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ピアノ・声楽・ギター・バイオリン・フルート・クラリネット

黒鍵ペンタトニック 「青い眼の人形」

「青い眼の人形」(本居長世 作曲)

劇作家、島村抱月の書生との二足の草鞋で、東京音楽学校で学んだ中山晋平。当然その生活は楽ではなく、ピアノ科に進んだもののピアノは所持していませんでした。

その晋平に助け舟を出したのが、先輩で東京音楽学校の教員になったばかりの兄貴分、本居長世(1885~1945)でした。長世は自身が所有する古くなったピアノを安価で晋平に譲渡すると言うのです。さっそく晋平は郷里の兄に手紙で相談します。が、やはり大金であったためその時は断念せざるを得ませんでした。

本居長世は、国学者、本居宣長に連なり、祖父もまた国学者でした。国学者になってもらいたい祖父の期待に反し、長世は音楽家への道を進みます。当初はピアニストを目指しますが、脳溢血の後遺症で断念。以降作曲家として活躍します。「七つの子」「赤い靴」「十五夜お月さん」等、数多くの童謡の名曲も残します。長世の曲のメロディは半音進行を用いることで、色彩感を出すのが特徴なので、ペンタトニック(5音階)だけで書かれた曲はあまりありません。

ですが、「青い眼の人形」の主要部はペンタトニック(5音階)で作られているので、今回紹介いたします。(曲の中間部で転調し、曲調が大きく変化してしまいますので、その触りだけ。)

なお長世の東京音楽学校の主要な教え子には、中山晋平はもちろん、弘田龍太郎も含まれます。

(1921年ニッポノホン 歌うのは長世の長女みどり、ピアノ伴奏は作曲者である長世本人)

黒鍵ペンタトニック 「砂山」

「砂山」(中山晋平 作曲)

文学か音楽かでその進路を悩んでいた中山晋平が、東京音楽学校に進学して何をしたかったのか?

郷里の兄への手紙にその一端が垣間見えます。「小生はピアノや唱歌がアマリ上等の口ではなけれど幾分文学的の素養があるため来年から特に技術部の外に楽歌部といふ主に作歌作曲の科を置いて貰へることに略交渉がまとまりかけて候」。晋平のいう「作歌作曲」とは高尚な芸術音楽ではなく人々が口ずさめる歌を作ることを指します。若き晋平には新たな分野を開拓すべく学校に交渉するまでの強い情熱がありました。(残念ながらこの交渉は失敗に終わりますが…)

卒業後、流行歌の若手作曲家として一躍台頭した晋平は、学生時代のその思いを実現に移していきます。折しも児童文学の機運も高まり、1918年に雑誌「赤い鳥」が創刊。従来の「唱歌」とは異なる新たな「童謡」が誕生します。晋平も1919年までには本格的に童謡の作曲に携わります。そして数々の名作を残すことになります。今回はその中で1922年に作曲した「砂山」を紹介します。この曲は晋平がお得意の5音階(ペンタトニック)で作られていますので黒鍵だけで演奏できます。なお作詞は北原白秋。同じ詩に山田耕筰も曲をつけているのは大変興味深いところです。

中山晋平の「砂山」(歌唱は渥美清)

山田耕筰の「砂山」(歌唱は同じく渥美清)

黒鍵ペンタトニック 「木綿のハンカチーフ」

「木綿のハンカチーフ」

前回の今月の一冊で取り上げた『ニッポンの編曲家』で歌謡曲における編曲家やスタジオミュージシャンにスポットライトを当てましたが、やはり何と言ってその中心は作曲家です。特に2020年10月に亡くなった筒美京平は、まさに「歌謡曲の大巨人」でした。氏の曲は私にとって幼少期からテレビなどで浴びるように聴いてきました。いわば私のルーツミュージックといっても過言ではありません。ですから以後、ここでは敬愛を込め「京平先生」と呼称します。

京平先生の作る曲は、世界最先端で流行するサウンドを取り入れつつも、日本人になじみやすいメロディであることが特徴の一つといえます。いわば洋食メニューなのに、ご飯とみそ汁がでてくる、いわば「定食」のような親しみがあります。そして数多くあるヒット曲では、ペンタトニック(5音階)で作ったものもかなりあり、この「黒鍵ペンタトニック」では、今後何曲も紹介することになるでしょう。

そのスタートを飾るのにふさわしいのが、「かすかべ親善大使」である太田裕美さんが歌う「木綿のハンカチーフ」でしょう。この曲は男女の手紙の往復でストーリーを紡ぐ松本隆氏の画期的な歌詞が注目されますが、京平先生の作曲技術も負けていません。冒頭の都会へ旅立つ男性のパートには、素朴なペンタトニックを充て(上記譜面)、田舎に残っている女性が登場するサビになると通常の7音階に切り替わり、男女の心象風景のコントラストを見事にメロディで表現しています。

このペンタトニック(5音階)と通常の音階(7音階)で対比する方法は、「上を向いて歩こう」とも共通し、ヒット曲の黄金パターンの一つといえるでしょう。

黒鍵ペンタトニック 「ゴンドラの唄」

「ゴンドラの唄」

前回記した山田耕筰は、歌曲の作曲のみならず、日本初の交響曲を作り、交響楽団を率いるなど正統的にクラシック音楽の道を歩んでいきました。

その山田と、同い年で、同じ東京音楽学校出身の作曲家が中山晋平です。(ちなみに1908年に山田は卒業、入れ違いで同年、中山が入学しています。)

中山の歩みは山田とは対照的でした。中山は音楽か文学科で進路に悩む青年で、劇作家の島村抱月の書生を務めました。その傍らに音楽学校に通うという少し変わり種の音楽学校生でした。

その中山の作曲家としてのキャリアは島村主宰の劇団「芸術座」の舞台での劇中歌(現在でいうドラマ主題歌に相当)の作曲から始まります。「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」「さすらいの唄」と立て続けに、レコード・楽譜販売でヒットを飛ばします。今回はその中からペンタトニック(5音階)で作られたゴンドラの唄を取り上げます。

なおこの3曲とも歌唱してレコードに吹き込んだのは、「芸術座」の看板女優、松井須磨子でした。須磨子は1918年にスペイン風邪を患い急逝した島村の後を追ってしまいます。座長と看板女優を失った「芸術座」はそのまま解散します。

ですが中山晋平はこの一連の劇中歌のヒットを足がかりに近代日本の流行歌の礎を築いていきます。

 

1915年(大正14年)6月 松井須磨子歌唱によるレコード(ニッポノホン) 

1952年(昭和27年) 映画「生きる」劇中 志村喬による歌唱

 

 

黒鍵ペンタトニック 「赤とんぼ」

「赤とんぼ」

前回も触れたNHK朝の連続テレビ小説「エール」が遺作となってしまった志村けん演じるのは小山田耕三。そのモデルは言わずと知れた山田耕筰です。ちなみに柴咲コウが同ドラマで演じるオペラ歌手、双浦環のモデルは三浦環。実際の二人の年齢はドラマとは逆で、三浦環の後輩が山田耕筰。東京音楽学校時代、「自転車美人」として学内のアイドルだった三浦。その憧れの先輩にとうせんぼうなどの悪戯をして冷やかすガキ大将の後輩たちの中に、山田がいたと三浦は述懐しております。

さて山田耕筰は、日本歌曲のモデルを確立した第一人者です。ここからは山田の弟子の作曲家、團伊玖磨の言葉を借ります。『山田耕筰は日本の作曲家として初めて、言葉と音の結びつきについて真正面から取り組み、そして考えぬいた末に「言葉の抑揚と旋律の抑揚の一致」「一音符一語主義」というシステマチックな理論を独力で作り上げました。さらに、その実践として膨大な歌曲を作曲しました。』(團伊玖磨:「私の日本音楽史」<P.273~274>)

言葉の抑揚とメロディラインが一致すると歌詞の意味が格段に伝わり易くなります。「赤とんぼ」はその好例で、後世に残したい童謡で、常に上位にランクするのもその証左といえます。ただし「一音符一語主義」はこのようなゆっくりとした曲には適するものの、より速い言葉、より速い音楽の動きが生まれなくなってしまうと團氏は指摘しています。このことは、日本語でロックンロールを唄う時に再びクローズアップされることになるのですが、それはまた別の機会で。

この「赤とんぼ」は明治の唱歌の作曲手法に倣って四七抜長音階の五音(ペンタトニック)で作られています。ですが、山田の作品で純然な五音階による曲は少数です。ドイツ留学で本格的に西洋クラシック音楽を学んだ影響もあり、あえてその使用を避けたのかもしれません。

1955年の映画「ここに泉あり」では本人役で山田耕筰が出演

映画中、「赤とんぼ」の演奏シーンも

黒鍵ペンタトニック 「船頭可愛や」

「船頭可愛や」

作曲家、古関裕而を主人公のモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説「エール」の劇中にも度々登場した曲、「船頭可愛や」を今回は取り上げようと思います。

この曲は「利根の舟歌」に続いて作詞家、高橋掬太郎とのコンビで作った曲で、古関裕而にとっては出世作となりました。「『利根の舟歌』は短調だったが、『船頭可愛や』は瀬戸内海あるいは、遠洋漁業の男を想う歌なので、長調でいわゆる田舎節で作曲し、間奏には再び尺八を使ってみた」(『鐘よ鳴り響け』<54~55頁>)と古関氏が述べている通り、この曲は田舎節つまり「四七抜き長音階」のペンタトニックで作られています。

ただし古関氏の戦後の代表曲、東京五輪の「オリンピックマーチ」や高校野球の「栄冠は君に輝く」などでは、素朴なペンタトニックは使わず、半音階的なモダンな音使いで作曲しています。それもそのはず。古関氏は若かりし頃、近代フランス・ロシアの音楽に夢中で、地元・福島で開催されたレコードコンサートには欠かさず通ったとのこと。また、近代的なの管弦楽法の規範ともいえる作曲家リムスキー=コルサコフの弟子、金須嘉之進にも古関氏は師事し、モダンな音作りにも精通していました。

音丸による歌唱でヒットしました(1935年、昭和10年)。

それを気に入り、世界的なプリマドンナ三浦環もレコーディングしました。(1939年 昭和14年)

黒鍵ペンタトニック 「うちで踊ろう」(星野源)

「うちで踊ろう」(星野源)

これまでの災害であれば、チャリティイベントなどで音楽はいち早く社会貢献出来ました。ですがこのコロナ禍では、「三密」の問題もあり、その力が発揮しにくかったといえます。

そんな中ミュージシャン星野源氏がインスタグラムで発表した「うちで踊ろう」は多くの人とのコラボレーションで明るい話題となり、音楽が果たした数少ない社会貢献だったと思います。

ではなぜコラボレーションが多くの人にされたのか?この曲のメロディがたった4音でできているのがその要因と考えます。しかも四七長音階のペンタトニック(5音階)の中にこの4音は含まれます。

ブルースやジャズの即興演奏(アドリブ)の基礎はペンタトニックです。5音だけで即興をする分には、どれだけ無茶をしても破綻することなくセッションはできます。こうしたブラックミュージックをルーツに持つ星野氏が、このようなことを踏まえ即興的にコラボレーションし易くするためにあえて4音で作曲し、「お題を出した」のだと思われます。

「恋ダンス」でもおなじみの『恋』をはじめ、星野氏は数々の曲で五音階で作曲するペンタトニックの使い手です。なお元々バンド活動をしていた星野氏のソロデビューを促したのが、前回の「星めぐりの歌」の時にも触れた細野晴臣氏でもあります。なかなかいろいろと意味深な気もします。

黒鍵ペンタトニック 「星めぐりの歌」

「星めぐりの歌」

宮沢賢治といえば、詩人・童話作家として有名なのはもちろん、「セロ弾きのゴーシュ」と作品中に楽器を登場されるぐらい音楽愛好家としても有名です。それにとどまらず、自らも音楽制作に携わり、自身で作詩または作曲した歌曲は、全27曲にものぼります。

その中で最もよく知られ、賢治が作詞・作曲共につとめたのが、この「星めぐりの歌」です。1918年(大正8年)、童話「双子の星」の作中で、歌詞が発表され、メロディ譜は、賢治の死後、1932年(昭和10年)に発刊された「宮沢賢治全集第2巻」(文圃堂刊)が初出。それも本人の自筆による楽譜ではなく、賢治が口唱したものを弟の清六が採譜をしたものだそうです。この曲は同時代の多くの童謡・唱歌などと同様に、メロディはペンタトニック(四七抜き長音階)で作られ、リズムも付点で跳ねる「ピョンコ節」が用いられ、朴訥で賢治らしさがよく表れている曲と思います。

前回紹介した映画「銀河鉄道の夜」でも登場し、主人公ジョバンニは「星めぐりの口笛」を度々、作中で吹きます。(映画ではオルゴール。)なおこの映画で音楽を担当したのは細野晴臣氏。5音階(ペンタトニック)での曲作りについては、日本ポップス界における最重要人物と勝手に私は目しております。

なお、昨年2021年のオリンピックの閉会式でもこの曲は歌われたのは記憶に新しいところ。また連続テレビ小説「あまちゃん」でもBGMとして登場したり、何かと耳にする機会の多い人気曲です。

黒鍵ペンタトニック 「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」

「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」~抜粋~

今回はペンタトニックのアメリカ曲の「やや」番外編といえます。アメリカで人気を博した日本の曲「スキヤキ」を紹介。「六八九トリオ」(永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九歌唱)でおなじみの「上を向いて歩こう」です。

この曲はまず、1961年の11月から3ヵ月連続で日本のレコードランキングで1位になります。翌年、まずはヨーロッパ各国で紹介され人気に。そして1963年5月「SUKIYAKI」のタイトルでアメリカにて発売。「ビルボード100」で6月15日から3週連続で全米第1位となります。日本の曲が全米を制したのは後にも先にもこの曲だけになります。

では、なぜこの曲がアメリカで人気を博したのでしょうか?これはあくまで私論なのですが、前回紹介したフォスターの曲の構成との類似性を挙げます。フォスターは曲の「起承転結」の「転」以外はペンタトニック(5音階)を用いていましたが、この曲の構成も同じです。「幸せは雲の上に 幸せは空の上に」とのサビ(「転」の部分)以外はペンタトニックで作られています。

明治維新以降、西洋音楽に憧憬を抱き続けた日本の音楽界にとって、この曲の世界的な人気は「坂の上の雲」に到達した瞬間であったといえましょう。

 

黒鍵ペンタトニック 「草競馬」

「草競馬」

前回に引き続き今回もペンタトニックのアメリカ曲を取り上げます。

今回紹介するのはおなじみの作曲家、スティーブン・フォスター(1826-1864)です。フォスターが作曲した歌曲の多くは、ミンストレル・ショーのために作られました。ミンストレル・ショーとは、白人が顔を黒く塗り、黒人に模し面白くおかしく演じるといった、現代では考えられない大変差別的なものでした。次第にフォスターはその低俗さに悩むようになり、奴隷的に扱われる黒人の深い悩みに対して共感を示す作風に変化していきます。

ただし白人であったフォスターの作曲スタイルはあくまでも出身のアイルランド移民らしいものであり、それに対する賛否両論もありました。しかし彼の黒人文化に深く寄り添おうという姿勢こそ、フォスターが「アメリカ音楽の父」と呼ばれる所以だと思います。

そのフォスターもペンタトニック(5音階)を多用しています。今回紹介する「草競馬」は全曲を通してペンタトニックで作られています。そのほか、「おおスザンナ」「故郷の人々」では、曲の「起承転結」の「転」の部分では普通の7音階が使われていますが、残りの部分ではペンタトニックで作られています。

1939年のフォスターの自伝映画「スワニー河」よりアル・ジョルソンの歌唱による「草競馬」

黒鍵ペンタトニック 「アメイジング・グレイス」

「アメイジング・グレイス」

 

ペンタトニック(5音階)によるメロディは何も日本の童謡・唱歌だけに限られません。前回アメリカ民謡の「メリーさんの羊」を取り上げたように、様々な人種が集まるアメリカでも好まれます。今回よりしばらくアメリカの曲でペンタトニックを用いている例をみていきたいと思います。

まずは、カール・パーキンスが歌うロックンロール・ナンバーの「ブルー・スエード・シューズ」(1956年)はペンタトニックのメロディです。

この曲はビルボードのカントリーチャートで第1位、R&Bチャートで第3位を獲得します。白人に人気のカントリーと黒人に人気のR&B、共にチャートインしたのは、当時はとても珍しいことでした。そしてこの曲はエルヴィス・プレスリーにもカバーされ、さらに認知度を上げて異なる文化の融合音楽である、ロックンロールのスタンダードナンバーになります。

さて今回紹介する「アメイジング・グレイス」ですがこの曲もまた異なる文化が融合した結晶と言えます。1772年、イギリスの牧師J.ニュートンにより作詞されます。黒人奴隷貿易に手を染めた彼の後悔が歌われています。作曲者は不詳で、アイルランドかスコットランドの民謡を基にしたという説、またはアメリカ南部の黒人労働者の歌を基にしたという説もあります。

ペンタトニックはこのように異なる文化背景の音楽が混ざり合うときに、触媒のような役割を果たすのかもしれません。

黒鍵ペンタトニック 「メリーさんの羊」

「メリーさんの羊」

「黒鍵4鍵で弾ける」シリーズも第5弾、ひとまず今号でひと段落。これまでは邦楽ばかりでしたが、最後は洋楽で締めくくります。

この「メリーさんの羊」は、英語の童謡、マザーグースの一種で、1830年、サラ・ジョセファ・ヘイルのオリジナル詩として発行されました。

実はこの曲、蓄音機と深い関りがあります。1877年、エジソンが蓄音機を発明したときのこと。録音の実験をするためにエジソン自身が蓄音機に向かって吹き込んだのが、なんと「メリーさんの羊」の歌詞だったのです。実験に成功したエジソンも「私の人生で、これほどびっくりしたことはない」というほどの驚きようだったそうです。最初の録音機は、パラフィン紙に溝を刻む仕組みで大変もろく、再生のため一度針を乗せただけで溝がつぶれてしまったそうです。ですから残念ながら記念すべき最初の録音は残っておりません。

ですが、1927年、発明50年を記念して、エジソンが発明当時を再現した録音は、現在も聴くことができます。

なお日本語詞は、1927年に高田三九三により訳されたものが有名で、1952年、NHKラジオ「うたのおばさん」で紹介され、一躍有名になります。

黒鍵ペンタトニック 「てるてる坊主」

「てるてる坊主」

黒鍵4音で弾けるわらべうたの第4弾です。

2019年のレコード大賞曲は、「パプリカ」でしたが、実はこの曲はペンタトニック(5音階)をベースにメロディが作られています。(曲中にはもちろん、一般的な7音階を使っている所もあるので、そう単純な曲ではありませんが…)

作者の米津玄師が作る他の曲も含め、ここ数年のヒット曲の多くにペンタトニックが用いられる傾向があると思います。

そのペンタトニックで流行歌を作曲する元祖が今回紹介する中山晋平です。1912年(明治45年)に東京音楽学校本科ピアノ科を卒業。島村抱月が旗揚げした劇団「芸術座」に参加し、1914年(大正3年)に作曲した劇中歌「カチューシャ」が大当たりして一躍、流行作曲家として有名になります。

中山晋平は本当に多くの曲をペンタトニックで作曲していますのでこのコーナーで取り上げることも多くなります。その都度、エピソードを少しずつ紹介していこうと思います。

さて、「てるてる坊主」ですが、この曲は1921年(大正10年)に「少女の友」にて発表されました。当初の3番の歌詞は、童謡らしからぬ過激な詩の内容のため、後に削除されました。

黒鍵ペンタトニック 「あんたがたどこさ」

「あんたがたどこさ」

黒鍵4鍵で弾けるわらべうたの第三弾です。

「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ…」と歌詞にある通り、この曲は一般的には熊本県の手鞠歌として知られています。ところがこれには異説もあります。

続く歌詞、「せんばさ、せんば山には…」が問題になります。熊本城下には「船場(せんば)」という地名はあるが「船場山(せんば山)」はない。そこでにわかに注目を集めたのが、埼玉の川越です。川越には仙波山(せんば山)があり、そこにある仙波東照宮では「古狸」と知られる徳川家康が祀られている。そして幕末の戊辰戦争の時に、仙波山に隣接する川越城に駐留した肥後藩の官軍兵と、交流した近所の子供たちとの問答が歌詞になったのだという説が湧き上がりました。口伝で広まる「わらべうた」には、この様に諸説入り乱れることもあり、なかなか興味深いところです。

NHKのTV番組「ブラタモリ」では、熊本城の周りにお堀を作った時に生じた大量が、堀伝いに土塁として築かれ、それを「船場山(せんば山)」と呼んだという説が紹介されました。残念ながら、現在はその「船場山」は残っていないそうです。どうやらこの説の信憑性が高いようにも思いますが、はたして真偽のほどはいかに?

黒鍵ペンタトニック 「ほたるこい」

「ほたるこい」

前回に引き続いて、今回も4つの音、しかも全て黒鍵(下からミ♭・ソ♭・ラ♭・シ♭)で弾けるわらべうたを紹介します。その第二弾は「ほたるこい」です。

この曲は、おおよそどの楽譜でも、「わらべうた」とのみ表記されていて、作者不詳の曲として扱われています。ところが鳥取県の公式サイト及び鳥取県の商工会議所のホームページでは、三上留吉(1897~1962)なる人物が作者として紹介されています。この2つのサイトを要約すると、三上氏のプロフィールは以下になります。

鳥取師範附属小学校に教員として勤務する傍ら、大日本少年団(ボーイスカウト)のリーダーとして活動し、多くの野外ソング、ゲームソングなどを作曲しました。昭和初期からは、鳥取県内の民謡や小唄の作曲・採譜を活発に行い、昭和8年(1933年)に「ほたるこい」が、日本音楽協会編纂の「児童唱歌」の1曲として採択されました。

この三上版の譜面が全国に広まり、上記のメロディが今日のスタンダードになったようです。前回の「かごめかごめ」もそうですが、わらべうたの伝播における小学校教員の大いなる貢献をうかがい知ることができます。

 

黒鍵ペンタトニック 「かごめかごめ」

「かごめかごめ」

私達に耳なじみのある「わらべうた」の中には、シンプルに4つの音からなるものがあります。世界を見渡せば、例えば、エスキモーの歌にはわずか2つの音からなるメロディもあるそうなので驚きです。

さて、これから数回に渡り、4つの音、しかも全て黒鍵(下からミ♭、ソ♭、ラ♭、シ♭)で弾くことのできるわらべうたを紹介します。その第一弾は「かごめかごめ」です。

この曲の「かごめかごめ、かごのなかの鳥は…」の歌詞自体は19世紀初頭のいくつかの文献に残されています。ただ楽譜が残っているわけではないのでその歌い方は地域によって異なっていたと考えられています。

現在よく知られている上記のメロディは、小学校の教員で、作曲家でもあった山中直治(1906~1937)が自身の地元、現在の千葉県野田市山崎あたりで、子どもたちが歌っているのを聴きとり採譜したものです。その譜面が全国に広がり現在に至ります。

ですから野田市はこの曲の発祥地とされ、東武アーバンパークライン、清水公園駅の前には「かごめの唄の碑」が建立されています。

黒鍵ペンタトニック 「蛍の光」

「蛍の光」

1789年(明治12年)に、文部省音楽取調掛が創設され、学校教育に西洋音楽が本格的に導入されます。

1884年(明治17年)に小学生用に編纂された「小学唱歌集」が音楽取調掛によって発行されます。全33曲が収録され、その中に「蛍の光」(当時のタイトルは「蛍」)もありました。他にも「見わたせば」(現在の「むすんでひらいて」)、「蝶々」、「君が代」などよく知られた曲も収録されていました。

当時、まだまだ国産のメロディは少なく、輸入したメロディに日本語の歌詞をのせることが一般的でした。今まで挙げた4曲でも「君が代」以外は外国曲になります。「蛍の光」はスコットランド民謡、「むすんでひらいて」はフランスのルソー作曲、「蝶々」はスペイン民謡といった具合です。

しかも当時の人々にとっては、西洋の「ドレミファソラシ」の7音階は難しく、もともと日本にあった音階に近い、4番目「ファ」と7番目「シ」を省略した「四七抜き音階」が重用されます。「蛍の光」は「四七抜き音階」を用いた最初期の唱歌であり、現在も卒業式や閉店時のBGMとして親しまれ続けています。

黒鍵ペンタトニック はじめに

明治になり西洋音楽が本格的に導入されおおよそ150年。導入当時、人々は西洋の「ドレミファソラシ」の7音の音階にはなかなか馴染めませんでした。そこで従来の音楽との違和感ができるだけないように、2音を省いてできる5音の音階、ペンタトニックが重用されました。ペンタトニックは、唱歌や童謡はもちろん、演歌やポップスなどでも用いられ、現在まで広く愛用されています。

このコーナーでは、黒鍵の5音だけで構成される音階(四七抜き長音階、二六抜き短音階)を「黒鍵ペンタトニック」と呼び、毎月1曲楽譜とともにその曲にまつわるエピソードを紹介します。

もちろん楽譜のメロディは全て黒鍵で弾けます。伴奏には、どうぞお好みの黒鍵を即興でお使いください。

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