小さな進歩が、大きな創造力につながる
日常の移動を出来るだけ徒歩にするようになって私のスピード感に大きな変化がありました。自転車をペダルでこぎ進むスピードすら今では速すぎて、少し怖さすら覚えます。車の運転など無理、もはや完全なペーパードライバーです。
確かに徒歩だと時間がかかるというデメリットはありますが、速いスピードでは気づかなかった小さな街の変化にも敏感になり面白くなってきました。どうやら私にとって慌てて先を急ぐより、ゆっくりじっくりと歩を進める方が、どうやら性に合うようなのです。
それはピアノの練習でも同様のようです。楽譜を初見でさっと鮮やかに弾きこなし、次々と新しい曲に挑戦し続けるのは、あまり自分には向いていないようです。それより同じ曲でも、角度を変えて色々なアプローチで何度も反復していくことで、つぶさに曲の魅力を味わえるように感じられ、じっくり進めた方が面白いのです。
それでは大して進歩しないじゃないか?そう思われるかもしれません。18世紀の大哲学者カントは、毎日・同じ時間・同じ経路での散歩が日課だったそう。一見同じことの繰り返しでも、どこかに小さな変化があり、それが大きな創造力となり、カントの哲学的大発見に繋がったと考えます。
日々のレッスンでちっとも進歩していないと嘆かれる方、どうぞご心配なく。レッスンを継続している限りはどんなに小さな歩幅でも進んでいきます。私はその小さな変化を見つけ出すのが好きなのです。ですから共に小さな進歩を見つけ出しながら、大きな創造力に繋げていきましょう。
黒鍵ペンタトニック 「男の子女の子」(郷ひろみ)
「男の子女の子」(郷ひろみ/筒美京平 作曲)
前回は女性アイドルの曲を紹介しましたので、今回は男性アイドルを取り上げたいと思います。
古今東西アイドル稼業は「なんでも屋」の側面があると感じます。歌って、踊って、演技して、喋って等々、歌手一本に専念できません。しかも年端もいかずデビューするので、その段階で歌唱力が不安定なのも無理はありません。
郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」(1972年)もその歌唱力へ充分配慮された曲と言えます。その配慮とは、この曲は全編「四七抜き長音階」で作られている点です(一か所を除き)。
明治の学校教育に唱歌を導入した立役者、伊澤修二が西洋音楽を学びにアメリカに留学した際、長音階の4番目「ファ」と7番目「シ」の音程を正確に歌うのに苦労したという逸話があります。自身の留学経験から、唱歌集を作成する時に子ども達が歌いやすいように「四七抜き長音階」を重用したのです。
「男の子女の子」も、この明治唱歌の伝統に倣ったと言えるでしょう。そしてこの曲は歌手本人のみならず、誰もが口ずさみやすいので、ヒットするのも当然と言えます。
なおこの曲を作曲したのは、「歌謡曲の巨人」筒美京平です。郷のシングル曲はデビューから連続20作、筒美が手がけます(中途一作、外国曲を挟みますが)。
今月の一冊 金澤正剛著 『新版 古楽のすすめ』
金澤正剛/音楽之友社/ISBN(13)978-4276371057
私たちが普段あたり前のように使っている階名「ドレミファソラシ」や記号「#・♭・♮」などは、いつ、どこで、どのように使われだしたのか?その起源を気にすることはあまりないと思います。
この本ではその疑問について応えてくれています。本のタイトルだけだとやや馴染みにくく見えてしまいますが、「バッハ以前の音楽」である「古楽」に興味を持つと、また異なる観点から現在の音楽を眺められ、面白いかもしれません。
ぷりま音楽歳時記 22.ハ短調
<ハ短調>
ハ短調の調号は♭が3つ。同主調のハ長調はイノセントな印象のハ長調。ハ短調はその反面のダークサイドとして用いられることが多いと感じます。
<ハ短調の曲>
「交響曲第5番<運命>」(ベートーヴェン)
ハ短調の代名詞的な存在ともいえるのがこの曲。激しく葛藤するかのような第1楽章がハ短調。祝祭的な終楽章はハ長調でその対比は見事。今回紹介するのは、1981年10月29日東京文化会館でのカラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニーの演奏です。
たった50鍵の小宇宙、バッハの時代の鍵盤曲
最近、私はバッハの曲の練習に時間をかけています。やはりクラシックの作曲家では、バッハが一番好きなのだと実感させられます。
さてバッハの時代の鍵盤楽器は種々様々でした。教会のオルガンをはじめ、宮廷で愛されたチェンバロ、簡素な練習用のクラヴィコードなど。ピアノはまだまだ生まれたての新参ものでした。
現在ピアノでよく弾かれるバッハの曲の多くは、作曲家自身による詳細な楽器指定がありません。有名な「平均律クラヴィア曲集」における「クラヴィア」とは、鍵盤楽器全体の総称を指します。つまりどの鍵盤楽器で演奏して問題がないようにバッハは作曲したのです。このようなバッハの懐の深さは時代を超越すると思います。それは電子楽器、シンセサイザーによるレコードで初めてミリオンセラーを達成したのが、W.カーロスによる「スイッチト・オン・バッハ」(1968年)というバッハ曲による作品であることからも明らかなように思います。
そして私が何より驚嘆するのはバッハの鍵盤曲の多くがたった50鍵程度で作られていることです。これは当時の楽器の技術的事情が大きいです(現存する最古のピアノ、クリストフォリの3台のうち2台が49鍵)。現在のピアノの標準鍵盤数は88鍵なので、その6割しか用いないいにもかかわらず、バッハは音楽の小宇宙を築き上げていて、そのイマジネーションにはほれぼれしてしまいます。
なお私の防災グッズには49鍵の簡易なキーボードも準備しています。何かあったらそれを抱えて避難し、バッハの曲だけは何とか弾ける環境を作りたいと思います。
メトロポリタン美術館に残る最古のピアノ、クリストフォリ。バッハと同い年のD.スカルラッティの曲を演奏した動画
黒鍵ペンタトニック 「春一番」(キャンディーズ)
「春一番」(キャンディーズ/穂口雄右 作曲)
さて今回より、少し現代に近づけて、戦後昭和の「歌謡曲」に焦点を当てていきたいと思います。
戦後の「歌謡曲」はアメリカの音楽に強い影響を受けます。ですが単なるその真似だけにとどまらず、日本語の歌詞をのせやすいよう、独自のメロディが作られるようになります。その際、明治・大正の唱歌・童謡と同様に、ペンタトニック(5音階)が積極的に使用されます。
上記当時の若者向けに作られたキャンディーズの「春一番」(1975年)はその代表的な曲です。「今月の一冊」でも紹介した『歌謡曲の構造』にて、この曲は「二六抜き短音階」で、近衛家に残る平安時代の風俗歌の楽譜を解読すると、よく似た音階が用いられていると、小泉文夫先生は指摘しています。
『非常にモダンでカッコのいいものの中に、奈良時代や平安時代から、ちっとも変わらない要素があるのだということですね。』(前掲書 p.88)
私はこれを読んだ時にあまりに驚き、体がのけぞってしまいました。
なおこの曲を作曲した穂口雄右氏は、スタジオミュージシャンとして森岡賢一郎氏に見いだされ、1972~79年にかけて、作編曲家として活躍、現在は拠点をアメリカに移し活動されています。
今月の一冊 小泉文夫著 『歌謡曲の構造』
ぷりま音楽歳時記 21.へ短調
遠回りもそう悪くはない?得難い経験
大学で私が専攻したのは「音楽学」です。学校の方針で単なる座学にならぬよう、副科ですが楽器演奏の実技も必修でした。副科実技の中で特に優遇されていた楽器がピアノでした。4年間の継続履修を条件に、他の楽器の倍の単位を当時は取得できました。学生の多くはこの恵まれたピアノのルートを選択し進むのですが、あろうことに私は二年次で道から外れ単位を失います。
その後、苦難の道が待ち受けます。私はピアノ以外の楽器経験はありませんでした。いくら副科実技とはいえ、ヴァイオリンやフルートといったメジャーな楽器では、とても授業についていけません。途方に暮れていた私を救ってくれたのが、非西洋圏のいわゆる「民族楽器」でした。インドのシタール、インドネシアのガムラン、朝鮮半島の伽耶琴、そして日本の雅楽。さすがに未経験者ばかりが多く、授業も和気あいあい。「小泉文夫記念資料室」に楽しく授業に通ったのを思い出します。
なお小泉文夫先生は、日本に民族音楽を広めた第一人者で、山下洋輔氏、坂本龍一氏など数多くの音楽家に影響を与えました。私の在学時には既にお亡くなりなっていましたが、小泉先生が残してくださった記念資料室のおかげで、私は副科実技の単位を何とか取得し、大学卒業までたどり着くことができました。
今思えば随分と遠回りをしましたが、様々な地域の楽器に幅広く触れた経験はとても得難いものでした。そして今、あらためてピアノに向き合う私の血肉になっていると思います。
黒鍵ペンタトニック 「かなりや」
「かなりや」(成田為三作曲)
このコーナーで5回連続で「童謡」を特集していきましたが、今回で一息つきたいと思います。
大正から昭和にかけて興った「童謡」のムーブメント、それを牽引したのが、小説家・鈴木三重吉が創刊した児童雑誌「赤い鳥」でした。1918年に創刊、鈴木がなくなる1936年まで、計196冊が刊行されました。
上記の「かなりや」は同誌の1919年5月号で、初の曲つきの童謡として楽譜が掲載された記念すべき作品です。翌1920年にはレコードも発売され、録音された童謡としても最初期の作品となりました。
さてこの曲は基本的には5音でメロディが作られています。上記の1,2番は二六抜き短音階で憂いのあるメロディなのですが、3番で転調。四七抜き長音階で明るくなり、曲のクライマックスでは第7音も使い締めくくられます。
さて作曲した成田為三ですが、1893年秋田で生まれます。東京音楽学校の甲種師範科へ進み、前回紹介した草川信と同級生となります。在学中の1916年にはかの「浜辺の歌」を作曲します(残念ながらこちらは黒鍵だけでは弾けません)。卒業後、1922年にドイツ留学するまで「赤い鳥」の専属作曲家として活躍。数多くの童謡を残します。
1929~31年頃に大阪府・豊中市のコッカレコードで発売されたSP盤
今月の一冊 村上春樹著 『意味がなければスイングはない』
村上春樹/文藝春秋/ISBN(13)978-4167502096
クラシック、ポップス、ジャズ等、音楽ではジャンルが確立していて、それぞれの専門家がいるせいか、ジャンルをまたがって一冊にまとめる音楽本は意外に少ないように思います。なのでこうしたジャンルを横断した音楽エッセイは、偉大なる門外漢、小説家・村上春樹ならではの仕事だと思います。
ぷりま音楽歳時記 20.変ロ短調
<変ロ短調>
変ロ短調は調号の♭が5つ。黒鍵をフル活用できるので、ピアノ曲に用いられることが多いです。重厚かつ深い響きの曲によく似合う調だと思います。
<変ロ短調の曲>
インパクトある冒頭のピアノ和音奏でおなじみのこの曲をやはり挙げないわけにはいきません。第1楽章は変ロ短調で始まり同主調の変ロ長調で終わります。今回紹介するのは、1962年のコンサート録画、ヴァン・クライバーンのピアノ、キリル・コンドラシン指揮のモスクワ交響楽団による演奏です。
教室内リモートレッスン現在継続中
一昨年のコロナ感染症での緊急事態宣言下による休業期間が明け、教室を再開してからもう2年半となります。再開以降、現在も特にご迷惑をおかけしているのが、声楽・フルート・クラリネットの皆さんです。感染防止のために、先生・生徒で二部屋に分かれて行う教室内リモートレッスンを今も継続しております。
こちらは音響機材の素人なので、使用する機材にではあれこれ迷走、模索を繰り返しました。特に二部屋をどのように映像で結ぶかは二転三転。当初はTV電話やWEBカメラを使うなど、「インターネットかつ無線」でと進めてきましたが、映像のタイムラグや通信の不安定さもあり、とても満足出来るものではありませんでした。
そこで試行錯誤を繰り返してたどり着いたのが、10年も前のハンディカメラとパソコンのディスプレイを有線で結ぶ方法です。タイムラグもなく、接続感も安定感があり、なかなか快適な状態になりました。何も今時の無線にこだわる必要はなく、昔ながらの有線でよかったのです。新しい技術がベストとは限らないことを今回改めて思いしらされました。
それにしてもこのような機材を触っていると、小学生時代の放送委員会での仕事を思い出します。機材のセッティングを済ませ、「あーあーただいまマイクのテスト中」と発した時に、マイクが無事に繋がった時は何ともいえない快感があり、楽しかったものです。
もうひと我慢の気もしますが、これからもコロナ感染症対策は常に見直して、万全を期してレッスンに臨みたいと思います。
黒鍵ペンタトニック 「夕焼小焼」
「夕焼小焼」(草川信 作曲)
全国各地で夕方のチャイム放送で使われていることでおなじみの曲です。(春日部市も何年か前まではこの曲でした。)
この曲は1929年(大正12年)7月に文化楽社より「新しい童謡」という楽譜集の中の一曲として出版されます。ですが、2か月後に発生した関東大震災のためそのほとんどが消失。わずか13部だけが焼け残りました。その楽譜を元に小学校を中心にこの曲が歌い継がれました。元々ピアノ購入者用に企画された童謡曲集だったため、伴奏がとても弾き易かったことも広まる大きな要因になったようです。そして何といっても五音の四七抜き長音階によるメロディこそが、どの世代にも共通して深い郷愁を誘うのでしょう。
さて作曲の草川信(1893~1948)は長野県出身で、長野師範附属小学校時代に、武蔵野音楽大学を創設した福井直秋の薫陶を受けます。東京音楽学校の甲種師範科(現在でいう教育学部)に進んでからは、前回紹介した弘田龍太郎にピアノを師事。なお甲種師範科で同級生だったのが作曲家、成田為三です。成田は当時、児童雑誌「赤い鳥」に参加していましたが、ドイツへの作曲留学を機に、同級生の草川に後任を託します。そして草川は多くの童謡を残すのです。
今月の一冊 小沼純一著 『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」』
ぷりま音楽歳時記 19.変ホ短調
<変ホ短調>
変ホ短調の調号は♭が6つ。黒鍵だらけの調でピアノ曲の独壇場の調といえます(特にロマン派以降)。この世ならざる涅槃の境地を感じてしまいます。
<変ホ短調の曲>
ピアノのための6つの作品 Op.118 より 第6曲「間奏曲」(ブラームス)
超有名曲とまではいきませんが、ブラームス後期の傑作です。この第6曲はこの世ではない「あの世」をあたかも描いているようです。今回紹介するのは前回のエントリーでも触れた、グレン・グールドによる1960年の録音です。当時グールドは20代の若者、なのにやけに老練された演奏のように思います。
人前の演奏での緊張 口呼吸から鼻呼吸へ(続き)
先月の続きです。
さて人前でピアノを弾く時に多くの人にとって避けられないのが「緊張」です。これはプロのピアニストも同様で、極端な例では、名ピアニスト、グレン・グールドが1964年、人前に晒されるのを嫌い、コンサート活動を引退。没する1982年まで、その活動は何度も演奏のやり直しができるレコーディングに限られます。
(1960年NBC=CBSネットでのテレビ出演。バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルと共演でバッハのチェンバロ協奏曲第1番第1楽章を演奏。)
かの名ピアニストもこの有様。凡人である私が緊張で悩むのもごく当たり前といえます。ただ極度に緊張して、演奏の途中で何をやっているのか分からなくなってしまうホワイトアウトだけは何とか避けたいもの。制御不能になっても完全に体に覚えこませておけば何とか凌げますが、そのためには徹底的に緻密な練習が必要となります。それを思うだけで人前で弾くのは億劫で気の重いものでした。
演奏中のホワイトアウトするのは、夏場にパソコンなどが熱暴走してフリーズするのと同様、緊張のあまり頭に血が上り脳が過度に熱くなるせいか?と考えてみました。脳の熱暴走をくい止め、平熱を保てればきっといいのだろう。そこで前回の「鼻呼吸」です。鼻の穴の奥は脳を包む頭蓋の底部につながっているそうです。鼻から外気を吸い脳を冷やし、籠った熱を鼻から吐き出せば、きっと熱暴走を防ぎ、ホワイトアウトせず冷静にいられるはずです。実際に試したところ、想像以上にうまくいきました。いつもなら演奏後は、耳たぶが極度に熱くなっているところ、適温に保てました。あまりカーっと熱くならず落ち着いて演奏できたように思います。
ただしこれは私の単なる個人的な体験談に過ぎません。ですが、「三人寄れば文珠の知恵」、ぜひ皆さんの体験談も積極的にお寄せください。そしてともに人前で楽しく弾けるための知恵を蓄えていきましょう。
黒鍵ペンタトニック 「春よ来い」
「春よ来い」(弘田龍太郎 作曲)
今回は前回紹介した本居長世の教え子の一人である弘田龍太郎(1982~1953)を紹介します。弘田はこれまで紹介した本居や、山田耕筰、中山晋平ら1880年代生まれの一世代下の作曲家です。この世代以降は、東京音楽学校に作曲学科も設立され、専門的な作曲教育が施されます。(ちなみに山田は声楽科卒業、本居、中山はピアノ科を卒業。)
弘田は1914年にまず東京音楽学校のピアノ科を卒業します。その後、学校に残り助手を務めます。そして1917年に作曲部が新設されるやいなや再入学を果たします。卒業後、1928年には文部省在外研究生としてドイツに留学、ベルリン大学で作曲とピアノを学びます。そして帰国後、満を持して母校・東京音楽学校で教授に就任しますが、なんと在職わずか2か月で退職してしまいます。(何があったか気になるところです。)以降、アカデミズムとは距離をとり在野での作曲活動に専念します。
弘田は特に童謡の作曲で特に名が知られています。1918年に児童雑誌「赤い鳥」が刊行され、童話・童謡運動が活発になると弘田も参加し、多くの作品を残します。1923年児童雑誌「金の鳥」で発表された上記の「春よ来い」は弘田の代表曲の一つと言えるでしょう。弘田の童謡はペンタトニックで作られることが多く、この曲も5音階ならではの素朴さがとても印象に残ります。
今月の一冊 斎藤孝著 『自然体のつくり方』
斎藤孝/太郎次郎社/ISBN(13)978-4811806624
「自然体」、漠然としたイメージは思い浮かびますが、実際にはどのような状態か?分かるようよく分かりません。
この本は、身体技法として「自然体」を身につけるための具体的で分かり易い手引きと言えます。
著者は「声に出して読みたい日本語」でおなじみの斎藤孝氏、先々週の「2分間丹田呼吸法」もこの本より引用しました。ピアノを弾くにもやはり身体は大切。出来るだけ良い状態にしていきたいものです。
ぷりま音楽歳時記 18.嬰ト短調
マスクのおかげ 口呼吸から鼻呼吸へ
マスクがすっかり身体の一部のようになってしまいました。当初は常に息苦しく感じていましたが呼吸の方法を見直し、「口呼吸」から「鼻呼吸」へと私自身変えました。するとマスクでの息苦しさもなくなり、肩こりなどの小さな不調も解消されたように感じます。
さて鼻の中はフィルターで、ウイルスや菌を直接吸い込むのを防ぐそうです。しかも断熱効果もあり適温で身体に空気を取り込む大変な優れものだそう。https://www.taikyo.co.jp/memo/vol17/
ですから鼻呼吸はいいことずくめ。ですが私は習得するまでかなりてこずりました。特に鼻から吐くのに苦労しました。ちなみに吐く時は副交感神経が働きリラックスするそう。だから出来るだけ時間をかけて息を吐きたい。息の出口が口ならば、すぼめる等、息の量を楽に調整できますが、鼻ではそうはいきません。そこで私がまず取り組んだのが「2分間丹田呼吸法」です。やり方は3秒鼻から吸い、2秒止め、15秒かけて少しずつ口から吐きます。これを6回繰り返すとちょうど2分になります。(斉藤孝著「自然体の作り方」を参照にしました。)ポイントは吐く時に下っ腹(丹田)を触ることです。途中で吐く息が不足しても、下っ腹を軽く押すと更に吐き出せます。この丹田で息を押し出す感じが分かったので、吐き出す息を口から鼻に置き換える時も楽にできました。そして私はようやく鼻呼吸ができるようになったのです。
これはあくまでも私の個人的な経験談ですが、一応書き残しておきます。鼻呼吸もいろいろなアプローチがあると思いますが、以下の「鼻だけ腹式呼吸」も参考にされるとよいかもしれません。
なおこの鼻呼吸への見直しが、ピアノを弾く時にも大い役立ったのですが、それについてはまた来月。
黒鍵ペンタトニック 「青い眼の人形」
「青い眼の人形」(本居長世 作曲)
劇作家、島村抱月の書生との二足の草鞋で、東京音楽学校で学んだ中山晋平。当然その生活は楽ではなく、ピアノ科に進んだもののピアノは所持していませんでした。
その晋平に助け舟を出したのが、先輩で東京音楽学校の教員になったばかりの兄貴分、本居長世(1885~1945)でした。長世は自身が所有する古くなったピアノを安価で晋平に譲渡すると言うのです。さっそく晋平は郷里の兄に手紙で相談します。が、やはり大金であったためその時は断念せざるを得ませんでした。
本居長世は、国学者、本居宣長に連なり、祖父もまた国学者でした。国学者になってもらいたい祖父の期待に反し、長世は音楽家への道を進みます。当初はピアニストを目指しますが、脳溢血の後遺症で断念。以降作曲家として活躍します。「七つの子」「赤い靴」「十五夜お月さん」等、数多くの童謡の名曲も残します。長世の曲のメロディは半音進行を用いることで、色彩感を出すのが特徴なので、ペンタトニック(5音階)だけで書かれた曲はあまりありません。
ですが、「青い眼の人形」の主要部はペンタトニック(5音階)で作られているので、今回紹介いたします。(曲の中間部で転調し、曲調が大きく変化してしまいますので、その触りだけ。)
なお長世の東京音楽学校の主要な教え子には、中山晋平はもちろん、弘田龍太郎も含まれます。
(1921年ニッポノホン 歌うのは長世の長女みどり、ピアノ伴奏は作曲者である長世本人)
今月の一冊 岡田暁生著 『音楽の危機《第九》が歌えなくなった日』
岡田暁生/中央公論新社/ISBN(13)978-4121026064
コロナになって音楽も否応なしに、その形態を考えざるをえない事態は続いています。今もって何が正解かも分からず、まだまだ手探り状態が続いているといえます。
そんなコロナ禍中に、この本は音楽書の刊行ラッシュの口火を切ったとも言えます。内容についての是非は様々考える余地があると思います。ですが私にとっては今後の音楽を考えるのに充分な問題提起となりました。
特に第3章の「録楽」という概念にはとても興味がひかれました。
ぷりま音楽歳時記 17.嬰ハ短調
<嬰ハ短調>
嬰ハ短調は♯が4つ。平行調が全調の中でも特に明るいホ長調なので、その対比として、特にピアノではよく用いられる人気の調です。
<嬰ハ短調の曲>
ピアノソナタ第14番「月光」Op.27-2 第1楽章(ベートーヴェン)
明るさの象徴である「太陽」の対比としてふさわしいのが、まさに「月光」。ドイツの詩人かつ音楽評論家であったルートヴィヒ・レルシュタープは見事この曲にふさわしい愛称をつけたと思います。今回紹介するのは、1991年に録音されたポリーニの演奏。クールな魅力が特に光る演奏だと思います。
コロナ禍の今、音楽書が熱い
コロナ禍以降、すっかり家にいる時間も長くなり、いつも以上に私の読書熱が高まっています。その熱のせいかもしれませんが、コロナ騒動になってから、興味深い音楽書が次から次へと出版されているように思えてなりません。もちろんこの時期を狙ったわけでなく、執筆・編集と長い準備期間を経て、ようやく出版されたのが偶然この時期に重なった本も多いでしょう。ですが近年稀にみる音楽書の出版ラッシュは嬉しい限りで、私の読書はまるで追いつきません。
ここで思い出されるのが、欧州復興開発銀行の初代総裁を務めたフランスの経済学者で思想家のジャック・アタリです。アタリは芸術にも大変深い造形を持ち、その著作の中で、
音楽は予言である。そのスタイルとその経済組織のなかで、音楽は社会の残余のものに先んずる。
-「ノイズ 音楽/貨幣/雑音」(15頁)-
と述べています。この出版ラッシュもきっと著者各々が無意識にこの現況を予知し出版時期を合わせたのではないかと勝手に想像の翼を広げています。
さて社会情勢が芳しくないと、芸術文化は衰えていくと一見思われがちですが、むしろ華開くこともあります。例えば、ショパンが活躍した19世紀前半のフランス。煌びやかなロマン主義の音楽が思い浮かびますが、当時は市民革命の激動期であり、社会情勢はロマンティックとは程遠かったといえます。現在も時代の激動期で転換点。こんなシビアな状況には音楽などの芸術による豊かな創造力が人々には必要不可欠に思えてなりません。
黒鍵ペンタトニック 「砂山」(中山晋平)
「砂山」(中山晋平)
文学か音楽かでその進路を悩んでいた中山晋平が、東京音楽学校に進学して何をしたかったのか?
郷里の兄への手紙にその一端が垣間見えます。「小生はピアノや唱歌がアマリ上等の口ではなけれど幾分文学的の素養があるため来年から特に技術部の外に楽歌部といふ主に作歌作曲の科を置いて貰へることに略交渉がまとまりかけて候」。晋平のいう「作歌作曲」とは高尚な芸術音楽ではなく人々が口ずさめる歌を作ることを指します。若き晋平には新たな分野を開拓すべく学校に交渉するまでの強い情熱がありました。(残念ながらこの交渉は失敗に終わりますが…)
卒業後、流行歌の若手作曲家として一躍台頭した晋平は、学生時代のその思いを実現に移していきます。折しも児童文学の機運も高まり、1918年に雑誌「赤い鳥」が創刊。従来の「唱歌」とは異なる新たな「童謡」が誕生します。晋平も1919年までには本格的に童謡の作曲に携わります。そして数々の名作を残すことになります。今回はその中で1922年に作曲した「砂山」を紹介します。この曲は晋平がお得意の5音階(ペンタトニック)で作られていますので黒鍵だけで演奏できます。なお作詞は北原白秋。同じ詩に山田耕筰も曲をつけているのは大変興味深いところです。
中山晋平の「砂山」(歌唱は渥美清)
山田耕筰の「砂山」(歌唱は同じく渥美清)
今月の一冊 市川宇一郎著 『リズムに強くなるための全ノウハウ』
市川宇一郎著/ドレミ楽譜出版社/ISBN(13)978-4285150490
「私はリズム感がないので」と嘆かれる方が多いです。ですがリズム感自体は誰にも備わっています。問題はピアノなどの西洋音楽のリズムと日本人が古来より育んできたものとが大きく異なることです。
この本は、まず序章で「日本人のリズム的特徴」を理解してから、西洋的なリズム感を知り、実践的なトレーニングへと進んでいきます。
初版より四半世紀以上経ち、出版社の変更もありますが版を重ねてきた隠れたベストセラーです。
ぷりま音楽歳時記 16.嬰へ短調
コロナ禍での新習慣
さてコロナ禍になって、接触感染対策の一環として、私はレッスンでの楽譜への書き込みをやめました。
その代わりに始めたのが、皆さんのレッスン曲の楽譜を予めスキャンしてiPadに取り込み、タッチペンで画面上にする書き込みです。その書き込みをレッスンの終了時にプリントアウトして皆さんにお渡ししています。(自分でプリント出来る環境がある方にはメールでデータを送っています。)
かれこれ2年以上続けてきましたが、コロナが収束した後もこの方法を継続しようと思っています。
その理由の第一は、レッスンの記録がしっかりと手元に残るからです。従来の直接書き込みだとレッスンを受けた皆さんには記録が残りますが、私の手元には残りません。ですから、次のレッスンでは、前回のレッスンで何をやったかを思い出すことから始めなければなりませんでした。ところが記録が手元に残っていれば、その作業は不要。前回からの引継ぎがスムースにできます。
理由の第二が皆さんの楽譜を汚さずに済むからです。やはり自己所有ではない楽譜に私の汚い字で書き込みをするのは、どこか抵抗がありました。ですが、今ではのびのびと遠慮なくタッチペンで自由に書き込みができ、私の精神衛生上とても良いのです。
我ながら面倒かつ回りくどい方法だと思いますが、今後もどうぞお付き合い頂ければ幸いです。