今月の一冊 渡辺裕著『聴衆の誕生』
渡辺裕著/中公文庫/ISBN(13)978-4122056077

今回は、四半世紀ぶりに私が読み直したばかりの本を紹介いたします。このコロナ禍で音楽の聴取には大きな変化が生じています。これまでは当たり前のようにあったコンサート文化は今、大きな打撃を受けています。この本はバブル全盛期に書かれたポストモダンの音楽文化論で、近代でのコンサート文化の成立について丁寧に記されています。コロナ後の音楽文化を考える上で、手がかりになる何かがこの本には潜んでいる気もします。
渡辺裕著/中公文庫/ISBN(13)978-4122056077

今回は、四半世紀ぶりに私が読み直したばかりの本を紹介いたします。このコロナ禍で音楽の聴取には大きな変化が生じています。これまでは当たり前のようにあったコンサート文化は今、大きな打撃を受けています。この本はバブル全盛期に書かれたポストモダンの音楽文化論で、近代でのコンサート文化の成立について丁寧に記されています。コロナ後の音楽文化を考える上で、手がかりになる何かがこの本には潜んでいる気もします。
以下「おたより」2020年8月号(第11号)の内容を掲載いたします。
緊急事態宣言が解除され、感染対策は欠かせないものの教室も再開し対面レッスンが出来るようになりました。自粛休業のウツウツとした時に比べ、レッスンが出来る喜びを噛みしめています。舞台等の実演を主にする音楽家の多くがまだまだ先の見えない厳しい状況にある中、以前と比べほぼ遜色なくレッスン出来る状況はありがたく、感謝に堪えません。
とはいえ、社会活動の中でウィルス感染の不安は、どこか頭の片隅に残っています。予防策の一つ一つにそれほど神経を使いませんが、それが積み重なるとボディーブローのように効いてきます。いつしか神経も擦り減り、気付く頃にはかなり疲労が蓄積してしまっているようです。「ウィズ・コロナ」と言葉にすれば簡単ですが、実際はそう楽でもなく、まさに「言うは易く行うは難し」を強く実感する次第です。
ですから、最近では完全に一人になった時に、感染の不安からも解放されホッとするようになってしまいました。特に一人になってピアノに向かって没頭して弾く時間に無上の喜びを感じるようになりました。これはコロナ以前にはなかった新感覚で自分でも驚いています。
ピアノはメロディ、リズム、ハーモニーを全て一人で担えます。合奏を基本とする楽器が多い中、それは特異な性質ともいえます。そのため、ピアノは独善的で、自分勝手になりやすいマイナスの面も持ちます。ですが、このコロナ禍では、それが独立独歩で、自己完結できるというプラスの面へと働いているように思います。
「星めぐりの歌」

宮沢賢治といえば、詩人・童話作家として有名なのはもちろん、「セロ弾きのゴーシュ」と作品中に楽器を登場されるぐらい音楽愛好家としても有名です。それにとどまらず、自らも音楽制作に携わり、自身で作詩または作曲した歌曲は、全27曲にものぼります。
その中で最もよく知られ、賢治が作詞・作曲共につとめたのが、この「星めぐりの歌」です。1918年(大正8年)、童話「双子の星」の作中で、歌詞が発表され、メロディ譜は、賢治の死後、1932年(昭和10年)に発刊された「宮沢賢治全集第2巻」(文圃堂刊)が初出。それも本人の自筆による楽譜ではなく、賢治が口唱したものを弟の清六が採譜をしたものだそうです。この曲は同時代の多くの童謡・唱歌などと同様に、メロディはペンタトニック(四七抜き長音階)で作られ、リズムも付点で跳ねる「ピョンコ節」が用いられ、朴訥で賢治らしさがよく表れている曲と思います。
前回紹介した映画「銀河鉄道の夜」でも登場し、主人公ジョバンニは「星めぐりの口笛」を度々、作中で吹きます。(映画ではオルゴール。)なおこの映画で音楽を担当したのは細野晴臣氏。5音階(ペンタトニック)での曲作りについては、日本ポップス界における最重要人物と勝手に私は目しております。
なお、昨年2021年のオリンピックの閉会式でもこの曲は歌われたのは記憶に新しいところ。また連続テレビ小説「あまちゃん」でもBGMとして登場したり、何かと耳にする機会の多い人気曲です。
<変ホ長調>

変ホ長調の調号は♭が3つ。管楽器がとても得意とする調です。特に低音楽器は朗々と鳴り響き、その迫力には強い威厳が感じられます。
<変ホ長調の曲>
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」第1・3楽章(ベートーヴェン)
ベートーヴェンは「ヒーロー」を描く時、好んで変ホ長調を用いて作曲します。この「皇帝」もそうですが、交響曲第3番「英雄」でもこの調を用います。今回はツィメルマンのピアノ、バーンスタイン指揮、ウィーンフィルハーモニーによる演奏を紹介いたします。
ピアノの上達のコツは「二歩下がって三歩進む」にあると思っています。
ピアノは他の楽器に比べてややハードルが低く、習い始めて両手で弾けるようになるまで、比較的トントンと上昇気流に乗っていきます。が一旦その上昇気流が止むと、第一の大きな壁が立ちはだかります。その時期に個人差はあるものの誰にもそれは訪れるように思います。練習しても練習しても思うように上達せず、ピアノに触れることすらつい嫌気がさしてしまいます。
ピアノは一人でメロディ・ハーモニー・リズムの全てを担います。どの要素も欠かせず、そのバランスが悪ければ、当然不調をきたします。壁にぶつかる時は大体そのバランスが崩れた時に多いようです。そんな壁にぶつかった時にお奨めなのが「二歩下がって三歩進む」練習です。
具体的な例を一つ。両手でどうにか弾けるようになったものの、ところどころでつかえる場合。このような時は一旦、両手練習を止めて片手練習に戻ります。すると意外に弾けていない部分があることに気づきます。(特に伴奏がきちんと弾けていないケースが多いように思います。)片手練習の再点検を終えたら、また両手練習に戻り再チャレンジするのです。
行き詰まったら即、前進を止め「二歩下がる」のがコツです。その時にただ下がるのではなく、問題点を冷静に見直します。着眼点を少し変えてリフレッシュできれば最高です。そしてエネルギーを充分に蓄えたところで、また大きく踏み出し「三歩進んで」いきましょう。
「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」~抜粋~

今回はペンタトニックのアメリカ曲の「やや」番外編といえます。アメリカで人気を博した日本の曲「スキヤキ」を紹介。「六八九トリオ」(永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九歌唱)でおなじみの「上を向いて歩こう」です。
この曲はまず、1961年の11月から3ヵ月連続で日本のレコードランキングで1位になります。翌年、まずはヨーロッパ各国で紹介され人気に。そして1963年5月「SUKIYAKI」のタイトルでアメリカにて発売。「ビルボード100」で6月15日から3週連続で全米第1位となります。日本の曲が全米を制したのは後にも先にもこの曲だけになります。
では、なぜこの曲がアメリカで人気を博したのでしょうか?これはあくまで私論なのですが、前回紹介したフォスターの曲の構成との類似性を挙げます。フォスターは曲の「起承転結」の「転」以外はペンタトニック(5音階)を用いていましたが、この曲の構成も同じです。「幸せは雲の上に 幸せは空の上に」とのサビ(「転」の部分)以外はペンタトニックで作られています。
明治維新以降、西洋音楽に憧憬を抱き続けた日本の音楽界にとって、この曲の世界的な人気は「坂の上の雲」に到達した瞬間であったといえましょう。
<変イ長調>

変イ長調の調号は♭が4つ。長調の明るさの中に、深い憂いを潜めている、とても味わいのある渋い調だと、個人的には思っています。
<変イ長調の曲>
ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章(ベートーヴェン)
味わい深い変イ長調の代表曲として、この曲挙げないわけにはいかないでしょう。今回紹介するのはウラディミール・ホロヴィッツの演奏。指を伸ばして弾くホロヴィッツ独特のタッチとこの曲の相性がとても良いと思います。
以下「おたより」2020年6月号(第9号)の内容を掲載いたします。
今回の新型コロナウィルス感染にはホトホト参ってしまいました。今まで何気なく出来ていた対面レッスンが、まさか出来なくなる日が来るとは、つい数カ月前には想像することさえ出来ませんでした。
そして、非常事態宣言の中、対面制限を余儀なくされ、それに対応せざるをえませんでした。個人的にはLINEも始め、メールも今まで以上に使って苦手な文字コミュニケーションにも励むようになりました。そしてオンラインレッスンのテストのため、渋々ビデオ通話も始めることになりました。ところがメールやSNSに比べて、以外にも気楽に使えたので自分自身とても驚いています。やはり文字情報だけではどこか不安なのかもしれません。顔を見て声が聞けるビデオ通話の方が私にとっては安心感が強いようです。かくしてこのコロナ禍に、私のコミュニケーション法に大変革がおとずれたのでした。
さて14世紀半ば、ペストが流行したヨーロッパではカトリック教会の権威が失墜し中世が終焉、ルネサンス(文芸復興)に至ります。このコロナがペストほどの脅威かは一旦おき、なるほどパンデミックが人の意識に大きく影響することを、この度身をもって実感しました。
コロナが終息した暁には、もしかしたらルネサンスのように世界の価値観が変わり、その歴史的瞬間に立ち会えるかもしれない。そう思えば悪いことばかりでもなく、明るい希望もあるのかもと、少しばかり強がっています。一先ず対面レッスンは再開しました。やはり対面レッスンが一番いいですね。
「草競馬」

前回に引き続き今回もペンタトニックのアメリカ曲を取り上げます。
今回紹介するのはおなじみの作曲家、スティーブン・フォスター(1826-1864)です。フォスターが作曲した歌曲の多くは、ミンストレル・ショーのために作られました。ミンストレル・ショーとは、白人が顔を黒く塗り、黒人に模し面白くおかしく演じるといった、現代では考えられない大変差別的なものでした。次第にフォスターはその低俗さに悩むようになり、奴隷的に扱われる黒人の深い悩みに対して共感を示す作風に変化していきます。
ただし白人であったフォスターの作曲スタイルはあくまでも出身のアイルランド移民らしいものであり、それに対する賛否両論もありました。しかし彼の黒人文化に深く寄り添おうという姿勢こそ、フォスターが「アメリカ音楽の父」と呼ばれる所以だと思います。
そのフォスターもペンタトニック(5音階)を多用しています。今回紹介する「草競馬」は全曲を通してペンタトニックで作られています。そのほか、「おおスザンナ」「故郷の人々」では、曲の「起承転結」の「転」の部分では普通の7音階が使われていますが、残りの部分ではペンタトニックで作られています。
1939年のフォスターの自伝映画「スワニー河」よりアル・ジョルソンの歌唱による「草競馬」
皆川達夫著/講談社/ISBN(13)978-4062919371

この本はタイトル通り、ヨーロッパの中世・ルネサンスの音楽について書かれておりますが、巻末の結びの章でこちらで触れた生月島のオラショについても書かれています。初めて私がこの話を知った時、音楽と人とはそれこそ「縁は異なもの味なもの」だと深く感心したものです。著者の皆川達夫先生はこのオラショの研究における第一人者です。92歳でご逝去される直前の2020年の3月まで、NHKラジオの「音楽の泉」で昭和の終わりから令和の始めまでパーソナリティを生涯現役でつとめられました。
<変二長調>

変二長調の調号は♭が5つ。この調もすべての黒鍵を用います。やはりピアノ曲に特有の調ともいえます。淡い幻想的な色合いを感じさせます。
<変二長調の曲>
月の光(ドビュッシー)
この調の魅力を余すところなく引き出しているこの曲。淡い月明かりを連想させられます。今回紹介するのは、「ウィーン三羽烏」の一人として名高いピアニスト、イェルク・デームスによる演奏です。デームスは、声楽家フィッシャー・ディスカウのピアノ伴奏でも活躍しました。
以下「おたより」2020年5月号(第8号)の内容を掲載いたします。
さて、日本に洋楽が本格的に入ってきたのは、ペリーが来航した江戸時代の末期になりますが、実は16世紀の戦国時代にはスペイン人によるキリスト教と同時にその音楽も伝来しました。一時は国内でグレゴリオ聖歌の楽譜を印刷したり、オルガンを作ったり、洋楽を受け入れる機運は高まっていました。ところが江戸時代に入るとキリスト教は幕府に禁じられ、弾圧を受け、せっかく日本に芽生え始めた洋楽の文化も摘み取られてしまいます。(弾圧の様子は、遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙-サイレンス―」でも描かれているのでご存じの方も多いでしょう。)
ところが、その粛清の嵐の中、長崎県の生月島では、隠れキリシタンによりひっそり細々とその芽が育まれていました。それがオラショ(祈り)という聖歌です。伝来時の原形は崩れ、すっかり土着化してしまいましたが、現在に生き残っているのです。
ここに私は音楽文化の強さを感じるのです。一見何の役にも立ちそうもなく、ひ弱に見えるのですが、どんなに踏みつぶされても生き残るしぶとい強さが音楽にはあると思うのです。
ローリングストーンズは歌います、「
「アメイジング・グレイス」
ペンタトニック(5音階)によるメロディは何も日本の童謡・唱歌だけに限られません。前回アメリカ民謡の「メリーさんの羊」を取り上げたように、様々な人種が集まるアメリカでも好まれます。今回よりしばらくアメリカの曲でペンタトニックを用いている例をみていきたいと思います。
まずは、カール・パーキンスが歌うロックンロール・ナンバーの「ブルー・スエード・シューズ」(1956年)はペンタトニックのメロディです。
この曲はビルボードのカントリーチャートで第1位、R&Bチャートで第3位を獲得します。白人に人気のカントリーと黒人に人気のR&B、共にチャートインしたのは、当時はとても珍しいことでした。そしてこの曲はエルヴィス・プレスリーにもカバーされ、さらに認知度を上げて異なる文化の融合音楽である、ロックンロールのスタンダードナンバーになります。
さて今回紹介する「アメイジング・グレイス」ですがこの曲もまた異なる文化が融合した結晶と言えます。1772年、イギリスの牧師J.ニュートンにより作詞されます。黒人奴隷貿易に手を染めた彼の後悔が歌われています。作曲者は不詳で、アイルランドかスコットランドの民謡を基にしたという説、またはアメリカ南部の黒人労働者の歌を基にしたという説もあります。

ペンタトニックはこのように異なる文化背景の音楽が混ざり合うときに、触媒のような役割を果たすのかもしれません。
(バーバラ・コナブル著/誠信書房/ISBN(13)978-4414402803)
日常生活では、つい無意識に体を当たり前のように使っています。ところが楽器を演奏してみると、いかに普段の生活で使っていない体の部位があるかを思い知らされます。知っているようで意外に知らない自分の体、まさに「灯台下暗し」といったところです。この本では演奏時に、どのように体を使うかをイラスト付きで、分かりやすく説明しています。(翻訳書なので日本で少し分かりにくいところがあるのは仕方ありませんが…)
<変ト長調>

変ト長調の調号は♭が6つ。この調を得意とするのがピアノです。他の楽器では、鳴らしにくい調なので、ピアノ特有の調と言えるでしょう。
<変ト長調の曲>
黒鍵のエチュード Op.10-5/ショパン
1923年録音
1933年録音
1942年録音
この曲は1か所を除き、右手全部を黒鍵だけで弾くので、この俗称が用いられています。今回紹介するのは、アルフレッド・コルトーの演奏による歴史的録音。1923年、1933年、1942年に録音したものを聴き比べてみましょう。ハイレゾな現代では考えられない、19世紀的なロマンティックでおおらかな演奏がとても魅力的です。
以下当時のことを忘れないように、「おたより」2020年4月号(第7号)の内容を掲載いたします。
新年度が始まりました。とはいえ、新型コロナウィルスの影響で年度末に予定していた発表会も延期するなど、例年とは異なる心持ちで臨むことになりました。今回の事では社会全体に多大な影響がありますが、対面コミュニケーションを基本とする音楽にとっても事態は深刻です。ライブ・コンサートそしてレッスンも。状況も日毎に悪化し、どうなるか見通しも立ちませんが、このまま長期に及ぶとなると…。正直、想像を絶します。
つい、戦前の物理学者で随筆家の寺田寅彦の言葉が思い出されました。1935年の浅間山の噴火騒動を眼前に、寺田は「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたり、政党にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」と書き記しています。(寺田は理学博士号を「尺八の音響学的研究」という論文で取得するほど、音楽にも造詣の深い人物でした。)
近年、人知の及ばぬ自然災害に悩まされ続けています。今回のような事態は、今後もきっと起こるでしょう。そこで「正当にこわがる」ことは、そう容易ではありません。この緊急事態で教室を一時閉校し、自粛要請を受け入れるのも、その一環と考えております。
自然への畏敬を抱きつつも、ただ立ちつくすのではなく、再開後の次なる展開に希望の火を灯したいと思っています。先人が築き上げてきた豊かな音楽文化。そこに末席ながら連なる私に出来ることは些末ですが、細々でも引き継ぎ貢献できるよう、努めていきたいと思います。
(2020年4月第7号)
「メリーさんの羊」

「黒鍵4鍵で弾ける」シリーズも第5弾、ひとまず今号でひと段落。これまでは邦楽ばかりでしたが、最後は洋楽で締めくくります。
この「メリーさんの羊」は、英語の童謡、マザーグースの一種で、1830年、サラ・ジョセファ・ヘイルのオリジナル詩として発行されました。
実はこの曲、蓄音機と深い関りがあります。1877年、エジソンが蓄音機を発明したときのこと。録音の実験をするためにエジソン自身が蓄音機に向かって吹き込んだのが、なんと「メリーさんの羊」の歌詞だったのです。実験に成功したエジソンも「私の人生で、これほどびっくりしたことはない」というほどの驚きようだったそうです。最初の録音機は、パラフィン紙に溝を刻む仕組みで大変もろく、再生のため一度針を乗せただけで溝がつぶれてしまったそうです。ですから残念ながら記念すべき最初の録音は残っておりません。
ですが、1927年、発明50年を記念して、エジソンが発明当時を再現した録音は、現在も聴くことができます。
なお日本語詞は、1927年に高田三九三により訳されたものが有名で、1952年、NHKラジオ「うたのおばさん」で紹介され、一躍有名になります。
(H・グッドール著/白水社/ISBN(13) 978-4560081136)

今回紹介するのは、5つの発明(楽譜・オペラ・平均律・ピアノ・録音技術)を基点に西洋音楽の歴史を眺めるとてもユニークな視点の本。著者が5大発明の中にピアノをチョイスしてくれたのは、本当にうれしい限りです。第4章ではピアノ史を、楽器が誕生した約300年前から古典派・ロマン派・近現代・ジャズといった具合に概観できるのでお勧めです。黒鍵ペンタトニックで記した「メリーさんの羊」のエピソードもこの本で知りました。
2020年の2月下旬から、すっかり新型コロナウイルスの猛威が世の中を覆ってしまいました。外出することもままならぬこの事態は、やはり2011年の原発事故を想起させられ、目に見えぬ恐怖をまざまざと思い知らされます。
ただ、これはあくまでも私感ですが、2011年時に比べ今回は世の中の空気がやや殺伐としているようにも感じられます。デマの流布のせいで紙製品が商店から姿を消すなど、軽くパニック状態に陥っているようにも思います。やはり不安や恐怖が人心に悪影響を与えるのは致し方ない面もありますが、極力、冷静にこの事態に向き合いたいものです。
そこで音楽です。目に見えぬ恐怖には、目に見えぬ安らぎとなる音楽で対抗しましょう。自分の好きな曲を聴いて気分を上げても良いですし、ピアノを弾くのに没頭して嫌なことを忘れるのも良いと思います。
音楽は薬のように直接的な効能はありませんが、病を防ぐ免疫力を高く保つには、大いに役立つように思います。うがい・手洗い・不要不急の外出を控えるのはもちろん、免疫力を上げて自己防衛に心がけることが何より大切だと思います。
私もいつも以上に音楽を聴き、ピアノを弾き、心が元気であるようにつとめています。教室に通ってきている皆さんもぜひ、音楽を活用して共に元気にこの事態を乗りきっていきましょう。
※予定していた原稿を急遽さしかえました。いつも以上の乱筆乱文ご容赦ください。)
(2020年3月第6号)
「てるてる坊主」(中山晋平)

黒鍵4音で弾けるわらべうたの第4弾です。
2019年のレコード大賞曲は、「パプリカ」でしたが、実はこの曲はペンタトニック(5音階)をベースにメロディが作られています。(曲中にはもちろん、一般的な7音階を使っている所もあるので、そう単純な曲ではありませんが…)
作者の米津玄師が作る他の曲も含め、ここ数年のヒット曲の多くにペンタトニックが用いられる傾向があると思います。
そのペンタトニックで流行歌を作曲する元祖が今回紹介する中山晋平です。1912年(明治45年)に東京音楽学校本科ピアノ科を卒業。島村抱月が旗揚げした劇団「芸術座」に参加し、1914年(大正3年)に作曲した劇中歌「カチューシャ」が大当たりして一躍、流行作曲家として有名になります。
中山晋平は本当に多くの曲をペンタトニックで作曲していますのでこのコーナーで取り上げることも多くなります。その都度、エピソードを少しずつ紹介していこうと思います。
さて、「てるてる坊主」ですが、この曲は1921年(大正10年)に「少女の友」にて発表されました。当初の3番の歌詞は、童謡らしからぬ過激な詩の内容のため、後に削除されました。
(上月正博・酒井博美著/風間書房/ISBN(13) 978-4759922899)

第3号で「ながら聞き」をおすすめしましたが、この本はまさしく日常生活の中へ上手に音楽を取り入れ、豊かに暮らす術が紹介されています。ストレス解消・安眠・認知症予防など、東北大学大学院医学系研究科の先生方によって書かれたものです。付録には音楽CDがついていて、演奏は私の師匠である角聖子先生が担当しています。最近はCD付きの音楽書も増えてきて、読んで良し、聴いて良し、楽しみが倍増します。
<ホ長調>
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ホ長調の調号は#が4つ。明るい調ですが、昼間の明るさではなく朝夕の陽ざしを感じさせるように思います。
<ホ長調の曲>
別れの曲 op.10-3/ショパン
この曲の原題は「練習曲 作品10 第3番」とシンプルなものなのですが、この曲を使用したドイツ映画の邦題「別れの曲」(1934年)がそのままこの曲の愛称に。今回はこの映画で演奏を担当したエミール・フォン・ザウアー(なんとかのリストの直弟子)の録音を紹介します。
街にあったCD・レコード店はすっかり姿を消してしまいました。そしてCDプレーヤーで音楽を聴く機会もかなり減ってきたように思います。平成の終わりと共に、CDというメディアも一定の役割を終えたのかもしれません。
とはいえ、音楽そのものはなくなりません。今はインターネットを介して音楽を聴くことが多くなりました。YouTubeやApple MusicやSpotifyなどのサブスクリプション(定額聴き放題)で聴くことが多くなりました。インターネット上には、古今東西あらゆる音楽に溢れ、しかも無料・廉価であげく聴き放題です。かつて限りあるお小遣いを大量のCDで散財してきた私にとって、この状況は痛し痒しですが、本当に夢のような時代になったものだと感心しきりです。
おかげで私の音楽に対する好奇心が一層強くなりました。今までなら、その興味の範囲は自分の知力・財力の限りでしたが、その壁が取り払われ、一気に音楽の世界が広がりました。これまでなら多少興味があっても敬遠していたジャンルの音楽も、今では躊躇なく飛び込めるようになりました。やはり未知なる音楽に出会う刺激は、大きなエネルギーになり、生活が豊かに潤ってきたように感じます。
このように大変便利なのですが、少し心配もあります。インターネットの大海では、どんな音楽も並列されてしまうことです。あるところ、玉石混交の世界とも言えます。ですから、その大海で自由に泳ぐにも、ちょっとした予備知識や整理能力を備えるなどの一工夫が大切かもしれません。
(2020年2月第5号)
「あんたがたどこさ」

黒鍵4鍵で弾けるわらべうたの第三弾です。
「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ…」と歌詞にある通り、この曲は一般的には熊本県の手鞠歌として知られています。ところがこれには異説もあります。
続く歌詞、「せんばさ、せんば山には…」が問題になります。熊本城下には「船場(せんば)」という地名はあるが「船場山(せんば山)」はない。そこでにわかに注目を集めたのが、埼玉の川越です。川越には仙波山(せんば山)があり、そこにある仙波東照宮では「古狸」と知られる徳川家康が祀られている。そして幕末の戊辰戦争の時に、仙波山に隣接する川越城に駐留した肥後藩の官軍兵と、交流した近所の子供たちとの問答が歌詞になったのだという説が湧き上がりました。口伝で広まる「わらべうた」には、この様に諸説入り乱れることもあり、なかなか興味深いところです。
NHKのTV番組「ブラタモリ」では、熊本城の周りにお堀を作った時に生じた大量が、堀伝いに土塁として築かれ、それを「船場山(せんば山)」と呼んだという説が紹介されました。残念ながら、現在はその「船場山」は残っていないそうです。どうやらこの説の信憑性が高いようにも思いますが、はたして真偽のほどはいかに?

この本は「ピアノはいつピアノになったか?」という全8回のレクチャーコンサートを基に、補筆され書籍化したもの。毎回講師が異なり、おおよそ時代毎に現在とは構造が異なる当時の楽器を取り上げ、300年に及ぶピアノの歴史が紐解かれていきます。特に第5講の「ショパンとオペラ」は大変興味深い観点から切り込んでいるように思います。何より嬉しいのは、CDが付録され歴史的なピアノの音を聴けることです。
<イ長調>

イ長調の調号は#が3つ。全ての調の中で最も明るい色彩を感じます。弦楽器、A管クラリネットが演奏を得意とする調でもあります。
<イ長調の曲>
ピアノ協奏曲第23番 K.488/モーツァルト
この曲の第1&3楽章がイ長調です。今回紹介するのは、ピアノがルドルフ・ゼルキン、指揮がクラウディオ・アバドによるロンドン交響楽団による演奏。ちなみにゼルキン氏は私の師匠の師匠の師匠にあたります。とてつもなく遠縁ですが、そのピアノの音色に不思議と親しみを感じてしまいます。ロンドン交響楽団の華やかで軽やかな響きが大変心地よいです。





