ぷりま音楽歳時記 2-5. ホ長調
<ホ長調>
ホ長調の調号は#が4つ。作曲家リムスキー=コルサコフはこの調を「煌びやかなエメラルド色」と色聴しています。なるほど自然光のような明るさの調と感じても面白いかもしれません。
<ホ長調の曲>
のどかな朝の情景を描写したかのようなこの曲。エメラルド色のホ長調と朝の光はとてもフィットするように思います。今回は2015年、ズービン・メータ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を紹介いたします。
<ホ長調>
ホ長調の調号は#が4つ。作曲家リムスキー=コルサコフはこの調を「煌びやかなエメラルド色」と色聴しています。なるほど自然光のような明るさの調と感じても面白いかもしれません。
<ホ長調の曲>
のどかな朝の情景を描写したかのようなこの曲。エメラルド色のホ長調と朝の光はとてもフィットするように思います。今回は2015年、ズービン・メータ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を紹介いたします。
團伊玖磨著/小学館文庫/ISBN(13)978-4094083903
以前も紹介しました日本を代表する作曲家、團伊玖磨氏。その曲もさることながら、特に私が好きなのは氏のエッセイ。今回紹介するのは、雑誌「アサヒグラフ」の名物コラム「パイプのけむり」の選集。これはテーマが「食」に絞られています。
音楽家ならではのリズム感溢れる文章で読んでいてウキウキしてきます。こんなセンスのある文章を私も書いてみたいところですが、とても及びそうにありません。特に「金平糖」の話が私のお気に入りです。
私は年に数回、山歩きをします。そのほとんどは夏の避暑が目的です。普段のウォーキングの延長で、ややアップダウンある道を少し長い距離歩く程度です。そして歩き終えた後、その疲れをとるために温泉に浸かるのが何よりの楽しみなのです。同じ山遊びでも、寒い雪山でのスキーなどのウィンタースポーツや山小屋に泊まるような本格的な山登りにはあまり興味はありません。私はともあれ、山の楽しみ方は本当に多種多様で奥が深い。湖畔を眺めるだけでも楽しいし、その一方、命懸けで最高頂を目指す挑戦まであります。まさに頂き高く懐深い。
ピアノも山のような多様性があると思います。ジャンルにしてもクラシック、ジャズ、ポップス等種々多彩。同じクラシックでもバロック、古典派、ロマン派、近現代と時代毎にスタイルが異なります。もちろん作曲家毎にも作風は異なります。膨大なレパートリーの中から自分に合った音楽を探し出すのも本当に楽しいものです。そしてコンクール等、極限状態の中、技術的な頂きを目指すこともできます。発表会などで多少の緊張感を味わいながら演奏を楽しむこともできます。もちろん家で一人で心安らかに弾くのも楽しいです。
私はそんな頂き高く裾野が広く懐深いピアノのガイド役です。皆さんがピアノを楽しめるように、適切なコースを案内したいものです。もちろん私が知りうるピアノの魅力はたかが知れています。でも少しでも多くの魅力に私自身も気づいていけるように日々学んでいきたいと思います。
(数年前に撮影した奥日光・刈込湖の写真。涼しかった~♪)
日本のノベルティソングで欠かせないのは、何といってもクレージーキャッツでしょう。「昭和」の高度経済成長真っ盛りの折、国中を笑いに包みこんだコントグループです。しかもただの「お笑い」グループではなく、メンバー全員、進駐軍のキャンプ回りで、その名を轟かせた腕利きのミュージシャンでもあります。
そもそも現在名だたる芸能事務所、渡辺プロ・ホリプロ・サンミュージック・田辺エージェンシーは、みな進駐軍のキャンプ回りのミュージシャンをを経て創業しました。クレージーキャッツは渡辺プロの屋台骨を支え、映画・テレビで大活躍するのです。
クレージーキャッツの陽気で「C調」な曲は、実にペンタトニック(特に四七抜き長音階)の曲が多く、どの曲を選ぶか悩むほどです。ですが、今回は「ホンダラ行進曲」を取り上げたいと思います。
この曲はイントロで「軍艦行進曲」と「丘を越えて」を掛け合わせたパロディ行進曲。どこかへ行進したい抗しがたい気持ち、平和な現世でどこへ行進したらよいかも分からない。けれど「ホンダラッタホイ」と進もう(ラジオ「大瀧詠一の日本ポップス伝」より)。
前回のオリンピックの翌年、1965年に発表のこの曲。どこか今の世相にも通じるところもあるかもしれません。
ジム・フジーリ著/村上春樹訳/新潮文庫/ISBN(13)978-4102179611
ザ・ビーチ・ボーイズの傑作アルバム「ペット・サウンズ」。この本はその制作過程やバンドの中心であるブライアン・ウィルソンの波乱万丈の人生に迫ったノンフィクションです。
暴露的であったり批判的な内容が多いこの手のジャンルの中で、この著者のこのアルバムやブライアンに対する偏愛ともいえる深い愛情を感じられ、読後、心地よい幸福感に包まれました。
文中に出てくる曲を動画サイトで探して、聴きながら読むのがおすすめです。訳者はかの村上春樹です。
最近ブライアン・ウィルソンのアルバム「At My Piano」をよく聴きます。ブライアン・ウィルソンはお馴染みの「ザ・ビーチ・ボーイズ」のリーダーでシンガーソングライターです。ですがこのアルバムでは、なぜか歌なしのピアノだけのインストゥメンタルの曲集になります。
私が衝撃を受けたのはその響きです。今や解像度の高いハイレゾな音が巷に溢れる中、昔懐かしのモノラルで録音されています。これは4K・8Kと画質がよくなったカラー液晶のテレビで、白黒の番組放送されることと同様と言えるでしょう。普通の古いモノラル録音でもピアノの場合、不思議と自然な響き(左から低音、右から高音)を感じるのですが、このアルバムでは最後の1曲を除き、すべての音域が中央に集まるように意図されているようです。中央に音が集中し固まっても、うるさくなく、それぞれの音域で音色の濃淡が異なるので、まるで水墨画のような深遠な音世界を感じたのです。これまで味わったことのない「古くて新しい」響きに、驚きと共に溢れる歓びを感じました。
私にとって音楽を聴くことは、日常生活において欠くことができません。そしてもっと深く音楽を味わいたいものです。私が演奏技術を学び続けるのも、クリエイターの創意を少しでも肌身で感じたいからです。聴く分には簡単に思える技術でも、実際に演奏してみると意外に難しく苦戦することがあります。こうした実体験を重ねる毎に、演奏家をはじめクリエイターの皆さんに対する経緯が深まるのです。これからも今まで以上に大切に音楽を聴いていきたいと思います。
昨今、世代を超えて全国的にヒットする曲が出にくくなりました。とはいえ、近々でも「うっせぇわ」がヒット。詞の内容がこの世相を皮肉る面もあり、「滑稽な持ち味」の音楽、いわゆるノベルティソング(コミックソン)の一種と言えます。このタイプの曲は数年おきに流行し、まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」といったところでしょう。
ノベルティソングにはペンタトニック(5音階)の四七抜き長音階がよく用いられます。この音階は元々「田舎節」とも呼ばれ、音階そのものにどこかコミカルな雰囲気があるのかもしれません。今回よりしばらく映画・テレビ・CM等で使用される曲で、5音階を用いて作られらたのベルディタイプのものを、懐かしい曲を中心に紹介していきたいと思います。
まずスタートは、懐かしのCM曲、レナウンの「ワンサカ娘」です。1961年に発表され、弘田三枝子やシルヴィ・ヴァルタン等様々な歌手に歌われ、1990年代まで放映され続けたCM界きっての名曲です。時代の変化に応じたアレンジに耐えうる骨太さが5音階のメロディにはあるのでしょう。なおこの曲の作詞・作曲は小林亜星氏。この曲が作曲家としての出世作となりました。
弘田三枝子のバージョン
シルヴィ・ヴァルタンのバージョン
細川周平/岩波書店/ISBN(13)978-4000272261
コロナ禍で出版された音楽書で、私が個人的に最も衝撃を受けたのがこの本。江戸末期から第二次世界大戦までの日本の大衆音楽史をまとめた全4巻の大著です。
ジャンル・時代等々、各論的に大衆音楽を扱う本は多いですが、通史としてまとめたのがこの本の驚異的なところです。
難点は専門書なので高価なこと、気軽に手を出せません。ですが心配ご無用。春日部市立図書館に無事所蔵されましたので、ご興味のある方はぜひ借りてお読みください。
以前、私はひどい蕁麻疹に悩まされたことがありました。病院の皮膚科で抗ヒスタミン剤を注射しても、薬を処方してもらっても効かず。困って東洋医学的な治療をする病院に変えて漢方薬を処方してもらったら即改善。やはり西洋式の治療だけでは東洋人の私には不十分なこともあるのだと、この時思い知りました。
ピアノに対してもこれに似たような感覚に陥る時があります。東洋人の私には、この西洋の楽器はどこかフィットしきらないと感じてしまうのです。その違和感はごくわずかなのですが、一体それが何なのか?よく分かりません。
その点、歌謡曲をはじめとした邦楽ポップスでは「言葉」という明確な文化的な違いがいつも問題となりました。洋楽曲を原語そのまま直輸入するのではやはり不十分で、メロディをそのままに歌詞だけわたしたちに通じる日本語に翻訳されることが一般的です。ただし原語から直訳ではメロディに日本語がきれいに乗らないことも多いのです。だから意訳をする等、あの手この手で創意工夫されました。そして洋楽のメロディと日本語の歌詞がフィット。明治以降のこうした試行錯誤の延長線上に現在のJ-popは連なるのです。
邦楽ポップスでの先人の創意工夫を知ることは私自身大変勉強になります。ピアノは器楽なので、直接的には言葉の問題はありません。ですが、やはり直訳的に理解しようとするには限界があると感じています。あの手この手を尽くし、意訳的な創意工夫で自分の身体とピアノが違和感なくフィットしたいものです。そしていつか深く掘り下げてピアノを弾いてみたいものです。
坤輿万国全図(17世紀初めイタリア人の宣教師マテオ・リッチが作成した漢訳版世界地図)
「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」(西城秀樹/J.Morali)
2018年年末、レコード大賞で、優秀作品賞を授与された「U.S.A」。その受賞パフォーマンスで、DA PUMPが曲中に「YOUNG MAN」の振り付けをして話題になりました。
なぜ彼らが「Y.M.C.A」と踊ったのか?ここから私の勝手な推測になります。この2曲とも外国曲のカヴァーでダンスナンバー。しかもメロディの主要部が共にヒット曲の鉄則ともいえるペンタトニック(5音階)。先達の「YOUNG MAN」に倣ってヒットした「U.S.A」。DA PUMPがその年に亡くなった西城秀樹に弔意を示すのは尤もです。しかも「YOUNG MAN」は「ザ・ベストテン」で歴代最高得点を記録するほど、1979年を代表する曲だったのに、外国曲であったせいで、レコード大賞にはノミネートすらされなかったのです。当時の無念を晴らす意味もきっとあったのでしょう。
なおこの「YOUNG MAN」は当時、西城秀樹のバックバンドだったメンバーがハワイに行った時に、現地で流行しているのを覚えてきて、そのままレコーディングしたとのこと。そのバックバンドこそ後の「SHŌGUN」です。この曲のヒットの直後、自らも表舞台に立つことになります。松田優作主演のドラマ「探偵物語」の主題歌、「BAD CITY」等でヒットしました。
<ト長調>
ト長調は調号は#1つ。マッテゾン曰く、「ほのめかすようでいて、雄弁」。なるほど冗舌とかおしゃべりというイメージということでしょうか。
<ト長調の曲>
アイネ・クライネ・ナハト・ムジークK.525(モーツァルト)
冗舌な曲といえば、モーツァルトの代表曲であるこの曲を取り上げないわけにはいきません。今回紹介するのは2005年、ドイツ・ザクセン州、ラメナウ城でのゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏です。
楽譜はとても優れた記憶メディアで、私たちが現在、300年近く前の音楽を演奏できるのも作曲家が楽譜に書き残してくれたおかげといえます。
ただあまりに楽譜が優れているので、その通りの音の高さ・長さで演奏さえすれば、それらしくなります。ですから私たちはつい楽譜通り間違えずに演奏することを重要視してしまいます。
ですが「人生が筋書きのないドラマ」である様に、演奏でも楽譜通りにいかない場面に出くわすことはままあります。どんなことがあっても間違えないで演奏するよう備えることは、もちろんある程度は可能です。時間をかけ、何度も反復練習を重ね、徹底的に体に叩き込んで覚える方法です。でもこうした競技的なスリルある方法は、練習に専念できる環境が整っていて、時間も体力にも余裕のある人に限られます。日常生活を営みつつ趣味としてピアノを楽しむ方法としてはあまりお勧めできません。
となれば、やはり演奏中に、ある程度間違えてしまうのは致し方のないことだと私は考えます。「間違えないよう」と注意深く演奏する以上に大切なのが、「間違えたらどうするか?」です。つまりその場で「機転」を利かせてその間違えを何とかのりこえてしまうことだと私は考えます。
音楽での「機転」とは「即興(アドリブ)」です。これはクラシックピアノのメソードには、あまりなく私自身も試行錯誤の真っ最中です。ですが「黒鍵ペンタトニック」でその糸口をつかんでみたいと思います。コロナも5類に移行した今、始動したいと思います。
五線譜の前身、グレゴリオ聖歌の譜線ネウマ(14~5世紀)
「真夏の出来事」(平山三紀/筒美京平作曲)
今回は前回のエントリーで紹介した筒美京平が作曲した平山三紀が歌う「真夏の出来事」です。
1970年代初頭に筒美京平は“メロディー・メーカーからサウンド・メーカー”へと何度か語っているのだがまさにその通りで「真夏の出来事」こそが、“サウンド・プロダクション”の必要性を痛切に感じていた筒美京平の“サウンド作り”の一つの完成形を提示した日本のポップスの金字塔である。(CD「Kyouhei Tsutsumi History」ライナーノート58頁)
筒美とこの曲を作詞した橋本淳とが共同で設立した事務所に平山は当時所属していました。つまり身内ともいえる平山の曲で、筒美は新たなるサウンド作りを遠慮なく試行錯誤したのでしょう。
この曲では、平山の歌唱に対し、楽器・コーラスがバックで見事に絡み合ったサウンドを作り上げます。そしてそこで鍵を握るのが、ペンタトニック(5音階)なのです。
譜例①のベースラインに譜例②のイントロが重なります。譜例③のイントロ終わりから譜例④の歌い始めへとスムースに受け渡されます。譜例①~④のいずれもペンタトニック(5音階)で作られています。5音であれば、メロディが複数重なっても、お互いに衝突せず共存することができるのです。
これぞ筒美京平の作曲術の妙と言えます。
<ハ長調>
ハ長調は調号なし。マッテゾン曰く、「粗野で軽率だが、歓喜や歓びに満ちている時にふさわしい」とのこと。これには首を少し傾げるところも…
<ハ長調の曲>
弦楽セレナーデ op.48 第1楽章(チャイコフスキー)
ハ長調の音階で駆け上がって、冒頭のテーマが度々繰り返されるのがとても印象的な曲です。今回紹介するのは1990年に収録された小澤征爾指揮、水戸室内管弦楽団の演奏です。
近田春夫/文藝春秋/ISBN(13)978-4166613250
週刊文春の人気コラムだった「考えるヒット」でおなじみの音楽家、近田春夫。この本は2020年に亡くなった筒美京平についての近田の論考です。年代順に追っていてしかも会話調の文体なので大変読み易いです。この本で一番衝撃を受けたのが、小学生になったばかりの筒美が初めて作曲した「さんぽかいのうた」の楽譜。処女作にして全編、5音階(ペンタトニック)で作曲しているのです。ペンタトニックでの曲作りは、まさに「三つ子の魂百まで」だったのです。
今から十年ほど前まで、6月の父の日には、毎年、恵比寿ガーデンプレイス恵比寿麦酒記念館(現在休館中)で「お父さんのためのピアノ発表会」が催されていました。教室からも生徒さんが参加することもあり、私はそのお手伝いで毎年参加していました。
中には毎年のように参加される常連のお父さんもいました。しかも、毎回弾く曲は決まっていて、ベートーヴェンの月光ソナタの第1楽章でした。当時まだ青二才の若造だった私は「いつも同じ曲ばかり弾いて、飽きないのかな?」と思っていました。ですがその月光のお父さんの演奏を毎回聴くにつれ、その考え方を改めました。最初は、曲の最後まで何とか辿りつくので精一杯だったのに、年々腕を上げていき、曲の起承転結の聴かせどころを見事に弾ききり、板についた演奏になったのです。まさに「雨垂れ石を穿つ」とはまさにこのこと。年々コツコツと進(深)化していく月光のお父さんからわたしはとても大切なものを学びました。
やはり曲を一度弾いただけでは勿体ない(特にクラシックの曲は)。何度も塗り重ねることで漆器に味わいが増すように、演奏も何度も弾き重ねることで深みが増すように思います。
以前、現在、100歳を超えて現役のピアニストである室井摩耶子さんの記事を読みました。「80歳の頃になってようやくピアノが分かってきた」と仰ってました。となれば私なぞまだまだ青二才。ピアノの果てない奥深き魅力に少しでも触れられるよう、一歩ずつコツコツと弾き重ねていきたいものです。
「柔」(美空ひばり)
前回に引き続き、美空ひばりの曲を取り上げます。前回はそのレパートリーの幅広さについて触れましたが、今回は「演歌の女王」である美空ひばりに焦点を絞っていきたいと思います。
戦後、三橋美智也の民謡調歌謡曲や、三波春夫の浪曲調歌謡曲が流行しました。そこで戦前から活躍する大御所作曲家、古賀政男が目をつけたのが、浪曲師・村田英雄でした。「無法松の一生」「人生劇場」と古賀が作曲した曲を歌うもののヒットには至りません。
ところが、1961年、当時、新鋭の若手作曲家であった船村徹が、村田へ「王将」を提供します。すると戦後初のミリオンセラーとなり、爆発的にヒットします。自らが発掘した歌手を生意気盛りの若手作曲家に横取りされての大ヒット、ベテランの古賀は忸怩たる思いをしたに違いありません。それから3年、東京五輪の1964年。歌手として円熟期に達した美空ひばりに古賀は「柔」を提供。180万枚を売り上げ、ベテランの面目躍如となります。
なおこの曲は全編、四七長音階。船村も得意とする田舎節を用い、さながら古賀の横綱相撲。後の「悲しい酒」(1966年)と共に、ひばりの代表曲となります。そしてこの曲は当時確立したばかりの昭和演歌の雛型にもなります。
<ニ短調>
ニ短調の調号は♭1つ。英名でD-minor、独名でd-mollです。ラテン語で神を表す「Deus」の頭文字でもあるので、教会音楽で使用されることが多い調です。
<ニ短調の曲>
レクイエム ニ短調 K.626(モーツァルト)
モーツァルトの未完の遺作。死者のためのミサ曲であるレクイエムに、ニ短調は相応しいと思います。今回紹介するのは、1991年に収録された、ガーディナー指揮による古楽器オーケストラによる演奏です。第11曲、サンクトゥスは、同主調のニ長調で祝祭的な雰囲気も。
伊藤友計/講談社/ISBN(13)978-4065227381
このコロナ騒ぎの中、私にとっては近年まれにみる音楽本の出版ラッシュ、読みたい本が続々と出版され嬉しい限りです。その中でも特に驚き、深く感心したのがこの本です。前回のエントリーで触れたマッテゾンの「新設のオルケストラ」についても触れられています。一般書ではありますが、少し内容が難しいので、ご興味のある方は前々回のこのコーナーで触れた「古楽のすすめ」を読んでから挑戦すると、多少理解しやすくなるかもしれません。
いつも毎月第2週目に更新しています「ぷりま音楽歳時記」、来週の更新で、すべての長調・短調の紹介を終えることになり、計24調、一巡することになります。ということはこのブログをはじめて丸2年が過ぎることにもなります。
西洋音楽の長・短調によるシステムは本当によく出来ています。それぞれ「12」、すなわち時間や月を表すのにも使われる「ダース」という単位で、実に日常生活に溶け込みやすいと思います。
ただこの24調による音楽の歴史自体はそう古くはなく、確立したのが18世紀の前半。まだまだ300年程度に過ぎません。これは大バッハが活躍した時代とほぼ一致します。確立したばかりの24調を全て用いて「平均律クラヴィア曲集」を体系的に作曲したため、大バッハは「音楽の父」と呼ばれるようになったのです。
A.シフによる「平均律クラヴィア曲集」全曲演奏<ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール>(第1巻:2017年 第2巻:2018年)
24調の理論的な確立において、バッハと同年代の作曲家で理論家であるマッテゾン(1681~1764)が1713年に記した「新設のオルケストラ」がその到達点の一つとされています。その中でマッテゾンは17の調については、各々から想起される情感の言葉を当てはめています。各調から何か言葉を当てはめるのは、古代ギリシアのプラトンの頃から脈々と続く西洋の習慣ともいえましょう。音階を単なる音の連なりとせず、それぞれの調の特性を見出そうという試みは、私にはとても魅力的で、西洋音楽の奥深さを感じます。
「音楽歳時記」が2巡目に入る来月からは、マッテゾンが各々の調に当てはめた言葉も紹介しつつ進めていきたいと思います。
「リンゴ追分」(美空ひばり/米山正夫 作曲)
戦後の歌謡曲といえば、この人を取り上げないわけにはいきません。美空ひばりです。
そのレパートリーは幅広く、いわゆる古賀メロディのような演歌調はもちろん、ブギ、マンボ、ロカビリー、ツイスト等の「リズム歌謡」もお手の物。時々で流行するものなら何でも取り入れる貪欲さで、あげくジャズナンバー等の洋楽曲のカバーまで歌いこなします。ひばりが辿ったキャリアそのものが、「戦後歌謡史」といっても過言ではありません。
上記の「リンゴ追分」は、ひばりが15歳の1952年に発売されました。作曲は米山正夫(1912~1985)。米山はキャリア初期のひばりには欠かせない作曲家で、「ロカビリー剣法」「ひばりのドドンパ」等々手がけます。これおらのタイトルからも分かるように米山は外来のリズムと日本の民謡を和洋折衷して歌謡曲に仕立て上げる名人で、ペンタトニック(5音階)はその媒介にもなりました。「リンゴ追分」も一部を除き、「二六抜き短音階」で作られています。
なおこの曲に憧れた野口五郎が、米山の門下生になりたくて、関連のオーディションを受け続け、結果、演歌歌手としてデビューします。ですがヒットせず、ポップス歌手に転向して西城秀樹、郷ひろみらと「新御三家」として活躍、成功をおさめます。
1952年ひばり主演の映画「リンゴ園の少女」
細馬宏通/ぴあ/ISBN(13)978-4835646251
流行歌は意外にも歌詞・メロディ・リズム・コード進行(伴奏の和音)等、様々な要素があり複雑に出来ています。分析する時はそれぞれの要素だけを、つい抜き出しがちに。ですが、この本では複雑な「うたのしくみ」について各章一曲ずつ丁寧に解説しています。にもかかわらず難しい専門用語もあまり用いず、分かりやすい言葉で書かれているのが、大変素晴らしいです。私はシーズン2の12「おどけた軍歌」の話が特に気に入っています。
日常の移動を出来るだけ徒歩にするようになって私のスピード感に大きな変化がありました。自転車をペダルでこぎ進むスピードすら今では速すぎて、少し怖さすら覚えます。車の運転など無理、もはや完全なペーパードライバーです。
確かに徒歩だと時間がかかるというデメリットはありますが、速いスピードでは気づかなかった小さな街の変化にも敏感になり面白くなってきました。どうやら私にとって慌てて先を急ぐより、ゆっくりじっくりと歩を進める方が、どうやら性に合うようなのです。
それはピアノの練習でも同様のようです。楽譜を初見でさっと鮮やかに弾きこなし、次々と新しい曲に挑戦し続けるのは、あまり自分には向いていないようです。それより同じ曲でも、角度を変えて色々なアプローチで何度も反復していくことで、つぶさに曲の魅力を味わえるように感じられ、じっくり進めた方が面白いのです。
それでは大して進歩しないじゃないか?そう思われるかもしれません。18世紀の大哲学者カントは、毎日・同じ時間・同じ経路での散歩が日課だったそう。一見同じことの繰り返しでも、どこかに小さな変化があり、それが大きな創造力となり、カントの哲学的大発見に繋がったと考えます。
日々のレッスンでちっとも進歩していないと嘆かれる方、どうぞご心配なく。レッスンを継続している限りはどんなに小さな歩幅でも進んでいきます。私はその小さな変化を見つけ出すのが好きなのです。ですから共に小さな進歩を見つけ出しながら、大きな創造力に繋げていきましょう。
「男の子女の子」(郷ひろみ/筒美京平 作曲)
前回は女性アイドルの曲を紹介しましたので、今回は男性アイドルを取り上げたいと思います。
古今東西アイドル稼業は「なんでも屋」の側面があると感じます。歌って、踊って、演技して、喋って等々、歌手一本に専念できません。しかも年端もいかずデビューするので、その段階で歌唱力が不安定なのも無理はありません。
郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」(1972年)もその歌唱力へ充分配慮された曲と言えます。その配慮とは、この曲は全編「四七抜き長音階」で作られている点です(一か所を除き)。
明治の学校教育に唱歌を導入した立役者、伊澤修二が西洋音楽を学びにアメリカに留学した際、長音階の4番目「ファ」と7番目「シ」の音程を正確に歌うのに苦労したという逸話があります。自身の留学経験から、唱歌集を作成する時に子ども達が歌いやすいように「四七抜き長音階」を重用したのです。
「男の子女の子」も、この明治唱歌の伝統に倣ったと言えるでしょう。そしてこの曲は歌手本人のみならず、誰もが口ずさみやすいので、ヒットするのも当然と言えます。
なおこの曲を作曲したのは、「歌謡曲の巨人」筒美京平です。郷のシングル曲はデビューから連続20作、筒美が手がけます(中途一作、外国曲を挟みますが)。
金澤正剛/音楽之友社/ISBN(13)978-4276371057
私たちが普段あたり前のように使っている階名「ドレミファソラシ」や記号「#・♭・♮」などは、いつ、どこで、どのように使われだしたのか?その起源を気にすることはあまりないと思います。
この本ではその疑問について応えてくれています。本のタイトルだけだとやや馴染みにくく見えてしまいますが、「バッハ以前の音楽」である「古楽」に興味を持つと、また異なる観点から現在の音楽を眺められ、面白いかもしれません。
<ハ短調>
ハ短調の調号は♭が3つ。同主調のハ長調はイノセントな印象のハ長調。ハ短調はその反面のダークサイドとして用いられることが多いと感じます。
<ハ短調の曲>
「交響曲第5番<運命>」(ベートーヴェン)
ハ短調の代名詞的な存在ともいえるのがこの曲。激しく葛藤するかのような第1楽章がハ短調。祝祭的な終楽章はハ長調でその対比は見事。今回紹介するのは、1981年10月29日東京文化会館でのカラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニーの演奏です。