- 春日部で約半世紀。あなたの街の音楽教室。ミュージックファームぷりま

ピアノ・声楽・ギター・バイオリン・フルート・クラリネット

黒鍵ペンタトニック「夏色」(ゆず)

夏色」(ゆず/北川悠仁:作曲)

前回取り上げた「結婚しようよ」や「神田川」等、70年代の初頭で、ヒットするフォークソングの雛型が出来たといえるでしょう。そしてそこに触発された歌謡界は、貪欲にフォーク・ニューミュージック畑から人材を掘り起こしていきます。その代表格が作詞家・松本隆といえるでしょう。フォークの神様と呼ばれた岡林信康のバックバンドも務めた「はっぴいえんど」の元ドラマーで、バンド解散後は職業作詞家に転身しました。転身直後、チューリップに提供した「夏色のおもいで」(1973)の詞が作曲家・筒美京平の目にとまり、それをきっかけに筒美&松本の名コンビが誕生します。このコンビでの初期の作品には、今や大ベテランとなったThe ALFEEのデビュー曲「夏しぐれ」(1974)もありますが、残念ながらヒットせず。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975)でブレイクしてこのコンビが時代の中心に躍り出るのです。

さて今回取り上げるのは、「夏」つながりで、ゆずのデビューシングル「夏色」(1998)です。フォーク歌謡が確立しておおよそ四半世紀後のJ-popの名曲です。そしてそれからさらに四半世紀以上経った2024年に改めて本人たちにより再録音されました(編曲はトオミヨウ)。この曲を作詞・作曲したゆずの北川悠仁は「パンツ一丁で作った曲がこんなに有名になってずっと歌うとは思わなかった」と振り返っていますが、先に挙げたフォーク歌謡のDNAを色濃く受け継いでいるように思えてなりません。なお、この曲のAメロディは、四七抜き長音階、黒鍵だけで弾くことが出来ます。

 

黒鍵ペンタトニック「結婚しようよ」(吉田拓郎)

結婚しようよ」(吉田拓郎)

1970年代に入ると日本での若者たちによる「政治の季節」に陰りが見え、1972年2月の「あさま山荘事件」でその風はすっかりと止んでしまいました。フォークソングも「政治の季節」と決別し、この事件が終結した翌3月にオリコンチャート3位まで駆け上がったのが、よしだたくろう(吉田拓郎)の「結婚しようよ」です。

これまで社会的なメッセージを背負いがちだったフォークソングで、若者たちの等身大の姿を私小説的に表したてんでこの曲は画期的で、翌年発表された「神田川」(かぐや姫)と共に日本のフォークソングの方向性を定めるに加え、従来の歌謡曲にはない新機軸、「ニューミュージック」の嚆矢ともなるのです。

なおこの曲の編曲を務めたのは、加藤和彦です。そして録音には後の「ティン・パン・アレー」の林立夫と松任谷正隆が参加します。なお松任谷はこの曲でレコーディングデビューを果たします。のちにアルバム「ティン・パン・アレー2」(1975)では松任谷アレンジによるこの曲のインストルメンタル版を聴くことが出来ます。

この曲に脅威を感じたのが、歌謡曲の巨人、筒美京平。「たくろうさんの『結婚しようよ』が出た時は、こりゃあ大変だと思った。やっぱり新しかったと思う。」と回想しています。

この曲のメロディは全編、四七抜き長音階で作られています。メロディが5音なのに、そのサウンドが新しかった点に筒美は吉田拓郎の才能を認めたのでしょう。

今月の一冊『フォークソングが教えてくれた』

『フォークソングが教えてくれた』

学生運動では、考えが近しい党派間ほど仲が悪く「内ゲバ」が起こってしまいました。日本のフォークソングの界隈も、仲間同士それほど仲が良くなくて、面倒で複雑な人間関係をつい思い浮かべてしまいます。そのせいか書籍でもフォークソングを各論的に論じるものはあっても、総論的に論じるものは滅多に目にしません。日本のフォークソングを概観するこの本は、私のような後追い世代にとっては大変分かりやすくありがたいです。

黒鍵ペンタトニック「白い色は恋人の色」(ベッツィー&クリス)

「白い色は恋人の色」(ベッツィー&クリス/作曲:加藤和彦)

1967年12月「帰ってきたヨッパライ」でデビューしたザ・フォーク・クルセダーズは、翌年12月、シングル「青年は荒野を目指す」を発表し、自ら定めた1年の期間限定の活動を終え解散します。その後、メンバー各々、ソロ活動を始めます。特に加藤和彦の音楽スタイルはフォークにとどまらず、1970年代は、サディスティック・ミカ・バンドを率いてロックスタイルで活動します。70年代末から80年代初頭は、バックバンドにY.M.O.のメンバーを従え「ヨーロッパ三部作」を制作する等、変幻自在にそのスタイルを変えていきます。それに加え、他アーティストへのプロデュースや楽曲提供も行い活躍しました。2009年、62歳で急逝、2024年にはドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家加藤和彦とその時代」が公開され、その音楽作品の再評価の機運も高まっています。

加藤の最初のソロアルバム「ぼくのそばにおいでよ」(1969)の発表とほど近い時期にアメリカ人のフォークデュオ、ベッツィ&クリスへ楽曲提供したのが、今回紹介するこの曲。作詞したのは、やはりザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった北山修です。作詞家として成功したのち、精神科医として大学教授としても活躍しました。なお加藤&北山コンビで作られた代表曲が「あの素晴らしい愛をもう一度」(1971)になります。

この曲の冒頭のメロディは四七抜き長音階で作られています。サビで第7音が加わって盛り上がる王道的な展開の曲といえます。

黒鍵ペンタトニック「悲しくてやりきれない」(加藤和彦)

「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ/作曲:加藤和彦)

さて「竹田の子守唄」のほかに、フォークソングで発売禁止になった代表曲に「イムジン河」(1968年)があげられます。「帰ってきたヨッパライ」で鮮烈にデビューしたザ・フォーク・クルセダーズのセカンドシングルとして準備するも直前で政治的配慮のため発売中止に。ザ・フォーク・クルセダーズの一員、加藤和彦はこの件を次のように回想しています。

『クレームが両方から来たのね。朝鮮総連の方は、北の歌だからうちの歌を出すのはけしからん。韓国のほうにしてみれば北賛歌だからそんなもん出すんだったら東芝製品買わないぞって、東芝に圧力がきちゃったわけ。両方から来たから、どうにもしょうがないの、もう。』<『エゴ 加藤和彦 加藤和彦を語る』P.56~57>

出荷済みのレコードの多くは自主回収、発売元の東芝音楽工業は大損害を被ります。ただし、制作陣は転んでもただでは起きません。以下、再び加藤の回想です。

『(音楽出版社・社長)石田さんは、「こういうわけで発売中止になった」という言い方しないで、「加藤、次出さなきゃなんないから、曲作れ。ギター持って来させてあるから」。あるんだよね、ギター。「ここを三時間貸してあげるから、作りなさい。鍵かけるよ」と出てっちゃって。確かめたらホントにかぎかかってて、「あのヤロー」。悔しいから、「イムジン河」のコード全部書いて、それを逆からたどって。そのまま曲作ったんだよね。それが「悲しくてやりきれない」。』<同上>

まさに逆転の発想で名曲が誕生します。なおこの曲もほぼ四七抜き長音階で出来ています。

黒鍵ペンタトニック「竹田の子守唄」(京都地方民謡)

「竹田の子守唄」(京都地方民謡)

「フォークソング」とは元来、伝承された民謡や民俗音楽等を指します。19世紀、アメリカ各地でその類の音楽が蒐集されます。1960年代、冷戦下で「フォークソングリバイバル」の流れが生じます。これは単に民謡の蒐集にとどまらず、人種差別やベトナム戦争への反対運動等、若者の政治・社会運動と密接に連動してきます。

このムーブメントは日本にも上陸。その影響を色濃く受けたであろう1曲が今回紹介する「竹田の子守唄」です。この曲は1964年末に京都・伏見区で採譜・編曲された民謡で、関西フォークの界隈で広く伝播します。そして1971年、フォークグループ「赤い鳥」がこの曲を再録音しシングルA面曲として発表します(かの名曲「翼をください」をB面にさしおいて)。発表後3年で100万枚を越える大ヒットとなります。70年代前半までは多くの歌手にもカバーされるなど、日本のフォークソングの代表的な曲といえました。

ところがこの曲の出自が被差別部落であることが広く知られるようになると、メディアは放送・販売を自主規制し自粛するようになります。その経緯の詳細は前々回のエントリーで紹介した「放送禁止歌(森達也著)」をご参照ください。

21世紀になり自粛も緩和。再び様々なメディアでこの曲を耳にするようになりました。なおこの曲は「二六抜き短音階」の曲として編曲されていて、黒鍵だけで弾けます。下記は「赤い鳥」がインディーズレーベルURCで発表した1969年のヴァージョンです。

黒鍵ペンタトニック「さとうきび畑」(寺島尚彦)

さとうきび畑」(寺島尚彦)

さて今回からしばらく日本のフォークソングに焦点をあてていきたいと思います。

その初回は「さとうきび畑」です。詞曲とも手がけたのは作曲家、寺島尚彦氏。当時、寺島はシャンソン歌手、石井良子の伴奏者を務めていました。なので、この曲を厳密な意味でフォークソングと呼びにくい面もあります。ただ、この曲の初めての録音が「森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNO.2」(1969年)であること、続いて1971年に上條恒彦が2枚目のシングルのB面にこの曲を録音した等、60年代末から70年代初頭のフォークブームで広まった「反戦」と「沖縄復帰」を願う強いメッセージソングといえました。

寺島は石井好子の公演のため日本復帰前の沖縄に訪れます。沖縄戦跡地の摩文仁の丘を目指しサトウキビ畑に埋もれ移動する中、戦没者たちの怒号と鳴咽を感じた寺島は曲作りを決意します。そして11番まで詩がある10分以上の長い曲が出来上がったのです。

『ある時ふと「ざわわ」が思い浮かんだ。これかもしれない、これだ、と思ったのだが、それでもまだ軽々しい響きに聴こえはしないか。でもこれ以上烈しい言葉ではシュプレヒコールになって音楽を壊してしまう。それならば繰り返すことによって広い空間を想起してもらおう。こうして納得する形が出来あがったとき、「ざわわ」は66回も繰り返されることになってしまった。』(「さとうきび畑 ざわわ、通り抜ける風」P.42~43)

なお「ざわわ」の詞の部分は四七抜き長音階で出来ています。

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