- 春日部で40年。あなたの街の音楽教室。ミュージックファームぷりま

ピアノ・声楽・ギター・バイオリン・フルート・クラリネット

BLOG

今月の一冊『放送禁止歌』(森達也)

『放送禁止歌』(森達也)

映画「福田村事件」の監督でも知られるドキュメンタリー作家、森達也氏によるルポルタージュを今回は紹介いたします。

「放送禁止」とはすなわち「自主規制による自粛」であると森氏は問題視しています。これは話題となった社会問題にもどこか通底しているように思い、興味深く読むことが出来ました。

特に「竹田の子守唄」が放送自粛に至った経緯が書かれているのが参考になりました。

「空気」に「水を差す」~雨垂れ石を穿つ~

私は「場の空気を読む」ことにあまりに理解がないので、その学びのために文庫「空気の研究(山本七平著)」を購入。ずっと「積読(ツンドク)」状態でしたが、ようやく手に取りざっと「粗読」しました。まだまだ理解不足ですが、「空気」の醸成される過程や、それに対し「水を差す」ことの意味合いについて考えさせられました。

今、世界的に「戦争」という脅威的な「空気」が醸成されつつあります。そんな「空気」に「水を差す」ことで何とか阻止したいものです。そしてどうも「音楽」がその「水を差す」ことの一端を担っているようにも感じます。コロナ明け以降、世界情勢は悪化の一途ですが、「音楽界」に限れば今世紀に入って今が最もホットな状況だと個人的には思っています。ジャンル・年齢を問わず音楽家達の躍動は目覚ましく、聴きたくなる音楽が次から次へと溢れ出てくるようです。

きっと世界各地の音楽家たちが意識の有無にかかわらず、今の危険な「空気」を察知して「冷や水を浴びせている」のかもしれません。おかげで世界は最悪の事態から何とか免れ、土俵際で踏みとどまっているのだと個人的には勝手に想像しています。

20世紀のビートルズみたいに世界的に訴求力を持つ強い音楽は現状では生まれにくい状況かもしれません。ただ一つ一つの存在は小さくても、インターネットを中心に音楽の「網」が広く張られています。まさに「雨垂れ石を穿つ」というのが現状だと思っています。私もそうしたエネルギー体の一端を担えるように歩んでいきたいと思います。

黒鍵ペンタトニック「さとうきび畑」(寺島尚彦)

さとうきび畑」(寺島尚彦)

さて今回からしばらく日本のフォークソングに焦点をあてていきたいと思います。

その初回は「さとうきび畑」です。詞曲とも手がけたのは作曲家、寺島尚彦氏。当時、寺島はシャンソン歌手、石井良子の伴奏者を務めていました。なので、この曲を厳密な意味でフォークソングと呼びにくい面もあります。ただ、この曲の初めての録音が「森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNO.2」(1969年)であること、続いて1971年に上條恒彦が2枚目のシングルのB面にこの曲を録音した等、60年代末から70年代初頭のフォークブームで広まった「反戦」と「沖縄復帰」を願う強いメッセージソングといえました。

寺島は石井好子の公演のため日本復帰前の沖縄に訪れます。沖縄戦跡地の摩文仁の丘を目指しサトウキビ畑に埋もれ移動する中、戦没者たちの怒号と鳴咽を感じた寺島は曲作りを決意します。そして11番まで詩がある10分以上の長い曲が出来上がったのです。

『ある時ふと「ざわわ」が思い浮かんだ。これかもしれない、これだ、と思ったのだが、それでもまだ軽々しい響きに聴こえはしないか。でもこれ以上烈しい言葉ではシュプレヒコールになって音楽を壊してしまう。それならば繰り返すことによって広い空間を想起してもらおう。こうして納得する形が出来あがったとき、「ざわわ」は66回も繰り返されることになってしまった。』(「さとうきび畑 ざわわ、通り抜ける風」P.42~43)

なお「ざわわ」の詞の部分は四七抜き長音階で出来ています。

ぷりま音楽歳時記 3-7. 変ト長調

変ト長調

変ト長調の調号は♭が6つ。ピアノの黒鍵をすべて使います。なおピアノの黒鍵をすべて弾くと変ト長調の四七抜き音階になります。すなわちアメリカ音楽のブルースやジャズにおけるメジャーペンタトニックスケールです。

<変ト長調の曲>

ユーモレスク 第7曲ドヴォルザーク

この曲は元々はドヴォルザークがアメリカ在住時に作ったピアノ曲です。黒鍵の5音を中心に作られ、アメリカ的な魅力に溢れます。今回紹介するのは編曲したクライスラー自身によるヴァイオリン演奏(1938年)です。原曲のピアノ版と同じ調で編曲されています。

今月の一冊『さとうきび畑 ざわわ、通り抜ける風』(寺島尚彦他)

『さとうきび畑 ざわわ、通り抜ける風』(寺島尚彦他)

曲「さとうきび畑」に係る1冊です。11番まである長大な曲の詩集とも言えますし、カメラマン大塚勝久氏による美しい沖縄の風景写真集とも言えます。はたまた曲の生みの親、作曲家・寺島尚彦氏や曲の歌い手である森山良子氏や上條恒彦氏らのエッセイもあり、この曲を様々な角度から堪能することが出来ます。

この曲がリバイバルヒットした2002年に発売された本なので、残念ながら現在は絶版です。ご興味のある方は中古本または図書館でお探しください。

秋も深まりすっかり読書の季節となりました

秋も深まり、すっかり読書の季節になりました。私も読書をするにはしますが、その方法はあまり褒められたものではありません。

主には本をざっと読む「粗読」が中心となります。まずは前書き、目次、後書きを見てから本文に入ります。途中で分からないこと等あっても、あまり気にせず先に進め最後まで読み終えます。その読後感がいい場合はさらにもう一度、「精読」することもあります。でもそれは稀で、かなりの本は「粗読」の中途でつまずき、本棚に「積読(つんどく)」状態になります。確かにその状態は消化不良で気持ちのいいものではありません。ただ時も経ち、若干でも「精読」したものが増えれば多少、語彙力もつきます。すると中途でつまずき断念した「積読」した本が「粗読」出来るようになることもあります。なので中途のつまずきを恐れずどんどん本を手に取るようにしています。

さてこれはピアノにも共通すると思います。まずざっと譜読みをして弾く「粗奏」をしてみる。曲が気に入り、人前で弾く等仕上げたい時は、「精奏」して練ります。譜読みを始め「粗奏」してみたものの、中途でうまくいかない時もあります。そんな時は断念するのではなく、一旦保留して「積奏」しておけばいいのです。つまずいたからといって諦めることはありません。少しずつでも「精奏」した曲が増えれば、音楽的な語彙力もつきます。するとそれまでまるで歯がたたなかった曲も比較的楽に取り組めるようになることもあるのです。

最後に、これは私の読書における自戒も込めて。雑な「粗読」ばかりでは大した語彙力もつかず、どんな短文でも「精読」が肝要である。これはピアノの演奏にも共通するでしょう。そしてこの本でも読んで改めて読書し直したいと思います。

 

 

黒鍵ペンタトニック「ジャングル・ブギ―」(笠置シヅ子/服部良一)

ジャングル・ブギ―」(笠置シヅ子:唄 服部良一:作曲)

1920年代後半にアメリカで流行したピアノによるブルース音楽、ブギウギは1940年代になると、ビックバンド等様々な形態で演奏されるようになり更なる人気となりました。アメリカのその動向を目ざとく、服部はいち早くブギウギを曲作りに取り入れ、1947年「東京ブギウギ」(笠置シヅ子)で爆発的なヒットを放ちます。以降、服部・笠置コンビのブギウギ路線が国内で大流行するのです。

この「ブギウギ」について服部は以下のように回顧しています。

『私の作ったブギでは、最初に書いた「東京ブギ」が一番ブギらしい要素を持っているが、「ヘイヘイブギ」「ジャングルブギ」と段段とその後に続いて書いたブギは、むしろ、ブギ小唄と申したい様な形態を持つたものである。』『笠置君にプレゼントしたブギは、飽くまで旋律的にもリズム的にも解りやすく、多分にブギ的なアクセントを盛り込んで、いわゆるアイノコ丼、ゴモクめし、カツ丼の様に好ましく作られたものである。』<「上海ブギウギ1945 服部良一の冒険」(P.183~184)>

上記譜例の「ジャングル・ブギ―」や「ホームランブギ」、ブギ小唄の真骨頂である「三味線ブギ」(笠置の歌唱ではないが…)等のブギウギ路線では、服部にしては珍しく5音階(ペンタトニック)で旋律を作っています。洋楽派の服部とて、笠置が放つ強烈なドメスティックなパワーには抗うことが出来なかったのかもしれません。

なおこの「ジャングル・ブギ―」の作詞は映画監督の黒澤明。1948年の映画「酔いどれ天使」の劇中歌で、この曲を歌い踊る笠置の姿も作品中で映ります。

ぷりま音楽歳時記 3-6. ロ長調

ロ長調

ロ長調の調号は#は5つ。半音上が調号なしのハ長調で、半音下が♭2つの変ロ長調と人気の調に挟まれていて、どこか隙間に落ちていて陽が当たりにくい調といえます。

<ロ長調の曲>

「夜と夢」D827(シューベルト)

儚く過ぎ去った夜にみた夢を再び乞い願う大変ロマンティックな歌曲。シューベルトな絶妙な選調眼が冴えわたる曲といえます。今回紹介するのは、エリー・アーメリング歌唱、ダルトン・ボールドウィンのピアノ伴奏による1974年の演奏です。

今月の一冊『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』(上田賢一)

『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』(上田賢一)

1944年、服部良一は軍令により上海に渡ります。当時の上海は外国人居留地である「租界」と呼ばれ、国際色が豊かでした。洋楽を志す音楽家にとって戦時中の国内は制限だらけでしたが、「租界」では比較的自由に洋楽を奏でられたのです。現地の中国人作曲家とも交流を深め、戦後、笠置シヅ子の歌唱で花開く服部ブギウギのプロトタイプである「夜来香幻想曲」を披露する等、音楽的な実験が、戦中の上海で繰り広げられたのでした。実に興味深い内容でした。

みんなで和気あいあい♪「黒鍵ペンタトニックアンサンブル」

ピアノの発表会(特に大人の出演者)の場合、主催するこちらの努力不足もありますが、会場の雰囲気が強い緊張感に包まれやすいように思います。

そこで私はコロナ禍で中止せざるをえなかった2020年の発表会では小さな挑戦をしていました。それは演目に連弾を増やしたことです。一人だけで客前に立つのはやはり緊張が強い。でも二人ならば多少は気が楽になるのでは?との思いでした。ですが、この発表会は中止せざるをえず、私の計画は頓挫してしまったのです。その後暫くは「三密の回避」等でそれどころではなくなります。

まん延防止重点措置も解除となり、2024年には完全に日常が戻った段階で、再び当時の挑戦を思い出したのです。コロナ後から発表会も教室で実施することにしました。教室には2台ピアノもあるので、様々な形態での連弾も可能です。以前に増して連弾企画を拡充すべく動き始めたのです。そこで目玉となる企画を思い立ちました。「発表会の参加者全員でピアノアンサンブルをやろう!」「ただし全員での練習機会を別途設けるのは難しいので、その場で出来ることに限ろう!」そして策を練りたどりついたのが、「黒鍵ペンタトニックアンサンブル」です。

このアンサンブルは、弾ける・弾けないの技術差に関係なく誰でも参加できます。メロディを朗々と弾く人がいてもいいし、華麗にアルペジオで伴奏をする人がいてもいい。同じ一音の黒鍵を淡々と弾き続ける人がいてもいいのです。

この楽譜は昨年2024年の秋に実施した「赤とんぼ」での合奏の際に使用した譜面です。伴奏の「2.中音」では白鍵を少しだけ使用しますが、残りは全て黒鍵だけ。

以下そのサンプル動画です。

発表会当日も参加者全員で大変盛り上がりました。そしてこのアンサンブルも今や発表会の恒例行事になりつつあります。

発表会もソロ演奏で緊張しつつも、連弾やアンサンブルで和気あいあい、雰囲気も和やかになってきたように思います。

黒鍵ペンタトニック「アイレ可愛や」(笠置シヅ子:唄 服部良一:作曲)

「アイレ可愛や」(笠置シヅ子:唄 服部良一:作曲)

前回、私は服部良一を中山晋平へのアンチテーゼ的存在であると論じました。戦前の昭和は、中山晋平を筆頭に、その後継に古賀政男が台頭する等、歌謡界は「四七抜き」の5音階での曲作りが保守本流といえました。一方、服部は洋楽的な曲作りを模索していたため傍流的な存在といえました。半音階的な「熊蜂の飛行」でも知られるリムスキー=コルサコフの弟子、ウクライナ人のメッテルに作曲を師事した服部。やはり半音階的な技巧を得意とします。例えば淡谷のり子のブルース路線では自然短音階と和声短音階を組み合わせ、そこで生じる半音の違いを巧みにメロディに組み込みます。なお戦後に作曲した「青い山脈」は自然短音階だけで日本独自の「明るい哀愁」のメロディを書き上げて、服部にとっても集大成的な作品になったといえるでしょう。

しかし話はそう単純ではありません。淡谷のり子同様、やはり服部が作曲を手がけた笠置シヅ子の曲の場合はどうでしょうか?NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」での劇中歌で使用された上記の曲、歌詞のついた主要部は実は四七抜き長音階で出来ています。戦時中の1942年に発表されたこの曲は、南方戦線のインドネシアの民謡を元に作られました。劇中でも描かれた通り、戦中の慰問公演でも唄われ、戦後1946年に録音されました。明朗快活で天真爛漫な笠置には、5音階はとてもフィットするように思います。

ぷりま音楽歳時記 3-5. ホ長調

ホ長調

ホ長調の調号は#が4つ。作曲家スクリャービンは「緑がかった青」とこの調を色聴しています。「煌びやかなエメラルド色」と色聴したリムスキー=コルサコフとも似通っているように思います。

<ホ長調の曲>

水の戯れラヴェル

モネの絵画「睡蓮」のせいかもしれませんが、印象派での水の色は「緑がかった青」をつい連想してしまいます。それでラヴェルの「水の戯れ」を調べてみるとやはりホ長調!今回はモニク・アースの1968年の演奏を紹介いたします。

今月の一冊『歌う自画像』(笠置シヅ子)

『歌う自画像』(笠置シヅ子)

NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」も大変面白かったですが、それをさらに上回るのが、この笠置シヅ子の自伝です。まさに「事実は小説より奇なり」を地で行く面白さです。「東京ブギウギ」が流行した1948年、人気絶頂期に笠置が記したもので、戦後の日本社会の生々しさも随所に感じ取ることもできます。

巻末で笠置に寄せる林芙美子、旗一兵、服部良一、エノケンの文章からも彼女の人柄が慕ばれます。

(もっと前に朝の連続テレビ小説の題材になっていてもおかしくなかったのにとも思います。)

ルーティン~日々の小さな変化に目を向ける~

ここ数年で私の生活で習慣化したのが、ウォーキングです。起床してさっと朝食を済ませたら、1時間ほど歩くのがルーティンとなりました。それだけでもだいたい6000~7000歩に達するので、あとは日常の買い物等で歩くだけで、厚生労働省が成人男性に推奨する8000歩には楽々到達します。これがルーティンとなるまで、歩く時間や距離をいろいろ試しましたが、ようやく今の形に落ち着きました。

一旦習慣化すると、朝のルーティンを済ませないと気分的にすぐれません。雨天や猛暑などで多少めげそうにもなりますが、今のところ継続欲が上回っています。今後はこれに筋トレも加えたいと目論んでいます。昨年出来なかった腹筋はようやく出来るようになりましたが、まだまだ習慣化には程遠い状態です。

筋トレの習慣化以上に私にとって喫緊の課題がピアノの練習についてです。さすがにピアノに触れない日はほぼ無いものの、練習の時間帯はまだらで、レッスン仕事の隙間時間に片手間でやったりどうも落ち着きがなくルーティンにはなっていません。ルーティンの良いところは、同じ時間・場所でいつもの決まったことを繰り返す中で、小さな変化に対して敏感になれる点にあると思っています。私のように40年以上のピアノキャリアでは、やはり成長するにもその幅には限りがあると思います。けれど日々の小さな変化に目を向けていれば、わずかでも改善の余地が見つかるかもしれません。そしてわずかにでも成長できればそれに越したことはありません。

はやく「ピアノ練習のルーティンを済ませないと気分がすぐれない」と胸を張れるようになりたいものです。

黒鍵ペンタトニック「冬越え」(細野晴臣)

冬越え(細野晴臣)

このコーナーではこの1年強、「はっぴいえんど」から「Y.M.O.」に至る細野晴臣の経歴を実質たどりました。そもそも私がこの特集を組もうと思ったきっかけが、細野の盟友、大瀧詠一のラジオ番組「日本ポップス伝」パート1の第5夜での以下の発言です。

西篠八十、中山晋平っていうコンビがこの現代歌謡の基礎を作った、礎になったという意味合いでいくと、細野晴臣はこの後、エイプリルフール※から、はっぴいえんど、Y.M.O.といくわけで、まさに中山晋平だったという事がいえると思いますよ。』(※エイプリルフール→細野が1969年にプロデビューした時の所属バンド)

私はてっきり細野は服部良一の系譜の作曲家だと思っていました。服部の音楽に新解釈を施した雪村いづみの名盤「スーパージェネレイション」でも細野は編曲・演奏で参加しています。また近年、細野は服部の代名詞といえるブギウギをライブでもとりあげていたので尚更です。そして私は勝手に服部の存在を、5音階で和洋折衷の音楽を作った中山のアンチテーゼ的だと目していたので、大瀧の発言をいまひとつ理解できませんでした。

けれども細野のメロディを具体的に分析してみると、中山的な5音階で作られている曲が多く、驚きと同時に大瀧の発言の意味がようやく腑に落ちたのでした。ロック/テクノ/ブギウギ等、細野の音楽は表面的には多彩に変貌しますが、それも中山の三要素、流行歌/童謡/民謡にもどこか通底するとも思います。

今回は細野のソロ初期の名曲、「冬越え」(1973年)を紹介します。2019年のリメイク版も併せて紹介します。もちろんメロディはほぼペンタトニック(5音階)で出来ています。

ぷりま音楽歳時記 3-4. イ長調

イ長調

イ長調の調号は♯3つ。この調をリムスキー=コルサコフはバラ色、スクリャービンは緑色とそれぞれ異なった色で色聴しています。この調ではもしかしたら作曲家毎の個性の違いが明確になるのかもしれません。

<イ長調の曲>

クラリネット協奏曲 K.622モーツァルト

この曲でモーツァルトは、一般的なB♭管ではなくA管のクラリネットを用いているため、独自の響きが作り出されています。今回紹介するのは、バーンスタイン指揮のウィーン・フィル・ハーモニーとペーター・シュミードルのクラリネット独奏による1987年の演奏です。

今月の一冊『老後とピアノ』(稲垣えみ子)

『老後とピアノ』(稲垣えみ子)

50歳で新聞社を依願退職したフリージャーナリストが自らのピアノ体験を記したのがこの本。まだ還暦前の著者を「老後」と冠するには少し早すぎの気もしますが、中高年のピアノ体験記であることは間違いありません。

著者の細やかなルポルタージュは、立場が違う教える側の私には見ることのできない風景です。生徒さんの日常をのぞき見するようで大変参考になりました。

「おとなのピアノ」の体験記も一ジャンルとして定番化しつつあるようで嬉しい限りです。

黒鍵ペンタトニック~ピアノで「気晴らし」を

私は野球がどうしようもないほど羨ましく思う時があります。それは野球には「キャッチボール」があるからです。ボール(とミット)さえあれば、特に事前の準備がなくキャッチボールをすることが出来ます。そして互いにボールを捕って投げる単純動作にも関わらず、それは初心者からプロにまで通じる大切な基礎でもあり、たとえどんな技術差があっても誰でも一緒に参加出来るのです。

ピアノでも、先生や生徒での連弾等などで技術差がある同士でも演奏することはできます。ただやはりそれぞれ練習する等、事前準備を要します。「キャッチボール」のようにピアノでもその場で誰でも参加できて楽しむことできないものか?そこで思いついたのが「黒鍵ペンタトニック」です。

特にクラシックのピアノの場合、楽譜というしっかりとした台本があります。台本に忠実に演奏しようと思えば、やはり間違えないように心がけます。間違えないためにも練習が大切です。その練習も重い通りにいくとは限らず、壁にも当たります。その壁を乗り越えても時にはすぐに次の壁が迫ってくることもあります。

もちろん練習で壁を克服し続けるのも大切ですが、変に力んでしまうとかえって上手くいかないことも多いものです。そんな時しかめっ面せず、肩の力を抜いてピアノをシンプルに楽しめる「気晴らし」があってもいいのではないかと思ったのです。そこでこの「黒鍵ペンタトニック」が役立てばと思っています。

具体的なことは今後このホームページでも記していきたいと思っていますので、どうぞお楽しみに。

黒鍵ペンタトニック「戦場のメリー・クリスマス」(坂本龍一)

戦場のメリー・クリスマス(坂本龍一)

Y.M.O.人気が過熱すると、その人気にメンバーは苦しめられることになります。坂本龍一は当時を以下のように述懐しています。

『ぼくはこれまで「無名でいたい、前に出たくない」と思って生きてきたのに、気がついてみれば、道を歩いているだけで指を差されるような人間になっていた。それはまったく予想外のことで、本当に困りました。ほとんど部屋から出ず、人目を避けて閉じこもる生活になってしまった。 ~略~ 状況への憎悪は、やがてYMOへの憎悪につながっていきました。』(坂本龍一『音楽は自由にする』P137~138頁)

過度なメディアへの露出でのストレスがメンバー間の確執をも生みだしたのです。

そんな状況下の1981年、「BGM」「テクノデリック」といった内省的な内容のアルバムを2枚製作し、年末でグループでの活動が一時休止となります。

翌1982年はメンバー各々、ソロで活動します。坂本龍一の個人での活動で特筆すべきはやはり映画「戦場のメリー・クリスマス」です。大島渚監督からの俳優としての出演依頼に対して、坂本は自身が映画の音楽を担当することを条件に受諾します。そして映画音楽「世界のサカモト」の躍進が始まるのです。

上記がこの映画のテーマ曲です。この曲の基礎は二六抜き短音階で出来ています。ただしメロディが上昇したところで、音階の第2音が効果的に使用されます。

なおこの映画が公開された1983年、Y.M.Oは、アルバム「浮気なぼくら」「サーヴィス」を発表し「散開」(解散と同意)します。

ぷりま音楽歳時記 3-3. ニ長調

ニ長調

ニ長調の調号は、#が2つ。以前にも紹介した通り、「Deus」(神)の頭文字を持つ調なので祝祭的な教会音楽に用いられることが多いです。管弦楽が華やかに響くのも特徴です。

<ニ長調の曲>

クリスマス・オラトリオ BWV248(バッハ)

キリスト教の祝祭といえばやはりクリスマス。この曲もニ長調で始まり、ニ長調で終わるまさに祝祭の音楽です。今回紹介するのは、N.アーノンクール指揮で、古楽器オーケストラ、ウィーン・コンツェントゥス・ムジークによる1981年の演奏です。

<前半>

<後半>

今月の一冊『音楽は自由にする』(坂本龍一)

『音楽は自由にする』(坂本龍一)

「教授」というあだ名のせいで坂本龍一をついアカデミックな印象で捉えがちです。ところがどっこい。この自伝中にあるように、クラシック音楽の基礎を修めた後、坂本氏の音楽家としてのキャリアはフォークや演劇等のアングラカルチャーからスタートさせるのです。その後、スタジオミュージシャンを経てY.M.O.のメンバーとして一躍時の人になるのです。

今ではジャンルを横断して活躍する音楽家は増えましたが、坂本氏はまさにそのパイオニア。大きな存在を失ったと今さらながらに痛感します。

新たな音楽との出会いこそ私が音楽を続ける原動力

私自身、40年以上音楽を続けていますが、その原動力が何なのかを最近よく考えます。ピアノを弾くだけだったら、練習でしょっちゅうスランプに陥り嫌気さすので、とてもじゃないけれどここまで続けられなかったと思います。

その点、スランプ知らずで続いているのが音楽を「聴く」ことです。あたかも生きていくためのエネルギー補給のための食事の如く、もはや音楽を「摂取」しているといっても過言ではない気もします。そしてその摂取する音楽ジャンルも雑多です。私自身が演奏するのはもっぱらクラシック音楽なので、一時、摂取する音楽もクラシックに絞ったことがあります。すると偏食が祟ったのか心身に不調をきたしました。やはり栄養バランスが大切で、ジャンルの垣根をこえ雑多に音楽を摂取すると無事に復調して現在に至ります。

自分の好みの音楽ばかりを摂取しても偏るし次第に飽きてきます。そうなると外部からの刺激が重要、そこで以前もこちらでも触れましたが、やはりラジオです。地上波放送をインターネット経由で聞ける「radiko」を私は大変重宝しております。様々なジャンルの音楽番組を週に10近くも聞いて、未知なる音楽との出会いを楽しみにしています。曲名等、放送で聞き逃してもタイムフリーサービスがあるので本当に助かります。

ラジオで知った曲を更にサブスク音楽配信サービスや動画サイトで調べると一層世界が広がります。どうやら新たな音楽との出会いこそが、音楽を続ける私の原動力といえそうです。

黒鍵ペンタトニック「チョコレイト・ディスコ」(Perfume)

ディスコ音楽は多人種ひしめくアメリカで。1960年代にマイノリティのアフリカ系、ヒスパニック系のゲイ・カルチャーから発展したといわれます。1970年に入ると全米でディスコ・ブームとなり、TV番組「ソウル・トレイン」(1971年~)、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の人気の影響もあり、そのブームは世界的にも広がります。

さてY.M.O.は1980年6月に3枚目のアルバム「増殖」を発表し、その直後から2度目のワールドツアーに出ます。その中途の11月には先述のTV番組「ソウル・トレイン」に日本人として初めて出演、細野考案の「エレクトトリック・チャンキー・ディスコ」が全米のお茶の間に届けられたのです。

こうしたエレクトリック・ディスコの系譜は案外、息が長く21世紀になった今も途切れません。その代表曲が下記の2006年発表のテクノ・ポップ・アイドル「Perfume」の「チョコレイト・ディスコ」です。曲を手掛けたのは2010年代には「きゃりーぱみゅぱみゅ」でもヒットを連発させた中田ヤスタカ氏。中田氏は通常の7音階から4番目または7番目の音を除きメロディを作るのを得意とします。この「チョコレイト・ディスコ」ではそのどちらも除かれた四七抜き音階でサビが作られていますので、その部分をピックアップしました。

チョコレイト・ディスコ<サビ>

このように7音階から4番目または7番目の音を除きメロディを作る特徴はディスコ音楽全般に見られます。例えば1977年にグラミー賞を獲得した普及のディスコ・チューン、「ハッスル」(Van McCoy and the Soul City Symphony)でのピッコロの旋律も四抜き長音階だったりします。

 

ハッスルのピッコロの旋律→変ト長調の4番目「ド♭」は出てこない

 

 

 

 

ぷりま音楽歳時記 3-2.ト長調

ト長調

ト長調は調号は#1つ。リムスキー=コルサコフは「豊かな金色」とこの調を色聴しています。開放弦で豊かに響かせることが出来るので、チェロの名曲が多いように思います。

<ト長調の曲>

白鳥~動物の謝肉祭サン=サーンス

ト長調でチェロの名曲といえば、やはりこの曲。今回は1962年に録音されたデビュー直後のジャクリーヌ・デュ・プレによる演奏を紹介します。原曲では、ピアノがチェロの伴奏を担当しますが、この演奏ではハープが伴奏を担当します。チェロの音色がより煌びやかに響くように思います。

今月の一冊『共視論 母子像の心理学』

『共視論 母子像の心理学』

前回のエントリーでも触れたこの本の編著は、精神科医の北山修氏、日本語フォークソングの立役者、「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーでもあり作詞家でもありました。

フォークソングという舶来の洋楽に対して、いかに日本語でアプローチするか?作詞家として培った経験がやはり舶来の西洋医学における日本語臨床の場で大いに役に立つのです。北山氏は日本独自の浮世絵文化に着目したうえで精神分析にアプローチします。その日本的な切り口には、まったくの門外漢である私でさえ凄みを感じてしまいます。

サイド・バイ・サイドでのコミュニケーション~共視

ピアノをはじめ鍵盤楽器の多くで、奏者は観客に正対しません。つまり観客と目を合わさずに演奏できるのです。フェイス・トゥ・フェイスを得意としない私にとっては、人前で正対してあいさつしたろ、歌ったりするよりピアノを弾く方が緊張はまだましなようです。

さて『共視論 母子像の心理学』(北山修編)という本で知ったのですが、精神療法の臨床やカウンセリングの際は、フェイス・トゥ・フェイスより隣り合って座ってサイド・バイ・サイドで治療者と患者が語り合い、物事を共有するケースが多いそうなのです。確かにその方が思わず気を許してしまう気もします。

そしてこの本では、浮世絵の母子像に多く見られる「共視」という現象に注目します。

『子は母の視線を追い、母の見ている対象を共に見ながら母の発語を聞く。逆に母も子の視線を追い、この見ているモノを共に眺める。~略~そして、くりかえされる共同作業は、本書やその研究で度々指摘されるように、言語習得と文化継承、そして思考の伝達という機能の意味でも重要である』(前褐書P.16)

この「母子像」のサイド・バイ・サイドでの「共視」は、どこかピアノレッスンに相通じると思います。講師・生徒共に、同じ楽譜を眺め、その曲が弾けるようになるために、言語はもちろん、弾いて音楽でもコミュニケーションを図るのです。私はレッスンでのこの「共視」が大変心地よく、つい本音を漏らしてしまうことが多いようです。

黒鍵ペンタトニック「ライディーン」(Y.M.O.)

「ライディーン」(Y.M.O./高橋幸宏作曲)

再びY.M.O.に話題を戻します。1979年8月のロサンゼルス公演の成功で逆輸入的に国内でも人気が出た直後の9月、2枚目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ―」を発売。国内累計102万枚のメガヒットとなり、その人気は確固たるものになります。

ヒットの要因として、この作品が昭和初期の人気作曲家・中山晋平作品に見られる「流行歌」「民謡」「童謡」の三要素を備えていたことを挙げたいと思います。特に冒頭の三曲にそれが顕著だと思います。

1曲目「テクノポリス」は「流行歌」。作曲した坂本龍一は、ピンクレディーや筒美京平の曲等、当時流行していた人気歌謡曲を分析・研究したうえで、再構築したのがこの曲です。

2曲目「アブソリュート・エゴ・ダンス」は「民謡」。作曲した細野晴臣が得意とするエキゾチックうサウンドで、沖縄民謡をモチーフにしたのがこの曲です。

そして3曲目「ライディーン」は「童謡」。この曲は当時の小学生を中心とした子供に異様なほどに刺さるのです。例えば、1982年放送のドラマ「北の国から」の第13話。北海道・富良野での田舎生活に嫌気が刺した都会育ちの主人公、小学生の純(吉岡秀隆)。久しぶりの東京で旧友の家にてヘッドホンで聴くのがこの曲なのです。当時の流行のほどがうかがえます。

なおこの曲のBメロディは、童謡でおなじみのペンタトニック(二六抜き短音階)になります。

作曲したのはドラムの高橋幸宏。細野の影響下でシンガーソングライターとしての才能を開花させます。そのせいかペンタトニックを用いたメロディ作りを得意とします。

ぷりま音楽歳時記 3-1.ハ長調

ハ長調

この「ぷりま音楽歳時記」も三巡目に入ります。まずは調号なしのハ長調。作曲家リムスキー=コルサコフは「白」とこの調を色聴しています。ピアノは全て白鍵で弾ける調なので思わず納得してしまいます。

<ハ長調の曲>

ピアノソナタ第16番 K.545(モーツァルト)

ソナチネアルバムにも掲載されているお馴染みの曲です。第1楽章、第3楽章がハ長調です。今回紹介するのは、1989年、ロンドンでのライブ映像で、リヒテルの演奏です。照明を嫌ったリヒテル、楽譜や手元を電球一つだけで照らし演奏しています。

今月の一冊『ヤクザときどきピアノ』

ヤクザときどきピアノ

今回は内容が良いのに、タイトル・装丁のせいで損をしているであろうこの本を紹介します。

「サカナとヤクザ」等、暴力団関係の潜入ルポで知られる著者がピアノを習いに音楽教室へ通う体験記です。ABBAの「ダンシング・クイーン」を弾くのを目標にまったくの初心者である著者が発表会で演奏を披露するまでの奮闘記です。

潜入ルポライターならではの実にリアルな筆致に思わずこちらも手に汗を握ってしまいました。

映画を「観」ないで「聴」く楽しみ

最近、2010年公開の映画「シャッター・アイランド」(M.スコセッシ監督、L.ディカプリオ主演)を改めてDVDで観直しました。ミステリー映画で怖いはずなのですが、は話そっちのけで劇伴音楽にやはり夢中でした。劇伴音楽には、ジョン・ケージペンデレツキリゲティ等々、一般的な認知度が高いとは言えない現代音楽の作曲家による作品が用いられているのです。世の中にそう多くはない現代音楽愛好家の私にとっては、映画のBGMとはいえ、2時間強も現代音楽を堪能できる本当に有り難い機会で、異様に気分がアガったのです(映画はミステリー映画なのにもかかわらず)。そして風変りにも映画を「観」ないで「聴」いていたのです。

 

聞きなじみのしない抽象的現代音楽が劇伴の多くを占める中、クライマックスのシーンで、とてもメロディアスな室内楽の調べが流れました。いったい誰の作品か?エンドクレジットを確認すると、後期ロマン派の作曲家、マーラーのピアノ四重奏曲で、若き日の習作で珍しい小品でした。大規模なオーケストラ作品で知られるマーラーの意外な一面を垣間見た気がしました。

そして映画全体で抽象的な音楽が覆う中、一輪の花のような美しい旋律、このセンス溢れる選曲をした音楽監督がロビー・ロバートソンです。ボブ・ディランのバックバンドを務め一躍有名になった「ザ・バンド」のメンバーです。「ザ・バンド」の音楽からは、一見ほど遠いはずの現代音楽での選曲、ロビー・ロバートソンの音楽に対する造詣の深さに興味を持った私は、ザ・バンドからボブ・ディランとこの映画の公開当時に立て続けに聴き漁ったのを思い出しました。

最新ブログ

2025年12月14日
今月の一冊『放送禁止歌』(森達也)
image
『放送禁止歌』(森達也) 映画「福田村事件」の監督でも知られるドキュメンタリー作家、森達也氏によるルポルタージュを今回は紹介いたします。 ... 続きを読む
2025年12月7日
「空気」に「水を差す」~雨垂れ石を穿つ~
image
私は「場の空気を読む」ことにあまりに理解がないので、その学びのために文庫「空気の研究(山本七平著)」を購入。ずっと「積読(ツンドク)」状態でした... 続きを読む
2025年11月30日
黒鍵ペンタトニック「さとうきび畑」(寺島尚彦)
image
「さとうきび畑」(寺島尚彦) さて今回からしばらく日本のフォークソングに焦点をあてていきたいと思います。 その初回は「さとうきび畑」です... 続きを読む

ブログをすべて見る

最新ブログBlog

2025年12月14日
今月の一冊『放送禁止歌』(森達也)
image
『放送禁止歌』(森達也) 映画「福田村事件」の監督でも知られるドキュメンタリー作家、森達也氏によるルポルタージュを今回は紹介いたします。 ... 続きを読む
2025年12月7日
「空気」に「水を差す」~雨垂れ石を穿つ~
image
私は「場の空気を読む」ことにあまりに理解がないので、その学びのために文庫「空気の研究(山本七平著)」を購入。ずっと「積読(ツンドク)」状態でした... 続きを読む
2025年11月30日
黒鍵ペンタトニック「さとうきび畑」(寺島尚彦)
image
「さとうきび畑」(寺島尚彦) さて今回からしばらく日本のフォークソングに焦点をあてていきたいと思います。 その初回は「さとうきび畑」です... 続きを読む

ブログをすべて見る