電気を必要としないアコースティック楽器のよいところ
ここ最近、お隣の千葉県沖で地震が多いのが気になるところです。万が一の非常事態になっても心配ないように、私も簡易な太陽光パネルとポータブル電源を準備しています。やはり日常生活に電気は欠かせません。
さてふと思い出したのが、数年前の出来事です。教室のビルの地下にある電源装置が浸水したため、ビル全体が停電してしまいました。復旧まで丸一日近く電気が使えなくなってしまったのです。もちろん困るには困ったのですが、レッスンは通常通り行えました。そう、我が教室でレッスンする楽器は全て、電気を必要としないアコースティック楽器のみだからです。ポータブル充電器等を使って譜面を照らす灯りを何とか準備するだけで、ほぼいつも通りにレッスンすることが出来ました。
アコースティックは平時、エレクトロニックに比べると面倒で手間がかかります。ですが、停電等の非常時にはそれが一転。電気を要するエレクトロニックの機器は全く使い物にならなくなるのに対して、アコースティックの楽器は泰然自若としたもの、実に頼もしい限りでした。住宅事情等で、普段は電子ピアノで練習する方も多いと思いますが、レッスンではどうぞ、グランドピアノのアコースティックな頼もしさを堪能していただければと思います。
そうそうアコースティック・ピアノは湿度管理が上手だとその状態を保てます。乾燥には加湿器、湿度が高ければ除湿器があれば理想的です。すると悲しいかな、それにはやはり電気が欠かせません。
教室で使っている加湿器です♪
黒鍵ペンタトニック 「紅屋の娘」(中山晋平)
「紅屋の娘」(中山晋平)
中山晋平が作曲家のキャリアを劇中歌の作曲でスタートしたのは、「ゴンドラの唄」を紹介した時に述べた通りです。
昭和になり、新メディアである映画の誕生以降、晋平についてまわるのが映画での「劇中歌」です。1928年、アメリカの無声映画「マノンレスコオ」に日本独自の主題歌「マノンレスコオの唄」を晋平が作曲してヒット。以降、国内制作の映画でも主題歌を作るのが習慣化します。その最初が映画「東京行進曲」(1929年)で主題歌を晋平が作曲します。映画公開に先立ちレコードを販売したところ、25万枚の売上げを越える大ヒットとなります。映画とタイアップした晋平作曲の主題歌は「愛して頂戴」「唐人お吉の歌」「アラその瞬間よ」「この太陽」等々次々とヒットしていきます。(ただしこれらのヒット曲はみな四七抜き短音階で作られているので、残念ながら黒鍵だけでメロディを弾くことはできません。)
今回は晋平最大のヒット曲「東京行進曲」のカップリングのB面、「紅屋の娘」を紹介します。この曲は四七長音階で出来ているので、黒鍵だけで演奏できます。なおこの曲のレコードでピアノ伴奏を務めるのは作曲家である晋平自身です。
ぷりま音楽歳時記 2-10.変ホ長調
今月の一冊 岡野弁著『メッテル先生』
日本の音楽に貢献したウクライナ人音楽家「メッテル先生」
以下2022年7月号の「おたより」から転載です。
大体、戦争なんてごく一部の権力者や戦争で利潤を獲得する死の商人他除くと誰の得にもなりはしない。何よりそれに巻き込まれる市井の人々は本当に悲惨の一語に尽きます。ただでさえコロナで面倒だったのに、どうしてさらなる厄介が生じてしまうのか?このような人の業の深さは歴史を知ることで、その一端は学べるでしょう。ですが、今からウクライナやロシアの歴史を一から学ぼうにもとても追いつきそうもありません。やはり私には音楽がとっつきやすく、そこでたどり着いたのが「メッテル先生」です。
「メッテル先生」、本名エマヌエル・レ・メッテル。大正末期にハルピンから神戸へとやってきた指揮者です。私はずっとロシア人とばかり勘違いしていたのですが、正確にはユダヤ系の亡命ウクライナ人だったのです。メッテル先生が関西音楽界に与えた影響は絶大で、クラシックでは大阪フィルを率いた指揮者、朝比奈隆を指導育成します。ポピュラーでは服部良一にリムスキー=コルサコフ直伝の和声法等の音楽理論を伝授したことでも知られています。
ロシア革命を機に亡命せざるをえなかったメッテル先生の事情をノンフィクションで知り、現在の戦争にもどこか深くで通底していることを感じ大変心が痛みました。とにかく今は一日も早い終戦を願うばかりです。異国の小市民に過ぎない私にできることは些細な事に過ぎません。それは仮に扇情的に戦争を煽られても、それには乗らず自身のメンタルを平静に保つことです。そのためにも音楽を聴き、自身でも演奏するのです。それはごく小さなことではありますが、平和への貢献の一端を担うと考えています。
黒鍵ペンタトニック 「証城寺の狸囃子」(中山晋平)
今エントリーからしばらく中山晋平を特集します。
中山晋平の曲は、大きく3分類できると思います。第1が「流行歌」、第2が「新作民謡」、そして第3が「童謡」。この分類毎に数曲ずつ眺めていきたいと思います。まず今回はそのイントロダクションです。
今回取り上げる「証城寺の狸囃子」はやはり中山晋平の代表作だと強く思うのです。この曲は前述の3分類の要素を全て含むからです。一応この曲は「童謡」とされますが、「新作民謡」の要素も含みます。そして何といっても強力な「流行歌」でもあります。近年でも2021年放送のNHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」でこの曲が使用され、大正末期の曲が時代を超え、令和の現在にも通用。改めてこの曲が骨太なポップソングであることを思い知らされました。
なおこの曲は何かと英語と縁の深い曲でもあります。1946年、ラジオ「カムカム英語」の主題歌に用いられたことはもちろん、1951年には、日本にジャズブームの火をつけたジーン・クルーパ・ジャズトリオがこの曲を録音します。さらに1955年にはアーサー・キットが英語詞で歌唱しています。
なお、この曲は1か所を除いて、四七抜き長音階で作られていて「晋平節」そのものといえます。
ぷりま音楽歳時記 2-9.変イ長調
今月の一冊 近藤憲一著『1日1曲365日のクラシック』
ベランダ菜園と「おすそわけ」と音楽
教室でベランダ菜園を始めてもう6年以上。元々は猛暑に備えてグリーンカーテンを作るためにゴーヤ栽培をはじめたのをきっかけで、今や通年で何かしら栽培するまでになりました。
菜園を始めて実感するのは、こちらの思う通りに野菜が育たない事です。スーパーの商品のようにはそろわず、曲がったり、大きさもまばらな野菜が育ちます。しかも旬になると収穫が集中。生鮮食品なので保存にも限界があり、自分だけではとても食べきれません。見た目は悪くとも大切に育てた野菜、捨てるに忍びなく、周囲へ「おすそわけ」したくなるのです。
この「おすそわけ」ってとても面白くて人と人との関係の潤滑油にもなったりします。もしこれが保存や貯蔵が可能であればそんな気も起きないかもしれません。期限のある生鮮野菜だからこそ、「おすそわけ」のこころが生じるのだと思います。
音楽もこうした生鮮野菜に相通じるところがあると思います。今や音楽も録音で保存可能ですが、本質的には一度音を鳴らせば消えてしまう、やはり限りあるものです。
自身だけで音楽を奏で楽しむのも面白い。けれども、それをさらに皆で共有し「おすそわけ」するのも楽しい。それが発表会など、人前で演奏する面白さだと思います。
もちろん当教室の発表会はプロの品評会ではありません。たとえ傷があっても、粒がそろわなくても、一人一人が大切に育んできた音楽を共有して楽しんでいく機会にしたいと思います。
黒鍵ペンタトニック 「男はつらいよ<映画主題歌>」(渥美清)
昭和のノベルティソングを特集してきましたが、今回で一段落です。特集のトリを飾るのに相応しいのが映画「男はつらいよ」の主題歌を除いて他はありません。
「男はつらいよ」は1969年に制作がスタート。1995年までに48作、主演の渥美清がなくなって以降さらに3作も制作された、他に例を見ない多作の映画シリーズです。お盆と年末年始、年2回公開されることが多く、まさに昭和の日本の風物詩ともいえる映画でした。
この主題歌、実は映画シリーズに先立って制作されたテレビドラマ(1968年)から使用されています。作詞は演歌界の大御所、星野哲郎氏です。星野氏は「急いで書いてくれ、といわれドラマの粗筋を基に、4,5日で書いた。当時はファックスもないから速達で送った。」と練る間もない仕事だったと振りかえっています。作曲した山本直純氏について、星野氏は「やさしいメロディーで、クラシックの人がうまく演歌を書いたって思いました。」と称賛しています。
まさにこの曲はソフトな演歌。四七抜き音階のペンタトニック(5音階)に「ピョンコ節」の付点のリズムは、明治・大正の唱歌・童謡にも相通じるように思います。
ぷりま音楽歳時記 2-8. 変二長調
今月の一冊 松村正人著『前衛音楽入門』
予定調和じゃない想定外の感動~クリスチャン・マークレー展にて
コロナが小康状態になってからすっかり楽しくなったのが、展覧会での鑑賞です。(声を出すわけでもないので、飛沫感染等の恐れも少なく安心だったせいもあります。)
特にこの2年はよく展覧会に通いました。その中でも特に気に入ったのが、「クリスチャン・マークレー/トランスレーティング[翻訳する]」。会期中に2度も東京都現代美術館に足を運びました。(もう2年も経つのですね。)
展示内容を簡潔に言葉にするのは難しいのですが、音楽的な美術、または美術的な音楽ともいえる前衛的なものでした。聴覚の芸術「音楽」と視覚の芸術「美術」の融合はそう容易くないのに、いとも簡単にやってのけているようで大きな衝撃を受けました。加えて前衛的な内容なのに難しくなく、日本のマンガ文化にも影響を受けたクリスチャンの作品は驚くほどポップに仕上がっていて、その親しみやすさにも感心してしまいました。
一般的に抽象的で分かりにくいといわれるモダンアート、かえってその分かりにくさが私にはクセになっています。分からず理解できなくてもまずは作品に触れてみる。すると何が何だか原因不明だけれど作品に魅きこまれる時があり、えも言えない幸福感に包まれます。
この幸福感は起承転結や喜怒哀楽がはっきりしたものからは味わうことのできない想定外の感動で、モダンアートに触れるとその感動にめぐり合うことがままあります。そしてそれは予定調和にはいかない人の営みそのものにも感じられます。
黒鍵ペンタトニック 「初めての街で<菊正宗CM>」
「初めての街で<菊正宗CM>」(中村八大 作曲 西田佐知子 歌)
日曜日の夕方のテレビといえば、5時半から日本テレビで「笑点」、間をおいて6時半からフジテレビで「サザエさん」と続くのが昭和末の定番。(平成以降は、その間の6時から「ちびまる子ちゃん」が加わり、現在の令和に至ります。)
昭和末に子ども時代を過ごした私の記憶が確かなら、「笑点」と「サザエさん」の間に印象的なCMがありました。それが日本酒「菊正宗」のCMです。「笑点」「菊正宗」「サザエさん」と連なると、楽しかった休日が終わってしまう悲しみがドっと押し寄せたものでした。
さてこの「菊正宗」のCM曲は「初めての街で」というタイトルです。1975年からCMで使われ、1979年にはレコードも発売。歌うのは「アカシアの雨が止むとき」でおなじみの西田佐知子。作詞は永六輔、作曲は前回に続き中村八大、「六八コンビ」による曲なのです。ちなみにこの曲も全編、5音階(四七抜き長音階)によるメロディです。
「サザエさん」の主題歌を作曲したのは、この「黒鍵ペンタトニック」の常連の筒美京平(「サザエさん」のメロディは残念ながら5音階ではありませんが…)。「笑点」「菊正宗」は共に中村八大が作曲。日曜日の夕方のテレビは昭和のヒットメーカーの曲で彩られているといえるでしょう。
CMバージョン(宣伝用非売品レコード!)
懐かしのCMです
ぷりま音楽歳時記 2-7. 変ト長調
今月の一冊(本) 映画『ライフ・イズ・ビューティフル』
ロベルト・ベニーニ監督/角川書店/ASIN : B002TUEW5I
コロナがひと落ち着きしたら、今度は戦争。ニュース映像ばかり見ていると気が滅入ってしまうので、最近は読書より視覚インパクトのある映画鑑賞ばかりして気を紛らわしています。
今回も先月に引き続き紹介するのは映画。「ライフ・イズ・ビューティフル」、悲惨なホロコースト下での物語です。どんなに厳しい極限状態に追い込まれても、やはり人間にはエンターテイメントが欠かせないのだと、この映画を観ると思い知らされます。
忘れる為に覚えなさい?!~百閒の「忘却論」
よく生徒さんたちから「一生懸命練習してせっかく弾けるようになった曲が、次の曲を取り組みだすとすっかり忘れてしまい情けなくなる」との嘆きの声を聞きます。ずっと弾き続けていれば、確かに覚えていられるが、それでは次の新しい曲には進めない。新曲に進めば、やはり前の曲は疎かになる。でも完全に忘れることはなく、リハビリ練習さえすれば、前回より時間をかけずに弾けるように戻るのです。ただこの説明だけではどこか不足があるようで、私自身もどこか腑に落ちませんでした。
以前、ラジオ番組か何かで内田百閒(小説家・随筆家)の「忘却論」が話題に。早速読んでみました。ドイツ語教師も勤めた百閒は『自らの経験から詰め込み主義を奉じ、学生にぎゅぎゅう容赦なく詰め込む』教育方針。私はちなみに詰め込み主義は大の苦手ですが、なぜ覚えさせるか、以下の百閒の説明に妙に納得してしまいました。
『覚えていられなかったら忘れなさい。試験の答案を書くまで覚えていればいいので、書いてしまったら忘れてもいい。しかし覚えていない事を忘れるわけには行かない。知らない事が忘れられるか。忘れる前には先ず覚えなければならない。だから忘れる為に覚えなさい。忘れた後に大切な判断が生じる。語学だけの話ではない。もとから丸で知らなかったのと、知っていたけれども忘れた場合と、その大変な違いがいろいろ忘れて行く内にわかって来るだろう。』(「間抜けの実在に関する文献」<ちくま文庫>)
これを読んだらすっかり忘れることの不安がなくなってしまいました。
黒鍵ペンタトニック 「笑点のテーマ」(中村八大)
日本を代表するバラエティ番組といえば「笑点」。もともとは放送開始の1966年にヒットしたドラマ「氷点」をもじって命名。「ネタ」のつもりがすっかり「ベタ」となり、半世紀以上も続く超長寿番組になりました。
これまで出演する落語家は度々メンバーチェンジしてきましたが、不変なのはこのテーマ曲。放送開始当初こそ立川談志が歌う「笑点音頭」でしたが、談志降板後の1969年から、上掲「笑点のテーマ」が一貫して使われています。最初は歌詞付きの歌だったのですが、評判が芳しくなく、インストルメンタルになり定番化し現在に至ります。(以下の動画の通り時代に応じて度々アレンジは変わります。)
なお作曲は「上を向いて歩こう」でもおなじみの中村八大。「上を向いて歩こう」と同様、この曲もペンタトニック(5音階)で作られています。ジャズピアニストでもあり、お洒落なイメージが強い八大氏の曲ですが、民謡や演歌でもよく用いる四七抜き長音階(田舎節)も巧みに用います。
日曜日の夕方、翌日の通勤通学を憂い、気分が落ちることを「サザエさん症候群」とよく言いますが、私はどちらかと言えば「笑点症候群」。こんな陽気な曲なのに、この曲を聴くと何とも言えず切ない気分になってしまいます。
ぷりま音楽歳時記 2-6. ロ長調
<ロ長調>
ロ長調の調号は#は5つ。マッテゾン曰く、「矛盾していて、硬く、不快で、絶望的」な調。確かに管弦楽器にとっては演奏しにくい調ですが、ピアノでは黒鍵を全て使えるので、意外に人気のある調です。
<ロ長調の曲>
ショパンのノクターン全21曲中3曲もがロ長調の曲なのは興味深いところ。絶望の中で「夜想曲」という希望をショパンは見出したのかもしれません。今回は1966年録音のルービンシュタインの演奏を紹介いたします。
今月の一冊(本) 映画『アマデウス~ディレクターズカット版』
ミロス・フォアマン監督/ワーナーホームビデオ/ASIN : B003GQSYIA
久しぶりに今月の1冊(本)ではなく1枚(映画)です。
かつては長尺の映画はあまり得意ではありませんでした。ですが、コロナの外出制限時、時間のゆとりがあったおかげですっかり楽しく観れるようになってしまいました。そこで久しぶりに観返し、感心したのが映画「アマデウス」。ディレクターズカット版だと丸々3時間かかるのに、観始めたらあっという間。息つく間もない展開に食い入るように観てしまいました。
当時の楽器(鍵盤の白黒が現在とは逆)が登場する等、細部まで時代考証されているのもとてもいいですね。
ピアノを弾く時は普段使わない筋力を使います
私と腰痛との付き合いはもう30年。少しでも症状を軽くと思い、近年始めたのがウォーキング。ようやく生活習慣化しました。それでも季節の変わり目などで痛みが出ることはあったので、それほど効果がないものかと半ばあきらめていました。
ところが歩き方を見直したら、効果てきめん!今のところ痛みが出ずに済んでいます。これまでは無意識にですが足を引きずって歩いていたようです。それを行進するつもりで太ももを持ち上げて歩いてみました。でも悲しいかな、鏡に映っている己の姿、思ったほど上がっていません…。「もも上げ」歩きをした翌日はひどい筋肉痛になりました。ですがそれがインナーマッスルの腸腰筋に効果があったのか、かなり腰回りが楽になりました。
今も歩き方はいろいろ工夫していて以下の動画を参考にしたり、いろいろ試行錯誤は続いています。
「歩く」という日常動作ですら意識をして初めて動かす筋肉がある有様。ましてやピアノを弾くといった非日常的な動作である楽器演奏では、さぞや使ったことのない筋肉や未知なる身体の使い方があるように思います。(以前紹介したこちらの本もおすすめです→リンク)
ですから、上手く弾けないことをそれほど嘆かなくてもいいと思うのです。むしろピアノを弾くという特別な動作によって、自らの秘められた身体の可能性を開拓し、それを楽しみたいところ。習い始めはやっとのことで広げていたオクターヴ幅も次第に筋肉がつき、いつしか楽に届くようになるのも「ピアノあるある」です。ですから時間をかけ、焦らず、じっくりと「ピアノ筋」をつけたいきたいものです。
黒鍵ペンタトニック 「いい湯だな」(ザ・ドリフターズ)
「いい湯だな(ビバノン・ロック)」(ザ・ドリフターズ/いずみたく作曲)
前回がクレージーキャッツとくれば、今回は、ザ・ドリフターズにいくしかありません。
ドリフの曲で、いの一番に私の頭に思い浮かんだのが、やはりこの「いい湯だな」です。「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」の番組エンディングでもおなじみの曲です。お風呂に入るとつい「ババンババンバンバン」と思わず口をついて出てしまいます。
この曲は元々、日本全国のご当地ソングを作るという企画、「にほんのうた」シリーズ(作詞・永六輔、作曲・いずみたく、歌・デュークエイセス)の中の1曲で群馬県のご当地ソングとして1963年に発表されました。このシリーズは他にも「筑波山麓合唱団(茨城)」や「女ひとり(京都)」がよく知られています。
この企画自体が昭和初期の「新民謡運動」(作曲家・中山晋平、詩人・西條八十らが中心人物)の影響を受けているせいもあるのか、この「いい湯だな」も田舎節(四七抜き長音階)の5音階で作られています。
なおザ・ドリフターズも元々はミュージシャン。1966年のビートルズの来日公演では、ブルー・コメッツやブルージーンズ、内田裕也、尾藤イサオらと前座を務めます。そこで注目を集め、翌1967年6月に「ズッコケちゃん/いい湯だな(ビバノン・ロック)」でレコード・デビューするのです。
ぷりま音楽歳時記 2-5. ホ長調
<ホ長調>
ホ長調の調号は#が4つ。作曲家リムスキー=コルサコフはこの調を「煌びやかなエメラルド色」と色聴しています。なるほど自然光のような明るさの調と感じても面白いかもしれません。
<ホ長調の曲>
のどかな朝の情景を描写したかのようなこの曲。エメラルド色のホ長調と朝の光はとてもフィットするように思います。今回は2015年、ズービン・メータ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を紹介いたします。
今月の一冊 團伊玖磨著『パイプのけむり選集 食』
團伊玖磨著/小学館文庫/ISBN(13)978-4094083903
以前も紹介しました日本を代表する作曲家、團伊玖磨氏。その曲もさることながら、特に私が好きなのは氏のエッセイ。今回紹介するのは、雑誌「アサヒグラフ」の名物コラム「パイプのけむり」の選集。これはテーマが「食」に絞られています。
音楽家ならではのリズム感溢れる文章で読んでいてウキウキしてきます。こんなセンスのある文章を私も書いてみたいところですが、とても及びそうにありません。特に「金平糖」の話が私のお気に入りです。
山と同じくピアノも頂き高く懐深い
私は年に数回、山歩きをします。そのほとんどは夏の避暑が目的です。普段のウォーキングの延長で、ややアップダウンある道を少し長い距離歩く程度です。そして歩き終えた後、その疲れをとるために温泉に浸かるのが何よりの楽しみなのです。同じ山遊びでも、寒い雪山でのスキーなどのウィンタースポーツや山小屋に泊まるような本格的な山登りにはあまり興味はありません。私はともあれ、山の楽しみ方は本当に多種多様で奥が深い。湖畔を眺めるだけでも楽しいし、その一方、命懸けで最高頂を目指す挑戦まであります。まさに頂き高く懐深い。
ピアノも山のような多様性があると思います。ジャンルにしてもクラシック、ジャズ、ポップス等種々多彩。同じクラシックでもバロック、古典派、ロマン派、近現代と時代毎にスタイルが異なります。もちろん作曲家毎にも作風は異なります。膨大なレパートリーの中から自分に合った音楽を探し出すのも本当に楽しいものです。そしてコンクール等、極限状態の中、技術的な頂きを目指すこともできます。発表会などで多少の緊張感を味わいながら演奏を楽しむこともできます。もちろん家で一人で心安らかに弾くのも楽しいです。
私はそんな頂き高く裾野が広く懐深いピアノのガイド役です。皆さんがピアノを楽しめるように、適切なコースを案内したいものです。もちろん私が知りうるピアノの魅力はたかが知れています。でも少しでも多くの魅力に私自身も気づいていけるように日々学んでいきたいと思います。
(数年前に撮影した奥日光・刈込湖の写真。涼しかった~♪)
黒鍵ペンタトニック 「ホンダラ行進曲」(クレージーキャッツ)
日本のノベルティソングで欠かせないのは、何といってもクレージーキャッツでしょう。「昭和」の高度経済成長真っ盛りの折、国中を笑いに包みこんだコントグループです。しかもただの「お笑い」グループではなく、メンバー全員、進駐軍のキャンプ回りで、その名を轟かせた腕利きのミュージシャンでもあります。
そもそも現在名だたる芸能事務所、渡辺プロ・ホリプロ・サンミュージック・田辺エージェンシーは、みな進駐軍のキャンプ回りのミュージシャンをを経て創業しました。クレージーキャッツは渡辺プロの屋台骨を支え、映画・テレビで大活躍するのです。
クレージーキャッツの陽気で「C調」な曲は、実にペンタトニック(特に四七抜き長音階)の曲が多く、どの曲を選ぶか悩むほどです。ですが、今回は「ホンダラ行進曲」を取り上げたいと思います。
この曲はイントロで「軍艦行進曲」と「丘を越えて」を掛け合わせたパロディ行進曲。どこかへ行進したい抗しがたい気持ち、平和な現世でどこへ行進したらよいかも分からない。けれど「ホンダラッタホイ」と進もう(ラジオ「大瀧詠一の日本ポップス伝」より)。
前回のオリンピックの翌年、1965年に発表のこの曲。どこか今の世相にも通じるところもあるかもしれません。
ぷりま音楽歳時記 2-4. イ長調
今月の一冊 ジム・フジーリ著『ペット・サウンズ』
ジム・フジーリ著/村上春樹訳/新潮文庫/ISBN(13)978-4102179611
ザ・ビーチ・ボーイズの傑作アルバム「ペット・サウンズ」。この本はその制作過程やバンドの中心であるブライアン・ウィルソンの波乱万丈の人生に迫ったノンフィクションです。
暴露的であったり批判的な内容が多いこの手のジャンルの中で、この著者のこのアルバムやブライアンに対する偏愛ともいえる深い愛情を感じられ、読後、心地よい幸福感に包まれました。
文中に出てくる曲を動画サイトで探して、聴きながら読むのがおすすめです。訳者はかの村上春樹です。
日常に欠くことのできない音楽「At My Piano」
最近ブライアン・ウィルソンのアルバム「At My Piano」をよく聴きます。ブライアン・ウィルソンはお馴染みの「ザ・ビーチ・ボーイズ」のリーダーでシンガーソングライターです。ですがこのアルバムでは、なぜか歌なしのピアノだけのインストゥメンタルの曲集になります。
私が衝撃を受けたのはその響きです。今や解像度の高いハイレゾな音が巷に溢れる中、昔懐かしのモノラルで録音されています。これは4K・8Kと画質がよくなったカラー液晶のテレビで、白黒の番組放送されることと同様と言えるでしょう。普通の古いモノラル録音でもピアノの場合、不思議と自然な響き(左から低音、右から高音)を感じるのですが、このアルバムでは最後の1曲を除き、すべての音域が中央に集まるように意図されているようです。中央に音が集中し固まっても、うるさくなく、それぞれの音域で音色の濃淡が異なるので、まるで水墨画のような深遠な音世界を感じたのです。これまで味わったことのない「古くて新しい」響きに、驚きと共に溢れる歓びを感じました。
私にとって音楽を聴くことは、日常生活において欠くことができません。そしてもっと深く音楽を味わいたいものです。私が演奏技術を学び続けるのも、クリエイターの創意を少しでも肌身で感じたいからです。聴く分には簡単に思える技術でも、実際に演奏してみると意外に難しく苦戦することがあります。こうした実体験を重ねる毎に、演奏家をはじめクリエイターの皆さんに対する経緯が深まるのです。これからも今まで以上に大切に音楽を聴いていきたいと思います。