- 春日部で40年。あなたの街の音楽教室。ミュージックファームぷりま

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黒鍵ペンタトニック 「初めての街で<菊正宗CM>」

「初めての街で<菊正宗CM>」(中村八大 作曲 西田佐知子 歌)

日曜日の夕方のテレビといえば、5時半から日本テレビで「笑点」、間をおいて6時半からフジテレビで「サザエさん」と続くのが昭和末の定番。(平成以降は、その間の6時から「ちびまる子ちゃん」が加わり、現在の令和に至ります。)

昭和末に子ども時代を過ごした私の記憶が確かなら、「笑点」と「サザエさん」の間に印象的なCMがありました。それが日本酒「菊正宗」のCMです。「笑点」「菊正宗」「サザエさん」と連なると、楽しかった休日が終わってしまう悲しみがドっと押し寄せたものでした。

さてこの「菊正宗」のCM曲は「初めての街で」というタイトルです。1975年からCMで使われ、1979年にはレコードも発売。歌うのは「アカシアの雨が止むとき」でおなじみの西田佐知子。作詞は永六輔、作曲は前回に続き中村八大、「六八コンビ」による曲なのです。ちなみにこの曲も全編、5音階(四七抜き長音階)によるメロディです。

「サザエさん」の主題歌を作曲したのは、この「黒鍵ペンタトニック」の常連の筒美京平(「サザエさん」のメロディは残念ながら5音階ではありませんが…)。「笑点」「菊正宗」は共に中村八大が作曲。日曜日の夕方のテレビは昭和のヒットメーカーの曲で彩られているといえるでしょう。

CMバージョン(宣伝用非売品レコード!)

懐かしのCMです

黒鍵ペンタトニック 「笑点のテーマ」(中村八大)

笑点のテーマ」中村八大

日本を代表するバラエティ番組といえば「笑点」。もともとは放送開始の1966年にヒットしたドラマ「氷点」をもじって命名。「ネタ」のつもりがすっかり「ベタ」となり、半世紀以上も続く超長寿番組になりました。

これまで出演する落語家は度々メンバーチェンジしてきましたが、不変なのはこのテーマ曲。放送開始当初こそ立川談志が歌う「笑点音頭」でしたが、談志降板後の1969年から、上掲「笑点のテーマ」が一貫して使われています。最初は歌詞付きの歌だったのですが、評判が芳しくなく、インストルメンタルになり定番化し現在に至ります。(以下の動画の通り時代に応じて度々アレンジは変わります。)

なお作曲は「上を向いて歩こう」でもおなじみの中村八大。「上を向いて歩こう」と同様、この曲もペンタトニック(5音階)で作られています。ジャズピアニストでもあり、お洒落なイメージが強い八大氏の曲ですが、民謡や演歌でもよく用いる四七抜き長音階(田舎節)も巧みに用います。

日曜日の夕方、翌日の通勤通学を憂い、気分が落ちることを「サザエさん症候群」とよく言いますが、私はどちらかと言えば「笑点症候群」。こんな陽気な曲なのに、この曲を聴くと何とも言えず切ない気分になってしまいます。

黒鍵ペンタトニック 「いい湯だな」(ザ・ドリフターズ)

「いい湯だな(ビバノン・ロック)」ザ・ドリフターズいずみたく作曲)

前回がクレージーキャッツとくれば、今回は、ザ・ドリフターズにいくしかありません。

ドリフの曲で、いの一番に私の頭に思い浮かんだのが、やはりこの「いい湯だな」です。「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」の番組エンディングでもおなじみの曲です。お風呂に入るとつい「ババンババンバンバン」と思わず口をついて出てしまいます。

この曲は元々、日本全国のご当地ソングを作るという企画、「にほんのうた」シリーズ(作詞・永六輔、作曲・いずみたく、歌・デュークエイセス)の中の1曲で群馬県のご当地ソングとして1963年に発表されました。このシリーズは他にも「筑波山麓合唱団(茨城)」や「女ひとり(京都)」がよく知られています。

この企画自体が昭和初期の「新民謡運動」(作曲家・中山晋平、詩人・西條八十らが中心人物)の影響を受けているせいもあるのか、この「いい湯だな」も田舎節(四七抜き長音階)の5音階で作られています。

なおザ・ドリフターズも元々はミュージシャン。1966年のビートルズの来日公演では、ブルー・コメッツやブルージーンズ、内田裕也、尾藤イサオらと前座を務めます。そこで注目を集め、翌1967年6月に「ズッコケちゃん/いい湯だな(ビバノン・ロック)」でレコード・デビューするのです。

黒鍵ペンタトニック 「ホンダラ行進曲」(クレージーキャッツ)

ホンダラ行進曲クレージーキャッツ/萩原哲晶 作曲

日本のノベルティソングで欠かせないのは、何といってもクレージーキャッツでしょう。「昭和」の高度経済成長真っ盛りの折、国中を笑いに包みこんだコントグループです。しかもただの「お笑い」グループではなく、メンバー全員、進駐軍のキャンプ回りで、その名を轟かせた腕利きのミュージシャンでもあります。

そもそも現在名だたる芸能事務所、渡辺プロ・ホリプロ・サンミュージック・田辺エージェンシーは、みな進駐軍のキャンプ回りのミュージシャンをを経て創業しました。クレージーキャッツは渡辺プロの屋台骨を支え、映画・テレビで大活躍するのです。

クレージーキャッツの陽気で「C調」な曲は、実にペンタトニック(特に四七抜き長音階)の曲が多く、どの曲を選ぶか悩むほどです。ですが、今回は「ホンダラ行進曲」を取り上げたいと思います。

この曲はイントロで「軍艦行進曲」と「丘を越えて」を掛け合わせたパロディ行進曲。どこかへ行進したい抗しがたい気持ち、平和な現世でどこへ行進したらよいかも分からない。けれど「ホンダラッタホイ」と進もう(ラジオ「大瀧詠一の日本ポップス伝」より)。

前回のオリンピックの翌年、1965年に発表のこの曲。どこか今の世相にも通じるところもあるかもしれません。

 

黒鍵ペンタトニック 「ワンサカ娘」(レナウンCM)

ワンサカ娘(レナウンCM/小林亜星

昨今、世代を超えて全国的にヒットする曲が出にくくなりました。とはいえ、近々でも「うっせぇわ」がヒット。詞の内容がこの世相を皮肉る面もあり、「滑稽な持ち味」の音楽、いわゆるノベルティソング(コミックソン)の一種と言えます。このタイプの曲は数年おきに流行し、まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」といったところでしょう。

ノベルティソングにはペンタトニック(5音階)の四七抜き長音階がよく用いられます。この音階は元々「田舎節」とも呼ばれ、音階そのものにどこかコミカルな雰囲気があるのかもしれません。今回よりしばらく映画・テレビ・CM等で使用される曲で、5音階を用いて作られらたのベルディタイプのものを、懐かしい曲を中心に紹介していきたいと思います。

まずスタートは、懐かしのCM曲、レナウンの「ワンサカ娘」です。1961年に発表され、弘田三枝子やシルヴィ・ヴァルタン等様々な歌手に歌われ、1990年代まで放映され続けたCM界きっての名曲です。時代の変化に応じたアレンジに耐えうる骨太さが5音階のメロディにはあるのでしょう。なおこの曲の作詞・作曲は小林亜星氏。この曲が作曲家としての出世作となりました。

 

弘田三枝子のバージョン

 

シルヴィ・ヴァルタンのバージョン

黒鍵ペンタトニック 「YOUNG MAN」(西城秀樹)

「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」(西城秀樹/J.Morali)

2018年年末、レコード大賞で、優秀作品賞を授与された「U.S.A」。その受賞パフォーマンスで、DA PUMPが曲中に「YOUNG MAN」の振り付けをして話題になりました。

なぜ彼らが「Y.M.C.A」と踊ったのか?ここからの勝手な推測になります。この2曲とも外国曲のカヴァーでダンスナンバー。しかもメロディの主要部が共にヒット曲の鉄則ともいえるペンタトニック(5音階)。先達の「YOUNG MAN」に倣ってヒットした「U.S.A」。DA PUMPがその年に亡くなった西城秀樹に弔意を示すのは尤もです。しかも「YOUNG MAN」は「ザ・ベストテン」で歴代最高得点を記録するほど、1979年を代表する曲だったのに、外国曲であったせいで、レコード大賞にはノミネートすらされなかったのです。当時の無念を晴らす意味もきっとあったのでしょう。

なおこの「YOUNG MAN」は当時、西城秀樹のバックバンドだったメンバーがハワイに行った時に、現地で流行しているのを覚えてきて、そのままレコーディングしたとのこと。そのバックバンドこそ後の「SHŌGUN」です。この曲のヒットの直後、自らも表舞台に立つことになります。松田優作主演のドラマ「探偵物語」の主題歌、「BAD CITY」等でヒットしました。

黒鍵ペンタトニック 「真夏の出来事」(平山三紀)

「真夏の出来事」(平山三紀/筒美京平作曲)

今回は前回のエントリーで紹介した筒美京平が作曲した平山三紀が歌う「真夏の出来事」です。

1970年代初頭に筒美京平は“メロディー・メーカーからサウンド・メーカー”へと何度か語っているのだがまさにその通りで「真夏の出来事」こそが、“サウンド・プロダクション”の必要性を痛切に感じていた筒美京平の“サウンド作り”の一つの完成形を提示した日本のポップスの金字塔である。(CD「Kyouhei Tsutsumi History」ライナーノート58頁)

筒美とこの曲を作詞した橋本淳とが共同で設立した事務所に平山は当時所属していました。つまり身内ともいえる平山の曲で、筒美は新たなるサウンド作りを遠慮なく試行錯誤したのでしょう。

この曲では、平山の歌唱に対し、楽器・コーラスがバックで見事に絡み合ったサウンドを作り上げます。そしてそこで鍵を握るのが、ペンタトニック(5音階)なのです。

譜例①のベースラインに譜例②のイントロが重なります。譜例③のイントロ終わりから譜例④の歌い始めへとスムースに受け渡されます。譜例①~④のいずれもペンタトニック(5音階)で作られています。5音であれば、メロディが複数重なっても、お互いに衝突せず共存することができるのです。

これぞ筒美京平の作曲術の妙と言えます。

黒鍵ペンタトニック 「柔」(美空ひばり)

「柔」(美空ひばり)

前回に引き続き、美空ひばりの曲を取り上げます。前回はそのレパートリーの幅広さについて触れましたが、今回は「演歌の女王」である美空ひばりに焦点を絞っていきたいと思います。

戦後、三橋美智也の民謡調歌謡曲や、三波春夫の浪曲調歌謡曲が流行しました。そこで戦前から活躍する大御所作曲家、古賀政男が目をつけたのが、浪曲師・村田英雄でした。「無法松の一生」「人生劇場」と古賀が作曲した曲を歌うもののヒットには至りません。

ところが、1961年、当時、新鋭の若手作曲家であった船村徹が、村田へ「王将」を提供します。すると戦後初のミリオンセラーとなり、爆発的にヒットします。自らが発掘した歌手を生意気盛りの若手作曲家に横取りされての大ヒット、ベテランの古賀は忸怩たる思いをしたに違いありません。それから3年、東京五輪の1964年。歌手として円熟期に達した美空ひばりに古賀は「柔」を提供。180万枚を売り上げ、ベテランの面目躍如となります。

なおこの曲は全編、四七長音階。船村も得意とする田舎節を用い、さながら古賀の横綱相撲。後の「悲しい酒」(1966年)と共に、ひばりの代表曲となります。そしてこの曲は当時確立したばかりの昭和演歌の雛型にもなります。

黒鍵ペンタトニック 「リンゴ追分」(美空ひばり)

「リンゴ追分」(美空ひばり/米山正夫 作曲)

戦後の歌謡曲といえば、この人を取り上げないわけにはいきません。美空ひばりです。

そのレパートリーは幅広く、いわゆる古賀メロディのような演歌調はもちろん、ブギ、マンボ、ロカビリー、ツイスト等の「リズム歌謡」もお手の物。時々で流行するものなら何でも取り入れる貪欲さで、あげくジャズナンバー等の洋楽曲のカバーまで歌いこなします。ひばりが辿ったキャリアそのものが、「戦後歌謡史」といっても過言ではありません。

上記の「リンゴ追分」は、ひばりが15歳の1952年に発売されました。作曲は米山正夫(1912~1985)。米山はキャリア初期のひばりには欠かせない作曲家で、「ロカビリー剣法」「ひばりのドドンパ」等々手がけます。これおらのタイトルからも分かるように米山は外来のリズムと日本の民謡を和洋折衷して歌謡曲に仕立て上げる名人で、ペンタトニック(5音階)はその媒介にもなりました。「リンゴ追分」も一部を除き、「二六抜き短音階」で作られています。

なおこの曲に憧れた野口五郎が、米山の門下生になりたくて、関連のオーディションを受け続け、結果、演歌歌手としてデビューします。ですがヒットせず、ポップス歌手に転向して西城秀樹、郷ひろみらと「新御三家」として活躍、成功をおさめます。

1952年ひばり主演の映画「リンゴ園の少女」

黒鍵ペンタトニック 「男の子女の子」(郷ひろみ)

「男の子女の子」(郷ひろみ/筒美京平 作曲)

前回は女性アイドルの曲を紹介しましたので、今回は男性アイドルを取り上げたいと思います。

古今東西アイドル稼業は「なんでも屋」の側面があると感じます。歌って、踊って、演技して、喋って等々、歌手一本に専念できません。しかも年端もいかずデビューするので、その段階で歌唱力が不安定なのも無理はありません。

郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」(1972年)もその歌唱力へ充分配慮された曲と言えます。その配慮とは、この曲は全編「四七抜き長音階」で作られている点です(一か所を除き)。

明治の学校教育に唱歌を導入した立役者、伊澤修二が西洋音楽を学びにアメリカに留学した際、長音階の4番目「ファ」と7番目「シ」の音程を正確に歌うのに苦労したという逸話があります。自身の留学経験から、唱歌集を作成する時に子ども達が歌いやすいように「四七抜き長音階」を重用したのです。

「男の子女の子」も、この明治唱歌の伝統に倣ったと言えるでしょう。そしてこの曲は歌手本人のみならず、誰もが口ずさみやすいので、ヒットするのも当然と言えます。

なおこの曲を作曲したのは、「歌謡曲の巨人」筒美京平です。郷のシングル曲はデビューから連続20作、筒美が手がけます(中途一作、外国曲を挟みますが)。

黒鍵ペンタトニック 「春一番」(キャンディーズ)

「春一番」(キャンディーズ/穂口雄右 作曲)

さて今回より、少し現代に近づけて、戦後昭和の「歌謡曲」に焦点を当てていきたいと思います。

戦後の「歌謡曲」はアメリカの音楽に強い影響を受けます。ですが単なるその真似だけにとどまらず、日本語の歌詞をのせやすいよう、独自のメロディが作られるようになります。その際、明治・大正の唱歌・童謡と同様に、ペンタトニック(5音階)が積極的に使用されます。

上記当時の若者向けに作られたキャンディーズの「春一番」(1975年)はその代表的な曲です。「今月の一冊」でも紹介した『歌謡曲の構造』にて、この曲は「二六抜き短音階」で、近衛家に残る平安時代の風俗歌の楽譜を解読すると、よく似た音階が用いられていると、小泉文夫先生は指摘しています。

『非常にモダンでカッコのいいものの中に、奈良時代や平安時代から、ちっとも変わらない要素があるのだということですね。』(前掲書 p.88)

私はこれを読んだ時にあまりに驚き、体がのけぞってしまいました。

なおこの曲を作曲した穂口雄右氏は、スタジオミュージシャンとして森岡賢一郎氏に見いだされ、1972~79年にかけて、作編曲家として活躍、現在は拠点をアメリカに移し活動されています。

黒鍵ペンタトニック 「かなりや」

「かなりや」(成田為三作曲)

このコーナーで5回連続で「童謡」を特集していきましたが、今回で一息つきたいと思います。

大正から昭和にかけて興った「童謡」のムーブメント、それを牽引したのが、小説家・鈴木三重吉が創刊した児童雑誌「赤い鳥」でした。1918年に創刊、鈴木がなくなる1936年まで、計196冊が刊行されました。

上記の「かなりや」は同誌の1919年5月号で、初の曲つきの童謡として楽譜が掲載された記念すべき作品です。翌1920年にはレコードも発売され、録音された童謡としても最初期の作品となりました。

さてこの曲は基本的には5音でメロディが作られています。上記の1,2番は二六抜き短音階で憂いのあるメロディなのですが、3番で転調。四七抜き長音階で明るくなり、曲のクライマックスでは第7音も使い締めくくられます。

さて作曲した成田為三ですが、1893年秋田で生まれます。東京音楽学校の甲種師範科へ進み、前回紹介した草川信と同級生となります。在学中の1916年にはかの「浜辺の歌」を作曲します(残念ながらこちらは黒鍵だけでは弾けません)。卒業後、1922年にドイツ留学するまで「赤い鳥」の専属作曲家として活躍。数多くの童謡を残します。

1929~31年頃に大阪府・豊中市のコッカレコードで発売されたSP盤

 

黒鍵ペンタトニック 「夕焼小焼」

「夕焼小焼」(草川信 作曲)

全国各地で夕方のチャイム放送で使われていることでおなじみの曲です。(春日部市も何年か前まではこの曲でした。)

この曲は1929年(大正12年)7月に文化楽社より「新しい童謡」という楽譜集の中の一曲として出版されます。ですが、2か月後に発生した関東大震災のためそのほとんどが消失。わずか13部だけが焼け残りました。その楽譜を元に小学校を中心にこの曲が歌い継がれました。元々ピアノ購入者用に企画された童謡曲集だったため、伴奏がとても弾き易かったことも広まる大きな要因になったようです。そして何といっても五音の四七抜き長音階によるメロディこそが、どの世代にも共通して深い郷愁を誘うのでしょう。

さて作曲の草川信(1893~1948)は長野県出身で、長野師範附属小学校時代に、武蔵野音楽大学を創設した福井直秋の薫陶を受けます。東京音楽学校の甲種師範科(現在でいう教育学部)に進んでからは、前回紹介した弘田龍太郎にピアノを師事。なお甲種師範科で同級生だったのが作曲家、成田為三です。成田は当時、児童雑誌「赤い鳥」に参加していましたが、ドイツへの作曲留学を機に、同級生の草川に後任を託します。そして草川は多くの童謡を残すのです。

黒鍵ペンタトニック 「春よ来い」

「春よ来い」(弘田龍太郎 作曲)

今回は前回紹介した本居長世の教え子の一人である弘田龍太郎(1982~1953)を紹介します。弘田はこれまで紹介した本居や、山田耕筰中山晋平ら1880年代生まれの一世代下の作曲家です。この世代以降は、東京音楽学校に作曲学科も設立され、専門的な作曲教育が施されます。(ちなみに山田は声楽科卒業、本居、中山はピアノ科を卒業。)

弘田は1914年にまず東京音楽学校のピアノ科を卒業します。その後、学校に残り助手を務めます。そして1917年に作曲部が新設されるやいなや再入学を果たします。卒業後、1928年には文部省在外研究生としてドイツに留学、ベルリン大学で作曲とピアノを学びます。そして帰国後、満を持して母校・東京音楽学校で教授に就任しますが、なんと在職わずか2か月で退職してしまいます。(何があったか気になるところです。)以降、アカデミズムとは距離をとり在野での作曲活動に専念します。

弘田は特に童謡の作曲で特に名が知られています。1918年に児童雑誌「赤い鳥」が刊行され、童話・童謡運動が活発になると弘田も参加し、多くの作品を残します。1923年児童雑誌「金の鳥」で発表された上記の「春よ来い」は弘田の代表曲の一つと言えるでしょう。弘田の童謡はペンタトニックで作られることが多く、この曲も5音階ならではの素朴さがとても印象に残ります。

 

黒鍵ペンタトニック 「青い眼の人形」

「青い眼の人形」(本居長世 作曲)

劇作家、島村抱月の書生との二足の草鞋で、東京音楽学校で学んだ中山晋平。当然その生活は楽ではなく、ピアノ科に進んだもののピアノは所持していませんでした。

その晋平に助け舟を出したのが、先輩で東京音楽学校の教員になったばかりの兄貴分、本居長世(1885~1945)でした。長世は自身が所有する古くなったピアノを安価で晋平に譲渡すると言うのです。さっそく晋平は郷里の兄に手紙で相談します。が、やはり大金であったためその時は断念せざるを得ませんでした。

本居長世は、国学者、本居宣長に連なり、祖父もまた国学者でした。国学者になってもらいたい祖父の期待に反し、長世は音楽家への道を進みます。当初はピアニストを目指しますが、脳溢血の後遺症で断念。以降作曲家として活躍します。「七つの子」「赤い靴」「十五夜お月さん」等、数多くの童謡の名曲も残します。長世の曲のメロディは半音進行を用いることで、色彩感を出すのが特徴なので、ペンタトニック(5音階)だけで書かれた曲はあまりありません。

ですが、「青い眼の人形」の主要部はペンタトニック(5音階)で作られているので、今回紹介いたします。(曲の中間部で転調し、曲調が大きく変化してしまいますので、その触りだけ。)

なお長世の東京音楽学校の主要な教え子には、中山晋平はもちろん、弘田龍太郎も含まれます。

(1921年ニッポノホン 歌うのは長世の長女みどり、ピアノ伴奏は作曲者である長世本人)

黒鍵ペンタトニック 「砂山」

「砂山」(中山晋平 作曲)

文学か音楽かでその進路を悩んでいた中山晋平が、東京音楽学校に進学して何をしたかったのか?

郷里の兄への手紙にその一端が垣間見えます。「小生はピアノや唱歌がアマリ上等の口ではなけれど幾分文学的の素養があるため来年から特に技術部の外に楽歌部といふ主に作歌作曲の科を置いて貰へることに略交渉がまとまりかけて候」。晋平のいう「作歌作曲」とは高尚な芸術音楽ではなく人々が口ずさめる歌を作ることを指します。若き晋平には新たな分野を開拓すべく学校に交渉するまでの強い情熱がありました。(残念ながらこの交渉は失敗に終わりますが…)

卒業後、流行歌の若手作曲家として一躍台頭した晋平は、学生時代のその思いを実現に移していきます。折しも児童文学の機運も高まり、1918年に雑誌「赤い鳥」が創刊。従来の「唱歌」とは異なる新たな「童謡」が誕生します。晋平も1919年までには本格的に童謡の作曲に携わります。そして数々の名作を残すことになります。今回はその中で1922年に作曲した「砂山」を紹介します。この曲は晋平がお得意の5音階(ペンタトニック)で作られていますので黒鍵だけで演奏できます。なお作詞は北原白秋。同じ詩に山田耕筰も曲をつけているのは大変興味深いところです。

中山晋平の「砂山」(歌唱は渥美清)

山田耕筰の「砂山」(歌唱は同じく渥美清)

黒鍵ペンタトニック 「木綿のハンカチーフ」

木綿のハンカチーフ

前回の今月の一冊で取り上げた『ニッポンの編曲家』で歌謡曲における編曲家やスタジオミュージシャンにスポットライトを当てましたが、やはり何と言ってその中心は作曲家です。特に2020年10月に亡くなった筒美京平は、まさに「歌謡曲の大巨人」でした。氏の曲は私にとって幼少期からテレビなどで浴びるように聴いてきました。いわば私のルーツミュージックといっても過言ではありません。ですから以後、ここでは敬愛を込め「京平先生」と呼称します。

京平先生の作る曲は、世界最先端で流行するサウンドを取り入れつつも、日本人になじみやすいメロディであることが特徴の一つといえます。いわば洋食メニューなのに、ご飯とみそ汁がでてくる、いわば「定食」のような親しみがあります。そして数多くあるヒット曲では、ペンタトニック(5音階)で作ったものもかなりあり、この「黒鍵ペンタトニック」では、今後何曲も紹介することになるでしょう。

そのスタートを飾るのにふさわしいのが、「かすかべ親善大使」である太田裕美さんが歌う「木綿のハンカチーフ」でしょう。この曲は男女の手紙の往復でストーリーを紡ぐ松本隆氏の画期的な歌詞が注目されますが、京平先生の作曲技術も負けていません。冒頭の都会へ旅立つ男性のパートには、素朴なペンタトニックを充て(上記譜面)、田舎に残っている女性が登場するサビになると通常の7音階に切り替わり、男女の心象風景のコントラストを見事にメロディで表現しています。

このペンタトニック(5音階)と通常の音階(7音階)で対比する方法は、「上を向いて歩こう」とも共通し、ヒット曲の黄金パターンの一つといえるでしょう。

黒鍵ペンタトニック 「ゴンドラの唄」

「ゴンドラの唄」

前回記した山田耕筰は、歌曲の作曲のみならず、日本初の交響曲を作り、交響楽団を率いるなど正統的にクラシック音楽の道を歩んでいきました。

その山田と、同い年で、同じ東京音楽学校出身の作曲家が中山晋平です。(ちなみに1908年に山田は卒業、入れ違いで同年、中山が入学しています。)

中山の歩みは山田とは対照的でした。中山は音楽か文学科で進路に悩む青年で、劇作家の島村抱月の書生を務めました。その傍らに音楽学校に通うという少し変わり種の音楽学校生でした。

その中山の作曲家としてのキャリアは島村主宰の劇団「芸術座」の舞台での劇中歌(現在でいうドラマ主題歌に相当)の作曲から始まります。「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」「さすらいの唄」と立て続けに、レコード・楽譜販売でヒットを飛ばします。今回はその中からペンタトニック(5音階)で作られたゴンドラの唄を取り上げます。

なおこの3曲とも歌唱してレコードに吹き込んだのは、「芸術座」の看板女優、松井須磨子でした。須磨子は1918年にスペイン風邪を患い急逝した島村の後を追ってしまいます。座長と看板女優を失った「芸術座」はそのまま解散します。

ですが中山晋平はこの一連の劇中歌のヒットを足がかりに近代日本の流行歌の礎を築いていきます。

 

1915年(大正14年)6月 松井須磨子歌唱によるレコード(ニッポノホン) 

1952年(昭和27年) 映画「生きる」劇中 志村喬による歌唱

 

 

黒鍵ペンタトニック 「赤とんぼ」

「赤とんぼ」

前回も触れたNHK朝の連続テレビ小説「エール」が遺作となってしまった志村けん演じるのは小山田耕三。そのモデルは言わずと知れた山田耕筰です。ちなみに柴咲コウが同ドラマで演じるオペラ歌手、双浦環のモデルは三浦環。実際の二人の年齢はドラマとは逆で、三浦環の後輩が山田耕筰。東京音楽学校時代、「自転車美人」として学内のアイドルだった三浦。その憧れの先輩にとうせんぼうなどの悪戯をして冷やかすガキ大将の後輩たちの中に、山田がいたと三浦は述懐しております。

さて山田耕筰は、日本歌曲のモデルを確立した第一人者です。ここからは山田の弟子の作曲家、團伊玖磨の言葉を借ります。『山田耕筰は日本の作曲家として初めて、言葉と音の結びつきについて真正面から取り組み、そして考えぬいた末に「言葉の抑揚と旋律の抑揚の一致」「一音符一語主義」というシステマチックな理論を独力で作り上げました。さらに、その実践として膨大な歌曲を作曲しました。』(團伊玖磨:「私の日本音楽史」<P.273~274>)

言葉の抑揚とメロディラインが一致すると歌詞の意味が格段に伝わり易くなります。「赤とんぼ」はその好例で、後世に残したい童謡で、常に上位にランクするのもその証左といえます。ただし「一音符一語主義」はこのようなゆっくりとした曲には適するものの、より速い言葉、より速い音楽の動きが生まれなくなってしまうと團氏は指摘しています。このことは、日本語でロックンロールを唄う時に再びクローズアップされることになるのですが、それはまた別の機会で。

この「赤とんぼ」は明治の唱歌の作曲手法に倣って四七抜長音階の五音(ペンタトニック)で作られています。ですが、山田の作品で純然な五音階による曲は少数です。ドイツ留学で本格的に西洋クラシック音楽を学んだ影響もあり、あえてその使用を避けたのかもしれません。

1955年の映画「ここに泉あり」では本人役で山田耕筰が出演

映画中、「赤とんぼ」の演奏シーンも

黒鍵ペンタトニック 「船頭可愛や」

「船頭可愛や」

作曲家、古関裕而を主人公のモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説「エール」の劇中にも度々登場した曲、「船頭可愛や」を今回は取り上げようと思います。

この曲は「利根の舟歌」に続いて作詞家、高橋掬太郎とのコンビで作った曲で、古関裕而にとっては出世作となりました。「『利根の舟歌』は短調だったが、『船頭可愛や』は瀬戸内海あるいは、遠洋漁業の男を想う歌なので、長調でいわゆる田舎節で作曲し、間奏には再び尺八を使ってみた」(『鐘よ鳴り響け』<54~55頁>)と古関氏が述べている通り、この曲は田舎節つまり「四七抜き長音階」のペンタトニックで作られています。

ただし古関氏の戦後の代表曲、東京五輪の「オリンピックマーチ」や高校野球の「栄冠は君に輝く」などでは、素朴なペンタトニックは使わず、半音階的なモダンな音使いで作曲しています。それもそのはず。古関氏は若かりし頃、近代フランス・ロシアの音楽に夢中で、地元・福島で開催されたレコードコンサートには欠かさず通ったとのこと。また、近代的なの管弦楽法の規範ともいえる作曲家リムスキー=コルサコフの弟子、金須嘉之進にも古関氏は師事し、モダンな音作りにも精通していました。

音丸による歌唱でヒットしました(1935年、昭和10年)。

それを気に入り、世界的なプリマドンナ三浦環もレコーディングしました。(1939年 昭和14年)

黒鍵ペンタトニック 「うちで踊ろう」(星野源)

「うちで踊ろう」(星野源)

これまでの災害であれば、チャリティイベントなどで音楽はいち早く社会貢献出来ました。ですがこのコロナ禍では、「三密」の問題もあり、その力が発揮しにくかったといえます。

そんな中ミュージシャン星野源氏がインスタグラムで発表した「うちで踊ろう」は多くの人とのコラボレーションで明るい話題となり、音楽が果たした数少ない社会貢献だったと思います。

ではなぜコラボレーションが多くの人にされたのか?この曲のメロディがたった4音でできているのがその要因と考えます。しかも四七長音階のペンタトニック(5音階)の中にこの4音は含まれます。

ブルースやジャズの即興演奏(アドリブ)の基礎はペンタトニックです。5音だけで即興をする分には、どれだけ無茶をしても破綻することなくセッションはできます。こうしたブラックミュージックをルーツに持つ星野氏が、このようなことを踏まえ即興的にコラボレーションし易くするためにあえて4音で作曲し、「お題を出した」のだと思われます。

「恋ダンス」でもおなじみの『恋』をはじめ、星野氏は数々の曲で五音階で作曲するペンタトニックの使い手です。なお元々バンド活動をしていた星野氏のソロデビューを促したのが、前回の「星めぐりの歌」の時にも触れた細野晴臣氏でもあります。なかなかいろいろと意味深な気もします。

黒鍵ペンタトニック 「星めぐりの歌」

「星めぐりの歌」

宮沢賢治といえば、詩人・童話作家として有名なのはもちろん、「セロ弾きのゴーシュ」と作品中に楽器を登場されるぐらい音楽愛好家としても有名です。それにとどまらず、自らも音楽制作に携わり、自身で作詩または作曲した歌曲は、全27曲にものぼります。

その中で最もよく知られ、賢治が作詞・作曲共につとめたのが、この「星めぐりの歌」です。1918年(大正8年)、童話「双子の星」の作中で、歌詞が発表され、メロディ譜は、賢治の死後、1932年(昭和10年)に発刊された「宮沢賢治全集第2巻」(文圃堂刊)が初出。それも本人の自筆による楽譜ではなく、賢治が口唱したものを弟の清六が採譜をしたものだそうです。この曲は同時代の多くの童謡・唱歌などと同様に、メロディはペンタトニック(四七抜き長音階)で作られ、リズムも付点で跳ねる「ピョンコ節」が用いられ、朴訥で賢治らしさがよく表れている曲と思います。

前回紹介した映画「銀河鉄道の夜」でも登場し、主人公ジョバンニは「星めぐりの口笛」を度々、作中で吹きます。(映画ではオルゴール。)なおこの映画で音楽を担当したのは細野晴臣氏。5音階(ペンタトニック)での曲作りについては、日本ポップス界における最重要人物と勝手に私は目しております。

なお、昨年2021年のオリンピックの閉会式でもこの曲は歌われたのは記憶に新しいところ。また連続テレビ小説「あまちゃん」でもBGMとして登場したり、何かと耳にする機会の多い人気曲です。

黒鍵ペンタトニック 「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」

「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」~抜粋~

今回はペンタトニックのアメリカ曲の「やや」番外編といえます。アメリカで人気を博した日本の曲「スキヤキ」を紹介。「六八九トリオ」(永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九歌唱)でおなじみの「上を向いて歩こう」です。

この曲はまず、1961年の11月から3ヵ月連続で日本のレコードランキングで1位になります。翌年、まずはヨーロッパ各国で紹介され人気に。そして1963年5月「SUKIYAKI」のタイトルでアメリカにて発売。「ビルボード100」で6月15日から3週連続で全米第1位となります。日本の曲が全米を制したのは後にも先にもこの曲だけになります。

では、なぜこの曲がアメリカで人気を博したのでしょうか?これはあくまで私論なのですが、前回紹介したフォスターの曲の構成との類似性を挙げます。フォスターは曲の「起承転結」の「転」以外はペンタトニック(5音階)を用いていましたが、この曲の構成も同じです。「幸せは雲の上に 幸せは空の上に」とのサビ(「転」の部分)以外はペンタトニックで作られています。

明治維新以降、西洋音楽に憧憬を抱き続けた日本の音楽界にとって、この曲の世界的な人気は「坂の上の雲」に到達した瞬間であったといえましょう。

 

黒鍵ペンタトニック 「草競馬」

「草競馬」

前回に引き続き今回もペンタトニックのアメリカ曲を取り上げます。

今回紹介するのはおなじみの作曲家、スティーブン・フォスター(1826-1864)です。フォスターが作曲した歌曲の多くは、ミンストレル・ショーのために作られました。ミンストレル・ショーとは、白人が顔を黒く塗り、黒人に模し面白くおかしく演じるといった、現代では考えられない大変差別的なものでした。次第にフォスターはその低俗さに悩むようになり、奴隷的に扱われる黒人の深い悩みに対して共感を示す作風に変化していきます。

ただし白人であったフォスターの作曲スタイルはあくまでも出身のアイルランド移民らしいものであり、それに対する賛否両論もありました。しかし彼の黒人文化に深く寄り添おうという姿勢こそ、フォスターが「アメリカ音楽の父」と呼ばれる所以だと思います。

そのフォスターもペンタトニック(5音階)を多用しています。今回紹介する「草競馬」は全曲を通してペンタトニックで作られています。そのほか、「おおスザンナ」「故郷の人々」では、曲の「起承転結」の「転」の部分では普通の7音階が使われていますが、残りの部分ではペンタトニックで作られています。

1939年のフォスターの自伝映画「スワニー河」よりアル・ジョルソンの歌唱による「草競馬」

黒鍵ペンタトニック 「アメイジング・グレイス」

「アメイジング・グレイス」

 

ペンタトニック(5音階)によるメロディは何も日本の童謡・唱歌だけに限られません。前回アメリカ民謡の「メリーさんの羊」を取り上げたように、様々な人種が集まるアメリカでも好まれます。今回よりしばらくアメリカの曲でペンタトニックを用いている例をみていきたいと思います。

まずは、カール・パーキンスが歌うロックンロール・ナンバーの「ブルー・スエード・シューズ」(1956年)はペンタトニックのメロディです。

この曲はビルボードのカントリーチャートで第1位、R&Bチャートで第3位を獲得します。白人に人気のカントリーと黒人に人気のR&B、共にチャートインしたのは、当時はとても珍しいことでした。そしてこの曲はエルヴィス・プレスリーにもカバーされ、さらに認知度を上げて異なる文化の融合音楽である、ロックンロールのスタンダードナンバーになります。

さて今回紹介する「アメイジング・グレイス」ですがこの曲もまた異なる文化が融合した結晶と言えます。1772年、イギリスの牧師J.ニュートンにより作詞されます。黒人奴隷貿易に手を染めた彼の後悔が歌われています。作曲者は不詳で、アイルランドかスコットランドの民謡を基にしたという説、またはアメリカ南部の黒人労働者の歌を基にしたという説もあります。

ペンタトニックはこのように異なる文化背景の音楽が混ざり合うときに、触媒のような役割を果たすのかもしれません。

黒鍵ペンタトニック 「メリーさんの羊」

「メリーさんの羊」

「黒鍵4鍵で弾ける」シリーズも第5弾、ひとまず今号でひと段落。これまでは邦楽ばかりでしたが、最後は洋楽で締めくくります。

この「メリーさんの羊」は、英語の童謡、マザーグースの一種で、1830年、サラ・ジョセファ・ヘイルのオリジナル詩として発行されました。

実はこの曲、蓄音機と深い関りがあります。1877年、エジソンが蓄音機を発明したときのこと。録音の実験をするためにエジソン自身が蓄音機に向かって吹き込んだのが、なんと「メリーさんの羊」の歌詞だったのです。実験に成功したエジソンも「私の人生で、これほどびっくりしたことはない」というほどの驚きようだったそうです。最初の録音機は、パラフィン紙に溝を刻む仕組みで大変もろく、再生のため一度針を乗せただけで溝がつぶれてしまったそうです。ですから残念ながら記念すべき最初の録音は残っておりません。

ですが、1927年、発明50年を記念して、エジソンが発明当時を再現した録音は、現在も聴くことができます。

なお日本語詞は、1927年に高田三九三により訳されたものが有名で、1952年、NHKラジオ「うたのおばさん」で紹介され、一躍有名になります。

黒鍵ペンタトニック 「てるてる坊主」

「てるてる坊主」

黒鍵4音で弾けるわらべうたの第4弾です。

2019年のレコード大賞曲は、「パプリカ」でしたが、実はこの曲はペンタトニック(5音階)をベースにメロディが作られています。(曲中にはもちろん、一般的な7音階を使っている所もあるので、そう単純な曲ではありませんが…)

作者の米津玄師が作る他の曲も含め、ここ数年のヒット曲の多くにペンタトニックが用いられる傾向があると思います。

そのペンタトニックで流行歌を作曲する元祖が今回紹介する中山晋平です。1912年(明治45年)に東京音楽学校本科ピアノ科を卒業。島村抱月が旗揚げした劇団「芸術座」に参加し、1914年(大正3年)に作曲した劇中歌「カチューシャ」が大当たりして一躍、流行作曲家として有名になります。

中山晋平は本当に多くの曲をペンタトニックで作曲していますのでこのコーナーで取り上げることも多くなります。その都度、エピソードを少しずつ紹介していこうと思います。

さて、「てるてる坊主」ですが、この曲は1921年(大正10年)に「少女の友」にて発表されました。当初の3番の歌詞は、童謡らしからぬ過激な詩の内容のため、後に削除されました。

黒鍵ペンタトニック 「あんたがたどこさ」

「あんたがたどこさ」

黒鍵4鍵で弾けるわらべうたの第三弾です。

「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ…」と歌詞にある通り、この曲は一般的には熊本県の手鞠歌として知られています。ところがこれには異説もあります。

続く歌詞、「せんばさ、せんば山には…」が問題になります。熊本城下には「船場(せんば)」という地名はあるが「船場山(せんば山)」はない。そこでにわかに注目を集めたのが、埼玉の川越です。川越には仙波山(せんば山)があり、そこにある仙波東照宮では「古狸」と知られる徳川家康が祀られている。そして幕末の戊辰戦争の時に、仙波山に隣接する川越城に駐留した肥後藩の官軍兵と、交流した近所の子供たちとの問答が歌詞になったのだという説が湧き上がりました。口伝で広まる「わらべうた」には、この様に諸説入り乱れることもあり、なかなか興味深いところです。

NHKのTV番組「ブラタモリ」では、熊本城の周りにお堀を作った時に生じた大量が、堀伝いに土塁として築かれ、それを「船場山(せんば山)」と呼んだという説が紹介されました。残念ながら、現在はその「船場山」は残っていないそうです。どうやらこの説の信憑性が高いようにも思いますが、はたして真偽のほどはいかに?

黒鍵ペンタトニック 「ほたるこい」

「ほたるこい」

前回に引き続いて、今回も4つの音、しかも全て黒鍵(下からミ♭・ソ♭・ラ♭・シ♭)で弾けるわらべうたを紹介します。その第二弾は「ほたるこい」です。

この曲は、おおよそどの楽譜でも、「わらべうた」とのみ表記されていて、作者不詳の曲として扱われています。ところが鳥取県の公式サイト及び鳥取県の商工会議所のホームページでは、三上留吉(1897~1962)なる人物が作者として紹介されています。この2つのサイトを要約すると、三上氏のプロフィールは以下になります。

鳥取師範附属小学校に教員として勤務する傍ら、大日本少年団(ボーイスカウト)のリーダーとして活動し、多くの野外ソング、ゲームソングなどを作曲しました。昭和初期からは、鳥取県内の民謡や小唄の作曲・採譜を活発に行い、昭和8年(1933年)に「ほたるこい」が、日本音楽協会編纂の「児童唱歌」の1曲として採択されました。

この三上版の譜面が全国に広まり、上記のメロディが今日のスタンダードになったようです。前回の「かごめかごめ」もそうですが、わらべうたの伝播における小学校教員の大いなる貢献をうかがい知ることができます。

 

黒鍵ペンタトニック 「かごめかごめ」

「かごめかごめ」

私達に耳なじみのある「わらべうた」の中には、シンプルに4つの音からなるものがあります。世界を見渡せば、例えば、エスキモーの歌にはわずか2つの音からなるメロディもあるそうなので驚きです。

さて、これから数回に渡り、4つの音、しかも全て黒鍵(下からミ♭、ソ♭、ラ♭、シ♭)で弾くことのできるわらべうたを紹介します。その第一弾は「かごめかごめ」です。

この曲の「かごめかごめ、かごのなかの鳥は…」の歌詞自体は19世紀初頭のいくつかの文献に残されています。ただ楽譜が残っているわけではないのでその歌い方は地域によって異なっていたと考えられています。

現在よく知られている上記のメロディは、小学校の教員で、作曲家でもあった山中直治(1906~1937)が自身の地元、現在の千葉県野田市山崎あたりで、子どもたちが歌っているのを聴きとり採譜したものです。その譜面が全国に広がり現在に至ります。

ですから野田市はこの曲の発祥地とされ、東武アーバンパークライン、清水公園駅の前には「かごめの唄の碑」が建立されています。

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