ぷりま音楽歳時記 2-2.ト長調
<ト長調>

ト長調は調号は#1つ。マッテゾン曰く、「ほのめかすようでいて、雄弁」。なるほど冗舌とかおしゃべりというイメージということでしょうか。
<ト長調の曲>
アイネ・クライネ・ナハト・ムジークK.525(モーツァルト)
冗舌な曲といえば、モーツァルトの代表曲であるこの曲を取り上げないわけにはいきません。今回紹介するのは2005年、ドイツ・ザクセン州、ラメナウ城でのゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏です。
<ト長調>

ト長調は調号は#1つ。マッテゾン曰く、「ほのめかすようでいて、雄弁」。なるほど冗舌とかおしゃべりというイメージということでしょうか。
<ト長調の曲>
アイネ・クライネ・ナハト・ムジークK.525(モーツァルト)
冗舌な曲といえば、モーツァルトの代表曲であるこの曲を取り上げないわけにはいきません。今回紹介するのは2005年、ドイツ・ザクセン州、ラメナウ城でのゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏です。
楽譜はとても優れた記憶メディアで、私たちが現在、300年近く前の音楽を演奏できるのも作曲家が楽譜に書き残してくれたおかげといえます。
ただあまりに楽譜が優れているので、その通りの音の高さ・長さで演奏さえすれば、それらしくなります。ですから私たちはつい楽譜通り間違えずに演奏することを重要視してしまいます。
ですが「人生が筋書きのないドラマ」である様に、演奏でも楽譜通りにいかない場面に出くわすことはままあります。どんなことがあっても間違えないで演奏するよう備えることは、もちろんある程度は可能です。時間をかけ、何度も反復練習を重ね、徹底的に体に叩き込んで覚える方法です。でもこうした競技的なスリルある方法は、練習に専念できる環境が整っていて、時間も体力にも余裕のある人に限られます。日常生活を営みつつ趣味としてピアノを楽しむ方法としてはあまりお勧めできません。
となれば、やはり演奏中に、ある程度間違えてしまうのは致し方のないことだと私は考えます。「間違えないよう」と注意深く演奏する以上に大切なのが、「間違えたらどうするか?」です。つまりその場で「機転」を利かせてその間違えを何とかのりこえてしまうことだと私は考えます。
音楽での「機転」とは「即興(アドリブ)」です。これはクラシックピアノのメソードには、あまりなく私自身も試行錯誤の真っ最中です。ですが「黒鍵ペンタトニック」でその糸口をつかんでみたいと思います。コロナも5類に移行した今、始動したいと思います。

五線譜の前身、グレゴリオ聖歌の譜線ネウマ(14~5世紀)
「真夏の出来事」(平山三紀/筒美京平作曲)

今回は前回のエントリーで紹介した筒美京平が作曲した平山三紀が歌う「真夏の出来事」です。
1970年代初頭に筒美京平は“メロディー・メーカーからサウンド・メーカー”へと何度か語っているのだがまさにその通りで「真夏の出来事」こそが、“サウンド・プロダクション”の必要性を痛切に感じていた筒美京平の“サウンド作り”の一つの完成形を提示した日本のポップスの金字塔である。(CD「Kyouhei Tsutsumi History」ライナーノート58頁)
筒美とこの曲を作詞した橋本淳とが共同で設立した事務所に平山は当時所属していました。つまり身内ともいえる平山の曲で、筒美は新たなるサウンド作りを遠慮なく試行錯誤したのでしょう。
この曲では、平山の歌唱に対し、楽器・コーラスがバックで見事に絡み合ったサウンドを作り上げます。そしてそこで鍵を握るのが、ペンタトニック(5音階)なのです。
譜例①のベースラインに譜例②のイントロが重なります。譜例③のイントロ終わりから譜例④の歌い始めへとスムースに受け渡されます。譜例①~④のいずれもペンタトニック(5音階)で作られています。5音であれば、メロディが複数重なっても、お互いに衝突せず共存することができるのです。
これぞ筒美京平の作曲術の妙と言えます。
<ハ長調>

ハ長調は調号なし。マッテゾン曰く、「粗野で軽率だが、歓喜や歓びに満ちている時にふさわしい」とのこと。これには首を少し傾げるところも…
<ハ長調の曲>
弦楽セレナーデ op.48 第1楽章(チャイコフスキー)
ハ長調の音階で駆け上がって、冒頭のテーマが度々繰り返されるのがとても印象的な曲です。今回紹介するのは1990年に収録された小澤征爾指揮、水戸室内管弦楽団の演奏です。

近田春夫/文藝春秋/ISBN(13)978-4166613250
週刊文春の人気コラムだった「考えるヒット」でおなじみの音楽家、近田春夫。この本は2020年に亡くなった筒美京平についての近田の論考です。年代順に追っていてしかも会話調の文体なので大変読み易いです。この本で一番衝撃を受けたのが、小学生になったばかりの筒美が初めて作曲した「さんぽかいのうた」の楽譜。処女作にして全編、5音階(ペンタトニック)で作曲しているのです。ペンタトニックでの曲作りは、まさに「三つ子の魂百まで」だったのです。
今から十年ほど前まで、6月の父の日には、毎年、恵比寿ガーデンプレイス恵比寿麦酒記念館(現在休館中)で「お父さんのためのピアノ発表会」が催されていました。教室からも生徒さんが参加することもあり、私はそのお手伝いで毎年参加していました。

中には毎年のように参加される常連のお父さんもいました。しかも、毎回弾く曲は決まっていて、ベートーヴェンの月光ソナタの第1楽章でした。当時まだ青二才の若造だった私は「いつも同じ曲ばかり弾いて、飽きないのかな?」と思っていました。ですがその月光のお父さんの演奏を毎回聴くにつれ、その考え方を改めました。最初は、曲の最後まで何とか辿りつくので精一杯だったのに、年々腕を上げていき、曲の起承転結の聴かせどころを見事に弾ききり、板についた演奏になったのです。まさに「雨垂れ石を穿つ」とはまさにこのこと。年々コツコツと進(深)化していく月光のお父さんからわたしはとても大切なものを学びました。
やはり曲を一度弾いただけでは勿体ない(特にクラシックの曲は)。何度も塗り重ねることで漆器に味わいが増すように、演奏も何度も弾き重ねることで深みが増すように思います。
以前、現在、100歳を超えて現役のピアニストである室井摩耶子さんの記事を読みました。「80歳の頃になってようやくピアノが分かってきた」と仰ってました。となれば私なぞまだまだ青二才。ピアノの果てない奥深き魅力に少しでも触れられるよう、一歩ずつコツコツと弾き重ねていきたいものです。
「柔」(美空ひばり)

前回に引き続き、美空ひばりの曲を取り上げます。前回はそのレパートリーの幅広さについて触れましたが、今回は「演歌の女王」である美空ひばりに焦点を絞っていきたいと思います。
戦後、三橋美智也の民謡調歌謡曲や、三波春夫の浪曲調歌謡曲が流行しました。そこで戦前から活躍する大御所作曲家、古賀政男が目をつけたのが、浪曲師・村田英雄でした。「無法松の一生」「人生劇場」と古賀が作曲した曲を歌うもののヒットには至りません。
ところが、1961年、当時、新鋭の若手作曲家であった船村徹が、村田へ「王将」を提供します。すると戦後初のミリオンセラーとなり、爆発的にヒットします。自らが発掘した歌手を生意気盛りの若手作曲家に横取りされての大ヒット、ベテランの古賀は忸怩たる思いをしたに違いありません。それから3年、東京五輪の1964年。歌手として円熟期に達した美空ひばりに古賀は「柔」を提供。180万枚を売り上げ、ベテランの面目躍如となります。
なおこの曲は全編、四七長音階。船村も得意とする田舎節を用い、さながら古賀の横綱相撲。後の「悲しい酒」(1966年)と共に、ひばりの代表曲となります。そしてこの曲は当時確立したばかりの昭和演歌の雛型にもなります。
<ニ短調>

ニ短調の調号は♭1つ。英名でD-minor、独名でd-mollです。ラテン語で神を表す「Deus」の頭文字でもあるので、教会音楽で使用されることが多い調です。
<ニ短調の曲>
レクイエム ニ短調 K.626(モーツァルト)
モーツァルトの未完の遺作。死者のためのミサ曲であるレクイエムに、ニ短調は相応しいと思います。今回紹介するのは、1991年に収録された、ガーディナー指揮による古楽器オーケストラによる演奏です。第11曲、サンクトゥスは、同主調のニ長調で祝祭的な雰囲気も。

伊藤友計/講談社/ISBN(13)978-4065227381
このコロナ騒ぎの中、私にとっては近年まれにみる音楽本の出版ラッシュ、読みたい本が続々と出版され嬉しい限りです。その中でも特に驚き、深く感心したのがこの本です。前回のエントリーで触れたマッテゾンの「新設のオルケストラ」についても触れられています。一般書ではありますが、少し内容が難しいので、ご興味のある方は前々回のこのコーナーで触れた「古楽のすすめ」を読んでから挑戦すると、多少理解しやすくなるかもしれません。
いつも毎月第2週目に更新しています「ぷりま音楽歳時記」、来週の更新で、すべての長調・短調の紹介を終えることになり、計24調、一巡することになります。ということはこのブログをはじめて丸2年が過ぎることにもなります。
西洋音楽の長・短調によるシステムは本当によく出来ています。それぞれ「12」、すなわち時間や月を表すのにも使われる「ダース」という単位で、実に日常生活に溶け込みやすいと思います。
ただこの24調による音楽の歴史自体はそう古くはなく、確立したのが18世紀の前半。まだまだ300年程度に過ぎません。これは大バッハが活躍した時代とほぼ一致します。確立したばかりの24調を全て用いて「平均律クラヴィア曲集」を体系的に作曲したため、大バッハは「音楽の父」と呼ばれるようになったのです。
A.シフによる「平均律クラヴィア曲集」全曲演奏<ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール>(第1巻:2017年 第2巻:2018年)
24調の理論的な確立において、バッハと同年代の作曲家で理論家であるマッテゾン(1681~1764)が1713年に記した「新設のオルケストラ」がその到達点の一つとされています。その中でマッテゾンは17の調については、各々から想起される情感の言葉を当てはめています。各調から何か言葉を当てはめるのは、古代ギリシアのプラトンの頃から脈々と続く西洋の習慣ともいえましょう。音階を単なる音の連なりとせず、それぞれの調の特性を見出そうという試みは、私にはとても魅力的で、西洋音楽の奥深さを感じます。
「音楽歳時記」が2巡目に入る来月からは、マッテゾンが各々の調に当てはめた言葉も紹介しつつ進めていきたいと思います。
「リンゴ追分」(美空ひばり/米山正夫 作曲)

戦後の歌謡曲といえば、この人を取り上げないわけにはいきません。美空ひばりです。
そのレパートリーは幅広く、いわゆる古賀メロディのような演歌調はもちろん、ブギ、マンボ、ロカビリー、ツイスト等の「リズム歌謡」もお手の物。時々で流行するものなら何でも取り入れる貪欲さで、あげくジャズナンバー等の洋楽曲のカバーまで歌いこなします。ひばりが辿ったキャリアそのものが、「戦後歌謡史」といっても過言ではありません。
上記の「リンゴ追分」は、ひばりが15歳の1952年に発売されました。作曲は米山正夫(1912~1985)。米山はキャリア初期のひばりには欠かせない作曲家で、「ロカビリー剣法」「ひばりのドドンパ」等々手がけます。これおらのタイトルからも分かるように米山は外来のリズムと日本の民謡を和洋折衷して歌謡曲に仕立て上げる名人で、ペンタトニック(5音階)はその媒介にもなりました。「リンゴ追分」も一部を除き、「二六抜き短音階」で作られています。
なおこの曲に憧れた野口五郎が、米山の門下生になりたくて、関連のオーディションを受け続け、結果、演歌歌手としてデビューします。ですがヒットせず、ポップス歌手に転向して西城秀樹、郷ひろみらと「新御三家」として活躍、成功をおさめます。
1952年ひばり主演の映画「リンゴ園の少女」

細馬宏通/ぴあ/ISBN(13)978-4835646251
流行歌は意外にも歌詞・メロディ・リズム・コード進行(伴奏の和音)等、様々な要素があり複雑に出来ています。分析する時はそれぞれの要素だけを、つい抜き出しがちに。ですが、この本では複雑な「うたのしくみ」について各章一曲ずつ丁寧に解説しています。にもかかわらず難しい専門用語もあまり用いず、分かりやすい言葉で書かれているのが、大変素晴らしいです。私はシーズン2の12「おどけた軍歌」の話が特に気に入っています。
日常の移動を出来るだけ徒歩にするようになって私のスピード感に大きな変化がありました。自転車をペダルでこぎ進むスピードすら今では速すぎて、少し怖さすら覚えます。車の運転など無理、もはや完全なペーパードライバーです。
確かに徒歩だと時間がかかるというデメリットはありますが、速いスピードでは気づかなかった小さな街の変化にも敏感になり面白くなってきました。どうやら私にとって慌てて先を急ぐより、ゆっくりじっくりと歩を進める方が、どうやら性に合うようなのです。
それはピアノの練習でも同様のようです。楽譜を初見でさっと鮮やかに弾きこなし、次々と新しい曲に挑戦し続けるのは、あまり自分には向いていないようです。それより同じ曲でも、角度を変えて色々なアプローチで何度も反復していくことで、つぶさに曲の魅力を味わえるように感じられ、じっくり進めた方が面白いのです。
それでは大して進歩しないじゃないか?そう思われるかもしれません。18世紀の大哲学者カントは、毎日・同じ時間・同じ経路での散歩が日課だったそう。一見同じことの繰り返しでも、どこかに小さな変化があり、それが大きな創造力となり、カントの哲学的大発見に繋がったと考えます。
日々のレッスンでちっとも進歩していないと嘆かれる方、どうぞご心配なく。レッスンを継続している限りはどんなに小さな歩幅でも進んでいきます。私はその小さな変化を見つけ出すのが好きなのです。ですから共に小さな進歩を見つけ出しながら、大きな創造力に繋げていきましょう。
「男の子女の子」(郷ひろみ/筒美京平 作曲)

前回は女性アイドルの曲を紹介しましたので、今回は男性アイドルを取り上げたいと思います。
古今東西アイドル稼業は「なんでも屋」の側面があると感じます。歌って、踊って、演技して、喋って等々、歌手一本に専念できません。しかも年端もいかずデビューするので、その段階で歌唱力が不安定なのも無理はありません。
郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」(1972年)もその歌唱力へ充分配慮された曲と言えます。その配慮とは、この曲は全編「四七抜き長音階」で作られている点です(一か所を除き)。
明治の学校教育に唱歌を導入した立役者、伊澤修二が西洋音楽を学びにアメリカに留学した際、長音階の4番目「ファ」と7番目「シ」の音程を正確に歌うのに苦労したという逸話があります。自身の留学経験から、唱歌集を作成する時に子ども達が歌いやすいように「四七抜き長音階」を重用したのです。
「男の子女の子」も、この明治唱歌の伝統に倣ったと言えるでしょう。そしてこの曲は歌手本人のみならず、誰もが口ずさみやすいので、ヒットするのも当然と言えます。
なおこの曲を作曲したのは、「歌謡曲の巨人」筒美京平です。郷のシングル曲はデビューから連続20作、筒美が手がけます(中途一作、外国曲を挟みますが)。

金澤正剛/音楽之友社/ISBN(13)978-4276371057
私たちが普段あたり前のように使っている階名「ドレミファソラシ」や記号「#・♭・♮」などは、いつ、どこで、どのように使われだしたのか?その起源を気にすることはあまりないと思います。
この本ではその疑問について応えてくれています。本のタイトルだけだとやや馴染みにくく見えてしまいますが、「バッハ以前の音楽」である「古楽」に興味を持つと、また異なる観点から現在の音楽を眺められ、面白いかもしれません。
<ハ短調>

ハ短調の調号は♭が3つ。同主調のハ長調はイノセントな印象のハ長調。ハ短調はその反面のダークサイドとして用いられることが多いと感じます。
<ハ短調の曲>
「交響曲第5番<運命>」(ベートーヴェン)
ハ短調の代名詞的な存在ともいえるのがこの曲。激しく葛藤するかのような第1楽章がハ短調。祝祭的な終楽章はハ長調でその対比は見事。今回紹介するのは、1981年10月29日東京文化会館でのカラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニーの演奏です。
最近、私はバッハの曲の練習に時間をかけています。やはりクラシックの作曲家では、バッハが一番好きなのだと実感させられます。
さてバッハの時代の鍵盤楽器は種々様々でした。教会のオルガンをはじめ、宮廷で愛されたチェンバロ、簡素な練習用のクラヴィコードなど。ピアノはまだまだ生まれたての新参ものでした。
現在ピアノでよく弾かれるバッハの曲の多くは、作曲家自身による詳細な楽器指定がありません。有名な「平均律クラヴィア曲集」における「クラヴィア」とは、鍵盤楽器全体の総称を指します。つまりどの鍵盤楽器で演奏して問題がないようにバッハは作曲したのです。このようなバッハの懐の深さは時代を超越すると思います。それは電子楽器、シンセサイザーによるレコードで初めてミリオンセラーを達成したのが、W.カーロスによる「スイッチト・オン・バッハ」(1968年)というバッハ曲による作品であることからも明らかなように思います。
そして私が何より驚嘆するのはバッハの鍵盤曲の多くがたった50鍵程度で作られていることです。これは当時の楽器の技術的事情が大きいです(現存する最古のピアノ、クリストフォリの3台のうち2台が49鍵)。現在のピアノの標準鍵盤数は88鍵なので、その6割しか用いないいにもかかわらず、バッハは音楽の小宇宙を築き上げていて、そのイマジネーションにはほれぼれしてしまいます。
なお私の防災グッズには49鍵の簡易なキーボードも準備しています。何かあったらそれを抱えて避難し、バッハの曲だけは何とか弾ける環境を作りたいと思います。
メトロポリタン美術館に残る最古のピアノ、クリストフォリ。バッハと同い年のD.スカルラッティの曲を演奏した動画
「春一番」(キャンディーズ/穂口雄右 作曲)

さて今回より、少し現代に近づけて、戦後昭和の「歌謡曲」に焦点を当てていきたいと思います。
戦後の「歌謡曲」はアメリカの音楽に強い影響を受けます。ですが単なるその真似だけにとどまらず、日本語の歌詞をのせやすいよう、独自のメロディが作られるようになります。その際、明治・大正の唱歌・童謡と同様に、ペンタトニック(5音階)が積極的に使用されます。
上記当時の若者向けに作られたキャンディーズの「春一番」(1975年)はその代表的な曲です。「今月の一冊」でも紹介した『歌謡曲の構造』にて、この曲は「二六抜き短音階」で、近衛家に残る平安時代の風俗歌の楽譜を解読すると、よく似た音階が用いられていると、小泉文夫先生は指摘しています。
『非常にモダンでカッコのいいものの中に、奈良時代や平安時代から、ちっとも変わらない要素があるのだということですね。』(前掲書 p.88)
私はこれを読んだ時にあまりに驚き、体がのけぞってしまいました。
なおこの曲を作曲した穂口雄右氏は、スタジオミュージシャンとして森岡賢一郎氏に見いだされ、1972~79年にかけて、作編曲家として活躍、現在は拠点をアメリカに移し活動されています。
大学で私が専攻したのは「音楽学」です。学校の方針で単なる座学にならぬよう、副科ですが楽器演奏の実技も必修でした。副科実技の中で特に優遇されていた楽器がピアノでした。4年間の継続履修を条件に、他の楽器の倍の単位を当時は取得できました。学生の多くはこの恵まれたピアノのルートを選択し進むのですが、あろうことに私は二年次で道から外れ単位を失います。
その後、苦難の道が待ち受けます。私はピアノ以外の楽器経験はありませんでした。いくら副科実技とはいえ、ヴァイオリンやフルートといったメジャーな楽器では、とても授業についていけません。途方に暮れていた私を救ってくれたのが、非西洋圏のいわゆる「民族楽器」でした。インドのシタール、インドネシアのガムラン、朝鮮半島の伽耶琴、そして日本の雅楽。さすがに未経験者ばかりが多く、授業も和気あいあい。「小泉文夫記念資料室」に楽しく授業に通ったのを思い出します。
なお小泉文夫先生は、日本に民族音楽を広めた第一人者で、山下洋輔氏、坂本龍一氏など数多くの音楽家に影響を与えました。私の在学時には既にお亡くなりなっていましたが、小泉先生が残してくださった記念資料室のおかげで、私は副科実技の単位を何とか取得し、大学卒業までたどり着くことができました。
今思えば随分と遠回りをしましたが、様々な地域の楽器に幅広く触れた経験はとても得難いものでした。そして今、あらためてピアノに向き合う私の血肉になっていると思います。
「かなりや」(成田為三作曲)

このコーナーで5回連続で「童謡」を特集していきましたが、今回で一息つきたいと思います。
大正から昭和にかけて興った「童謡」のムーブメント、それを牽引したのが、小説家・鈴木三重吉が創刊した児童雑誌「赤い鳥」でした。1918年に創刊、鈴木がなくなる1936年まで、計196冊が刊行されました。
上記の「かなりや」は同誌の1919年5月号で、初の曲つきの童謡として楽譜が掲載された記念すべき作品です。翌1920年にはレコードも発売され、録音された童謡としても最初期の作品となりました。
さてこの曲は基本的には5音でメロディが作られています。上記の1,2番は二六抜き短音階で憂いのあるメロディなのですが、3番で転調。四七抜き長音階で明るくなり、曲のクライマックスでは第7音も使い締めくくられます。
さて作曲した成田為三ですが、1893年秋田で生まれます。東京音楽学校の甲種師範科へ進み、前回紹介した草川信と同級生となります。在学中の1916年にはかの「浜辺の歌」を作曲します(残念ながらこちらは黒鍵だけでは弾けません)。卒業後、1922年にドイツ留学するまで「赤い鳥」の専属作曲家として活躍。数多くの童謡を残します。
1929~31年頃に大阪府・豊中市のコッカレコードで発売されたSP盤

村上春樹/文藝春秋/ISBN(13)978-4167502096
クラシック、ポップス、ジャズ等、音楽ではジャンルが確立していて、それぞれの専門家がいるせいか、ジャンルをまたがって一冊にまとめる音楽本は意外に少ないように思います。なのでこうしたジャンルを横断した音楽エッセイは、偉大なる門外漢、小説家・村上春樹ならではの仕事だと思います。
<変ロ短調>

変ロ短調は調号の♭が5つ。黒鍵をフル活用できるので、ピアノ曲に用いられることが多いです。重厚かつ深い響きの曲によく似合う調だと思います。
<変ロ短調の曲>
インパクトある冒頭のピアノ和音奏でおなじみのこの曲をやはり挙げないわけにはいきません。第1楽章は変ロ短調で始まり同主調の変ロ長調で終わります。今回紹介するのは、1962年のコンサート録画、ヴァン・クライバーンのピアノ、キリル・コンドラシン指揮のモスクワ交響楽団による演奏です。
一昨年のコロナ感染症での緊急事態宣言下による休業期間が明け、教室を再開してからもう2年半となります。再開以降、現在も特にご迷惑をおかけしているのが、声楽・フルート・クラリネットの皆さんです。感染防止のために、先生・生徒で二部屋に分かれて行う教室内リモートレッスンを今も継続しております。
こちらは音響機材の素人なので、使用する機材にではあれこれ迷走、模索を繰り返しました。特に二部屋をどのように映像で結ぶかは二転三転。当初はTV電話やWEBカメラを使うなど、「インターネットかつ無線」でと進めてきましたが、映像のタイムラグや通信の不安定さもあり、とても満足出来るものではありませんでした。
そこで試行錯誤を繰り返してたどり着いたのが、10年も前のハンディカメラとパソコンのディスプレイを有線で結ぶ方法です。タイムラグもなく、接続感も安定感があり、なかなか快適な状態になりました。何も今時の無線にこだわる必要はなく、昔ながらの有線でよかったのです。新しい技術がベストとは限らないことを今回改めて思いしらされました。

それにしてもこのような機材を触っていると、小学生時代の放送委員会での仕事を思い出します。機材のセッティングを済ませ、「あーあーただいまマイクのテスト中」と発した時に、マイクが無事に繋がった時は何ともいえない快感があり、楽しかったものです。
もうひと我慢の気もしますが、これからもコロナ感染症対策は常に見直して、万全を期してレッスンに臨みたいと思います。
「夕焼小焼」(草川信 作曲)

全国各地で夕方のチャイム放送で使われていることでおなじみの曲です。(春日部市も何年か前まではこの曲でした。)
この曲は1929年(大正12年)7月に文化楽社より「新しい童謡」という楽譜集の中の一曲として出版されます。ですが、2か月後に発生した関東大震災のためそのほとんどが消失。わずか13部だけが焼け残りました。その楽譜を元に小学校を中心にこの曲が歌い継がれました。元々ピアノ購入者用に企画された童謡曲集だったため、伴奏がとても弾き易かったことも広まる大きな要因になったようです。そして何といっても五音の四七抜き長音階によるメロディこそが、どの世代にも共通して深い郷愁を誘うのでしょう。
さて作曲の草川信(1893~1948)は長野県出身で、長野師範附属小学校時代に、武蔵野音楽大学を創設した福井直秋の薫陶を受けます。東京音楽学校の甲種師範科(現在でいう教育学部)に進んでからは、前回紹介した弘田龍太郎にピアノを師事。なお甲種師範科で同級生だったのが作曲家、成田為三です。成田は当時、児童雑誌「赤い鳥」に参加していましたが、ドイツへの作曲留学を機に、同級生の草川に後任を託します。そして草川は多くの童謡を残すのです。
<変ホ短調>

変ホ短調の調号は♭が6つ。黒鍵だらけの調でピアノ曲の独壇場の調といえます(特にロマン派以降)。この世ならざる涅槃の境地を感じてしまいます。
<変ホ短調の曲>
ピアノのための6つの作品 Op.118 より 第6曲「間奏曲」(ブラームス)
超有名曲とまではいきませんが、ブラームス後期の傑作です。この第6曲はこの世ではない「あの世」をあたかも描いているようです。今回紹介するのは前回のエントリーでも触れた、グレン・グールドによる1960年の録音です。当時グールドは20代の若者、なのにやけに老練された演奏のように思います。





