された再録バージョンを紹介します。発表されて40年、名曲は色あせません。
<変ロ短調>
変ロ短調は調号の♭が5つ。黒鍵を全て使えるので、ピアノ曲に使われることが多い調です。ただし平行調の変ニ長調の人気に比べると雲泥の差でその使用頻度はぐっと下がります。やはり響きが重くなるのを嫌って、作曲家も使用をためらうのかもしれません。
<変ロ短調の曲>
「弦楽のためのアダージョ」(バーバー)
この曲は、ケネディ大統領の葬儀でも使用されたことでも有名。悲惨なベトナム戦争を描いた映画「プラトーン」でも使用されています。今回紹介するのは1968年アメリカ交響楽団で指揮するストコフスキーのリハーサル映像です。
ソニーのウォークマンが発売されたのが、40年以上前の1979年。小型の機器でしたが、音楽の従来からのあり方を大きく変えた革命的で画期的な製品でした。(こちらの記事もぜひお読みください。)
従来、音楽を聴くには「場」が必要で、それはどこか「公共的」な体験でした。その場でいる人で聴く(聞こえる)ことが前提でした。ですがウォークマンでは、イヤホン等で一人で音楽を聴ける上、持ち運びも可能、「場」を必要とせずどこでも聴けるのです。「公共的」な体験だった音楽を聴くことが、「個人的」な体験へと変化したのだと思います。
メディアがカセットからCDやMDなどを経て、スマートフォンに変化した現在、いっそうその個別化は顕著だと思います。例えば、今やイヤホン等は、キラ星の如く多種で、数十万する高価なものから、百均で買える廉価なものまで、お洒落でカラフルなものから、業務用の武骨なものまで、実に百花繚乱。個々のライフスタイルに応じて音楽を聴けるのです。当然、思い入れのある曲もそれぞれ異なってきますので、昨今、社会全体で流行する曲が少なくなってきているのもうなずけます。
かつて当然だった「公共的」な音楽体験は、今や希少でむしろ特別になってしまったのです。コンサート・ライブ・発表会・複数人でのカラオケ等がそうしたものに該当するでしょう。特にコロナが流行中は、これらはかなりの制限を受けてしまったため、「公共的」な音楽体験の貴重さをあらためて身に染みたのでした。当教室も発表会等のイベントでみんなで楽しむ「公共的」な音楽体験の場をつくっていきたいと思います
「風をあつめて」(はっぴいえんど)
前々回のエントリーで触れた「はっぴいえんど」に話は戻ります。
1971年、アルバム「はっぴいえんど」(通称ゆでめん)が発表され、大滝詠一のボーカル曲がバンドを牽引する中、ひそかに苦しんでいたのがリーダーの細野晴臣でした。
細野はスタジオミュージシャンとしても日本屈指の名ベーシストですが、作曲した本人がマイクをとるこのバンドで、生粋のボーカリストである大滝と歌唱力で比べられるのはやはり気の毒といえました。細野の低声を活かしつつも、楽器(バンド)との絶妙なサウンド・バランスで曲を構築する細野ボーカル曲のスタイルを徐々に構築していきます。
そして興味深いのは、大滝の作った曲には、二六抜き短音階(マイナーペンタトニック)の曲が多いのに対し、細野の作った曲は四七抜き長音階(メジャーペンタトニック)の曲が多いのです。ただ四七抜き長音階だとどうしても田舎節になりやすいのが玉にきずと言えます。
「はっぴいえんど」のセカンドアルバム「風街ろまん」に収録された、このバンドの代表曲ともいえる上記の曲で細野のボーカル曲のスタイルが確立したといえます(この曲はほぼ四七抜き長音階の曲です)。実はこの曲は、難産の上、誕生しています。当初は似た内容の詞にカントリー調の全く異なるメロディの曲で録音まで済ませました(こちらの曲も四七抜き長音階です)。ですが、その出来に納得いかず、一旦はお蔵入りとなります。詞曲とも再度練り直した結果、シティポップの祖ともいえるこの曲が生まれたのです。四七抜き長音階なのに都節、これまでの歌謡曲にはないまさに「ニュー・ミュージック」と言えました。
<変ホ短調>
変ホ短調の調号は♭が6つ。♯6つの嬰ニ短調と異名同音調、どちらも同じ音構成なのに、変ホ短調の方が使用頻度が高い印象です。嬰ニ短調は第7音(導音)がダブルシャープになることが多いので人気がないのかもしれません。
<変ホ短調の曲>
ショパンのポロネーズの中では、やや地味な印象のこの曲。変ホ短調ならではのくぐもった響きから「シベリアポロネーズ」と呼ばれることも。今回紹介するのは1964年のA.ルービンシュタインの演奏です。
今月の一冊 『細野観光1969-2021オフィシャルカタログ』
2019年に開催された「細野晴臣デビュー50周年記念展」のオフィシャルカタログの増補版を今回は紹介します。細野晴臣氏は半世紀以上の長い音楽家としてのキャリアを誇ります。しかもその内容も日本語ロックの「はっぴいえんど」、テクノポップの「Y.M.O」で活動する等、大変多岐に渡るので、文書だけだとなかなか把握しにくいところがあります。それが図録であれば、ヴィジュアルで全容が眺められ、まさに絶好のガイドブックといえます。
展覧会へ行くと、つい図録が欲しくなってしまいます。手元に展覧会そのものがあるようで、とてもお得に感じられます。
知っていそうで実は知らない音楽用語「ソナタ」。その意味はイタリア語で「器楽曲」です。そして「ソナタ」の対義語が「カンタータ」です。その意味は「声楽曲」です。「カンタータ」から派生した用語がおなじみの「カンタービレ」です。その意味は「歌うように」です。
このように西洋音楽では、「器楽」と「声楽」を対の関係で扱います。そしていつでも「器楽」は「声楽」に憧れる関係にあります。現に「器楽のように」という意の音楽用語は見たこともありません。というのもキリスト教(特にカトリック)では教会内での器楽演奏は長らくタブー視されていました。教会内で許されていたのは、人の声、「声楽」のみだったのです。今では協会の象徴となったパイプオルガンですら、その使用は長年、公然の秘密だったのです。ピアノの鍵盤の機構もオルガン由来ですが、オルガンに関する記録が乏しいため、どのように鍵盤の機構が出来たのか、その起源は今だ謎のままです。
さてピアノの詩人・ショパンの流麗なメロディに影響を与えたのはベッリーニのオペラのアリアと言われます。ショパンはピアノで「ベルカント(美しい歌唱)」を目指したのです。ですが「カンタービレ」にピアノを弾くのは容易ではありません。ピアノは打弦楽器、一度打鍵すれば、音はすぐ減衰します。歌のように途中で息は膨らみません。やはり歌うように弾くには、様々な創意工夫が欠かせません。ピアノで「カンタービレ」に弾くことは、いつまでもついてまわる永遠のテーマかもしれません。一歩ずつでもいいのでそのテーマに近づきたいものです。
英語ですが「オルガンの起源」についての動画です。
「春よ、来い」(松任谷由実)
さて「春よ来い」がタイトルになる曲を紹介するのはこれで3回目(正確には今回の曲名には句点が入ります。)。やはり春を待ち乞う気持ちはつい5音のペンタトニックで表したくなってしまうのでしょう。
さてこの曲の作者は「ユーミン」こと松任谷由実です。ユーミンと前回触れた「はっぴいえんど」とは縁が深く、荒井由実としてデビューしてからしばらくバックバンドを務めたのが、解散した「はっぴいえんど」の細野晴臣・鈴木茂が新たに立ち上げた音楽ユニットであるキャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)。ちなみにドラムに林立夫、キーボードに松任谷正隆が参加します。ジブリ映画でもおなじみの「ひこうき雲」「やさしさに包まれたなら」の演奏はこのメンバーの手によります。さらに「はっぴいえんど」の元ドラマーで、作詞家に転身した松本隆が実質的にプロデュースした松田聖子プロジェクトにもユーミンは、呉田軽穂のペンネームで作曲陣に加わり、「赤いスイートピー」等のヒット曲を連発。
さてこの曲は1994年に発表された松任谷由実名義のシングル曲です。曲全体は自然短音階(ラシドレミファソラ)で出来ています。自然短音階の名曲は多く、藤山一郎「青い山脈」、ジュディ・オング「魅せられて」等、枚挙にいとまがありません。そしてこの曲はサビで二六抜き短音階となり、上記の譜面は黒鍵だけで弾けるのです。
ウォーキングや足ツボもみのおかげか、ここ数年、ギックリ腰にならずに過ごせています。ただまだ腰が抜けそうになる一歩手前でギリギリ何とかとどまる瞬間もあり、まだまだ油断できない状況と言えそうです。
そこで腰回りを鍛えて、筋肉のコルセットを身にまとおうと思い、腹筋運動でもしてみるかと腰を上げてみました。学生時代は軽々出来ていたので簡単に出来るであろうとタカをくくっていました。ところが、実施にやってみると全く歯が立たず。いわゆる腹筋運動であるシットアップは一回もできず。その衰えぶりには我ながら愕然としました。さすがにこのままではマズいと思い、何かできることはないかと探してみました。
先ず取り組んでみたのが「フロントプランク」です。うつ伏せの状態から身体を浮かせ、その姿勢をキープさせるトレーニングです。まずは「30秒キープ、10秒休憩」の3セットから始めてみました。これなら楽々できると思いましたが、そうは問屋が卸しません。30秒キープですらやっとの思い、そしてその翌日には結構な筋肉痛。情けない限りですが、やはり現実を直視せざるを得ません。
とはいえ、このプランクは布団の中でも出来るので、起床直後、就寝直前のルーティンになりました。「腹横筋」(インナーマッスル)に効果があるということなので、しばらく継続したいと思います。腹筋を6パックに割るなんていうのは夢のまた夢、まずはシットアップを1回でも成功させることを目標にします。
「春よ来い」(はっぴいえんど)
前回に引き続き大滝詠一です。大滝詠一は伝説の「日本語ロック」バンド、「はっぴいえんど」のボーカルでデビューします。他のメンバーはベース、後にY.M.O.でも名を馳せる細野晴臣、ドラム、後に人気作詞家となる松本隆、ギターは編曲家・スタジオミュージシャンとして活躍する鈴木茂の4名です。
松本が作る日本語詞に、残りのメンバーで作曲し各々が歌うのが、このバンドの基本形態でした。そして1970年のデビュー当時、バンドの方向性を決定づけたのが、大滝の作曲術だと考えます。従来の歌謡曲にない和音進行や転調と難しい技術を駆使しますが、かといって聞き馴染みしやすいメロディを紡ぎ、まるで魔法のような作曲術といえます。そこで肝になるのが曲中で使用される音階です。特に初期の大滝作「12月の雨の日」「春よ来い」「かくれんぼ」のメロディには一般的な長調や短調ではなく、「レ」から始まる「ドリア旋法」(レ ミ ファ ソ ラ シ ド レ)が使用されています。なおこのドリア旋法はイギリス民謡の「グリーンスリーブス」や日本の「君が代」でも用いられています。
さらに「春よ来い」「かくれんぼ」は「二六抜きのドリア旋法」(レ ファ ソ ラ ド)で二六抜き短音階と同じ音程構造になります。ですから上記、黒鍵だけでメロディが弾けるのです。
半音程がない5音階での曲では、ロマンティックな声質も持ち合わせる大滝詠一のシンガーとしての魅力が最大限引き出せず、少し勿体ないようにも個人的には思います。
<嬰ハ短調>
嬰ハ短調の調号は♯が4つ。管弦楽では響きにくい調なので人気は今一つですが、黒鍵4鍵を活用できるのでピアノではロマン派以降の曲でよく使われています。
<嬰ハ短調の曲>
浅田真央選手がトリノ五輪のフリー演技の際、使用したことでも有名なこの曲。ラ・カンパネラ(リスト)は♯5つの嬰ト短調。黒鍵の音色は鐘の音に近いのかもしれません。今回は作曲者ラフマニノフ自身による1919年の録音を紹介します。
昨今の出版不況で文庫・新書であってもすぐに絶版になってしまう中、元々新書だったものが文庫として増補版で復活したのがこの本です。
昭和40年代の「はっぴいえんど」を出発点に「J-pop」がどのように生まれ、変化し、そして現在に至っているのか?おおよそ日本のポピュラー音楽の半世紀の歴史を眺めています。
今度は絶版にならず何とか踏みとどまってほしいものです。
最近、アナリーゼが楽しくて仕方ありません。アナリーゼとはドイツ語、訳すと「分析」となります。私はとりわけ曲中でどのように和音が使われているかに興味があります。和音の使い方にはオーソドックスな定石もあります。ですが、常にその通りではありません。定石の外し方も作曲家毎、時代毎等で異なってきます。その違いをつぶさに見ることで、それぞれの曲のオリジナリティを改めて思い知らされるのです。
アナリーゼの際、私は大譜表の上部にアルファベットのコードネーム、下部に和音記号を付します。コードネームは和音の絶対値を示すのに便利で、和音の明暗・色合い等読み取れます。ローマ数字の和音記号は和音の相対値を示します。文法でいえば、主語・述語のような和音の機能が分かります。絶対値を示すコードネーム、相対値を示す和音記号を駆使すると和音分析が断然楽になります。
そんな面倒なことをせずに、ただ楽譜通りに指を鍵盤にたどらせれば曲は弾けます。でもそれだけでは、私は「もったいない」」と思ってしまうのです。楽譜は作曲家が残してくれた過去からのメッセージです。ただただ私はそれを余すことなく味わいたいだけなのです。場合によっては勘ぐりすぎで作曲家の意図から外れることもあるかもしれません。でもあれこれ自由に想像を膨らませることが出来ることこそ、現世を生きる特権だと勝手に思っています。
ただ分析をするだけで満足しても仕方ありません。やはり実際に弾いて体感で得られるインスピレーションこそ何より大切にしていきたいと思います。
「イエローサブマリン音頭」(PD 大瀧詠一 )
前回も触れたように昭和末ぐらいまでは地域の夏の盆踊りも盛んで新作音頭も作られたものでした。
とりわけその中で取り上げたい新作音頭の作者が大滝詠一です。「風立ちぬ」「夢で逢えたら」等のヒット曲の作者として知られ、自身のアルバム「ア・ロング・バケイション」も大ヒットします。そしていまだにJポップの金字塔として君臨する作品でもあります。
ですがこの直前に大滝が手がけたアルバムが「レッツ・オンド・アゲン」という新作音頭を中心にしたアルバムなのです。残念ながらまるでうれず、稀代の迷盤として一部に熱く支持されるにとどまります。そこで次こそは「売れる音頭」を目標に目をつけたのが、かのビートルズの「イエローサブマリン」。「ア・ロング・バケイション」がヒットした翌1982年にこの曲を音頭に仕立てます。
大滝はプロデューサーとして、この曲中に「軍艦行進曲」「おけさ節」等の日本の古い曲や「抱きしめたい」「デイトリッパー」等、ビートルズの曲の一部を引用することを提案します。それを実行し、実際に編曲をしたのは、大滝が敬愛するクレイジーキャッツでおなじみの萩原哲晶(ちなみにこの作品が遺作に)。日本語訳詞は大滝の盟友である松本隆が担当します。
この曲は中山晋平がいうところ、日本と西洋の「あひ」を狙った和洋折衷の大傑作カバーといえるでしょう。なおこの曲は四七抜き長音階が基調ですのでほぼ黒鍵だけで弾けます。
歌手・大滝詠一は作曲家としての実績はさることながら、音楽研究家としての功績も見逃せません。特にこのムック中の「分母分子論」は明治以来、日本でどのように洋楽を受容し、そして邦楽としてどう消化・定着していったかを知る面白い音楽文化論です。
こちらの「黒鍵ペンタトニック」もこの論に刺激を受けたところ思いついたものです。なお1995年と1999年にNHKラジオで放送された「大瀧詠一の日本ポップス伝」はこの論のラジオ実践版です。あわせてお薦めいたします。
皆さん、苦手な音ってありますか?例えば黒板の上に爪を立ててキーっとひっかく音など、何かしらあると思います。もちろん私にも苦手な音があって、最近その名称が分かりました。それは「オーケストラヒット」というシンセサイザーの音です。
この音はマイケル・ジャクソンの「BAD」の冒頭でも使われ、80年代から90年代にかけて流行しました。
元々はストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」の「カスチェイー党の凶悪な踊り」からデジタルサンプリングした音だそう。
オーケストラの生音では何も耳に障らないのですが、このデジタル音のオーケストラヒットはどうにも体が受け付けません。ちなみに私はデジタル音自体は特に苦手ではありません。ですがこの音だけはどうしても苦手なのです。
日本のポップスでも昭和末から平成の初頭にかけて、この音がものすごく流行り、テレビ等の音楽番組で聞かない時はないほどでした。私は当時はヒット曲大好き人間で、「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」など欠かさず観ていたぐらいだったのに、この「オーケストラヒット」を避けるために次第にヒット曲番組からも疎遠になっていきました。でもおかげでヒットに拘らず、様々な音楽に興味が広がりましたし、自身の音楽に対する趣味趣向もはっきりしてきました。
最後に「BAD」の冒頭のオーケストラヒットのせいで、私はマイケル・ジャクソンをずっと敬遠していました。でもそれは私の完全な聞かず嫌いで、今は深く反省しています。やはり何事も勝手に決めつけるのはよくありませんね。
「さくら音頭」(中山晋平)
「ドドンガドン」、昭和終わりの私の子供時代、夏の夕方、毎週末になると盆踊り大会がそこかしこの公園で催され、櫓(やぐら)が組まれ、この音頭のリズムが流れてきたものでした。
この「ドドンガドン」のリズムの音頭は太古の昔からあるものだとばかり思っていましたが、そのスタイルが確立したのは昭和初期(詳しくはこちら)。まさに「新民謡」そのものといえます。そしてそのフラッグシップとなったのが「東京音頭」(1933年・昭和8年)。作曲はもちろん中山晋平です。この曲は現在もヤクルトスワローズの応援歌で使われるなど、最も長きに渡りヒットした「新民謡」といえるでしょう。発表当時も熱狂的なブームとなり、その夏、東京中の公園という公園が「東京音頭」一色に塗りつぶされたそうです。惜しくも「東京音頭」は四七抜き短音階の曲なので黒鍵だけでは弾けません。
そこで今回紹介するのは、その翌年、音頭ブームがエスカレートする中で発表された「さくら音頭」です。レコード会社各社、様々な作曲家を擁して競作する中、群を抜いてヒットしたのがこの中山晋平のビクター版でした。
「流行歌」「童謡」「新民謡」と中山晋平の主要創作ジャンルをざっと見渡しましたので、この特集はこれで一区切りしたいと思います。
大石始著/河出書房社/ISBN(13)978-4309276137
すっかり日本の伝統とばかり思いこんでいた音頭。でも実は比較的最近になって成立したことをこの本で知りました。前回のエントリーと同様、こうした思い込みは身の回りの日常に結構あるのかもしれません。
その成立から現在に至るまでの音頭の変遷を辿ったこの本、大変興味深く読みました。そして音頭は国内にとどまらず、日系人社会を中心に国際的にも広まっていることを知り驚きました。音楽文化の伝播の強靭さ・奥深さを改めて思い知らされました。
私は普段、必要最低限しか鏡は見ません。セルフポートレイトも苦手で、古くはプリクラ、現在ではスマホの自撮りはほとんどやったことがありません。それどころか写真そのものが苦手で、いまだに撮影されると魂が抜かれるという幕末・明治の迷信を信じているのかも…
でも音楽については別で、ここ数年、練習時、自分の演奏を出来る限りハンディレコーダーを使って録音するようにしています。それも譜読みも済んで、ある程度弾けるようになってからではなく、場合によっては片手ずつで練習する時さえ録音することもあります。そんなに自分の演奏が好きなのか?そうではなく、自分の演奏をできるだけ客観的に聴きたいと思っているからです。
演奏をしながらだと実は自分の発生音は思った以上に聴けていません。自身では強弱の差をはっきりつけて演奏したつもりでも、実際は大して差がつかないことがあります。つまり「やったつもり」で思いこんで練習を進めてしまうことがままあるのです。特に疲れているときは要注意で、酷い場合は音も聴かずただ指だけを動かす事態にも…
ですから録音なのです。録音したものをプレイバックすれば、多少は、冷静かつ客観的に己の演奏を聴けます。録音という一工程が加わることで、確かに練習が面倒にはなります。ですが、そこは「急がば回れ」の精神です。結果的には仕上げまでの時間がかなり短縮されるようです。ただ心がけていても、すぐ楽な「やったつもり」練習に戻ってしまうのです。でもまあ、根を詰めすぎても苦しくなるだけなので、気長に取り組んでいこうと思います。
「三朝小唄」(中山晋平)
中山晋平の創作ジャンル、これまで「流行歌」「童謡」と見てきましたが、三本柱の最後、「新民謡」について、今回から見ていきたいと思います。
明治以降、西洋化を進めた日本の社会ですが、1923年(大正12年)の関東大震災で転機を迎えます。昭和初期にかけて、復古的な文化運動が起こるのです。例えば美術では、1926年(大正15年)に「民藝運動」が始まります。ほぼ時を同じく、音楽では「新民謡運動」がスタートするのです。中山晋平はその運動の中心人物といえました。「新民謡」とはいえ実際は、民謡風の新曲です。いかにも古くからありそうな「ちゃっきり節」(町田嘉章作曲)などが新民謡の典型で、実はこの曲、静岡鉄道のCMの為に作られた新曲なのです。新民謡は地域振興や観光宣伝のためのご当地ソングでもあったのです。
和洋折衷の作曲が得意な晋平には、新作民謡はお手の物、多くの曲をヒットさせます。今回紹介する「三朝小唄」もそんな曲です。1925年(大正14年)、鳥取の三朝温泉に、詩人の野口雨情と旅行をした晋平。旅の宴の余興で、その場で雨情が詩を書き、晋平が曲をつけました。翌々年、それを改作して正式に発表し、ヒット曲になります。1929年(昭和4年)には同名の無声映画も制作、三朝温泉の知名度が全国的になりました。
なおこの曲も、二六抜き短音階をベースに曲が作られています。1か所を除いて黒鍵で演奏することが出来ます。