ぷりま音楽歳時記 8 .変二長調
<変二長調>
変二長調の調号は♭が5つ。この調もすべての黒鍵を用います。やはりピアノ曲に特有の調ともいえます。淡い幻想的な色合いを感じさせます。
<変二長調の曲>
月の光(ドビュッシー)
この調の魅力を余すところなく引き出しているこの曲。淡い月明かりを連想させられます。今回紹介するのは、「ウィーン三羽烏」の一人として名高いピアニスト、イェルク・デームスによる演奏です。デームスは、声楽家フィッシャー・ディスカウのピアノ伴奏でも活躍しました。
<変二長調>
変二長調の調号は♭が5つ。この調もすべての黒鍵を用います。やはりピアノ曲に特有の調ともいえます。淡い幻想的な色合いを感じさせます。
<変二長調の曲>
月の光(ドビュッシー)
この調の魅力を余すところなく引き出しているこの曲。淡い月明かりを連想させられます。今回紹介するのは、「ウィーン三羽烏」の一人として名高いピアニスト、イェルク・デームスによる演奏です。デームスは、声楽家フィッシャー・ディスカウのピアノ伴奏でも活躍しました。
以下「おたより」2020年5月号(第8号)の内容を掲載いたします。
さて、日本に洋楽が本格的に入ってきたのは、ペリーが来航した江戸時代の末期になりますが、実は16世紀の戦国時代にはスペイン人によるキリスト教と同時にその音楽も伝来しました。一時は国内でグレゴリオ聖歌の楽譜を印刷したり、オルガンを作ったり、洋楽を受け入れる機運は高まっていました。ところが江戸時代に入るとキリスト教は幕府に禁じられ、弾圧を受け、せっかく日本に芽生え始めた洋楽の文化も摘み取られてしまいます。(弾圧の様子は、遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙-サイレンス―」でも描かれているのでご存じの方も多いでしょう。)
ところが、その粛清の嵐の中、長崎県の生月島では、隠れキリシタンによりひっそり細々とその芽が育まれていました。それがオラショ(祈り)という聖歌です。伝来時の原形は崩れ、すっかり土着化してしまいましたが、現在に生き残っているのです。
ここに私は音楽文化の強さを感じるのです。一見何の役にも立ちそうもなく、ひ弱に見えるのですが、どんなに踏みつぶされても生き残るしぶとい強さが音楽にはあると思うのです。
ローリングストーンズは歌います、「
「アメイジング・グレイス」
ペンタトニック(5音階)によるメロディは何も日本の童謡・唱歌だけに限られません。前回アメリカ民謡の「メリーさんの羊」を取り上げたように、様々な人種が集まるアメリカでも好まれます。今回よりしばらくアメリカの曲でペンタトニックを用いている例をみていきたいと思います。
まずは、カール・パーキンスが歌うロックンロール・ナンバーの「ブルー・スエード・シューズ」(1956年)はペンタトニックのメロディです。
この曲はビルボードのカントリーチャートで第1位、R&Bチャートで第3位を獲得します。白人に人気のカントリーと黒人に人気のR&B、共にチャートインしたのは、当時はとても珍しいことでした。そしてこの曲はエルヴィス・プレスリーにもカバーされ、さらに認知度を上げて異なる文化の融合音楽である、ロックンロールのスタンダードナンバーになります。
さて今回紹介する「アメイジング・グレイス」ですがこの曲もまた異なる文化が融合した結晶と言えます。1772年、イギリスの牧師J.ニュートンにより作詞されます。黒人奴隷貿易に手を染めた彼の後悔が歌われています。作曲者は不詳で、アイルランドかスコットランドの民謡を基にしたという説、またはアメリカ南部の黒人労働者の歌を基にしたという説もあります。
ペンタトニックはこのように異なる文化背景の音楽が混ざり合うときに、触媒のような役割を果たすのかもしれません。
(バーバラ・コナブル著/誠信書房/ISBN(13)978-4414402803)
日常生活では、つい無意識に体を当たり前のように使っています。ところが楽器を演奏してみると、いかに普段の生活で使っていない体の部位があるかを思い知らされます。知っているようで意外に知らない自分の体、まさに「灯台下暗し」といったところです。この本では演奏時に、どのように体を使うかをイラスト付きで、分かりやすく説明しています。(翻訳書なので日本で少し分かりにくいところがあるのは仕方ありませんが…)
<変ト長調>
変ト長調の調号は♭が6つ。この調を得意とするのがピアノです。他の楽器では、鳴らしにくい調なので、ピアノ特有の調と言えるでしょう。
<変ト長調の曲>
黒鍵のエチュード Op.10-5/ショパン
1923年録音
1933年録音
1942年録音
この曲は1か所を除き、右手全部を黒鍵だけで弾くので、この俗称が用いられています。今回紹介するのは、アルフレッド・コルトーの演奏による歴史的録音。1923年、1933年、1942年に録音したものを聴き比べてみましょう。ハイレゾな現代では考えられない、19世紀的なロマンティックでおおらかな演奏がとても魅力的です。
以下当時のことを忘れないように、「おたより」2020年4月号(第7号)の内容を掲載いたします。
新年度が始まりました。とはいえ、新型コロナウィルスの影響で年度末に予定していた発表会も延期するなど、例年とは異なる心持ちで臨むことになりました。今回の事では社会全体に多大な影響がありますが、対面コミュニケーションを基本とする音楽にとっても事態は深刻です。ライブ・コンサートそしてレッスンも。状況も日毎に悪化し、どうなるか見通しも立ちませんが、このまま長期に及ぶとなると…。正直、想像を絶します。
つい、戦前の物理学者で随筆家の寺田寅彦の言葉が思い出されました。1935年の浅間山の噴火騒動を眼前に、寺田は「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたり、政党にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」と書き記しています。(寺田は理学博士号を「尺八の音響学的研究」という論文で取得するほど、音楽にも造詣の深い人物でした。)
近年、人知の及ばぬ自然災害に悩まされ続けています。今回のような事態は、今後もきっと起こるでしょう。そこで「正当にこわがる」ことは、そう容易ではありません。この緊急事態で教室を一時閉校し、自粛要請を受け入れるのも、その一環と考えております。
自然への畏敬を抱きつつも、ただ立ちつくすのではなく、再開後の次なる展開に希望の火を灯したいと思っています。先人が築き上げてきた豊かな音楽文化。そこに末席ながら連なる私に出来ることは些末ですが、細々でも引き継ぎ貢献できるよう、努めていきたいと思います。
(2020年4月第7号)
「メリーさんの羊」
「黒鍵4鍵で弾ける」シリーズも第5弾、ひとまず今号でひと段落。これまでは邦楽ばかりでしたが、最後は洋楽で締めくくります。
この「メリーさんの羊」は、英語の童謡、マザーグースの一種で、1830年、サラ・ジョセファ・ヘイルのオリジナル詩として発行されました。
実はこの曲、蓄音機と深い関りがあります。1877年、エジソンが蓄音機を発明したときのこと。録音の実験をするためにエジソン自身が蓄音機に向かって吹き込んだのが、なんと「メリーさんの羊」の歌詞だったのです。実験に成功したエジソンも「私の人生で、これほどびっくりしたことはない」というほどの驚きようだったそうです。最初の録音機は、パラフィン紙に溝を刻む仕組みで大変もろく、再生のため一度針を乗せただけで溝がつぶれてしまったそうです。ですから残念ながら記念すべき最初の録音は残っておりません。
ですが、1927年、発明50年を記念して、エジソンが発明当時を再現した録音は、現在も聴くことができます。
なお日本語詞は、1927年に高田三九三により訳されたものが有名で、1952年、NHKラジオ「うたのおばさん」で紹介され、一躍有名になります。
(H・グッドール著/白水社/ISBN(13) 978-4560081136)
今回紹介するのは、5つの発明(楽譜・オペラ・平均律・ピアノ・録音技術)を基点に西洋音楽の歴史を眺めるとてもユニークな視点の本。著者が5大発明の中にピアノをチョイスしてくれたのは、本当にうれしい限りです。第4章ではピアノ史を、楽器が誕生した約300年前から古典派・ロマン派・近現代・ジャズといった具合に概観できるのでお勧めです。黒鍵ペンタトニックで記した「メリーさんの羊」のエピソードもこの本で知りました。
2020年の2月下旬から、すっかり新型コロナウイルスの猛威が世の中を覆ってしまいました。外出することもままならぬこの事態は、やはり2011年の原発事故を想起させられ、目に見えぬ恐怖をまざまざと思い知らされます。
ただ、これはあくまでも私感ですが、2011年時に比べ今回は世の中の空気がやや殺伐としているようにも感じられます。デマの流布のせいで紙製品が商店から姿を消すなど、軽くパニック状態に陥っているようにも思います。やはり不安や恐怖が人心に悪影響を与えるのは致し方ない面もありますが、極力、冷静にこの事態に向き合いたいものです。
そこで音楽です。目に見えぬ恐怖には、目に見えぬ安らぎとなる音楽で対抗しましょう。自分の好きな曲を聴いて気分を上げても良いですし、ピアノを弾くのに没頭して嫌なことを忘れるのも良いと思います。
音楽は薬のように直接的な効能はありませんが、病を防ぐ免疫力を高く保つには、大いに役立つように思います。うがい・手洗い・不要不急の外出を控えるのはもちろん、免疫力を上げて自己防衛に心がけることが何より大切だと思います。
私もいつも以上に音楽を聴き、ピアノを弾き、心が元気であるようにつとめています。教室に通ってきている皆さんもぜひ、音楽を活用して共に元気にこの事態を乗りきっていきましょう。
※予定していた原稿を急遽さしかえました。いつも以上の乱筆乱文ご容赦ください。)
(2020年3月第6号)
「てるてる坊主」(中山晋平)
黒鍵4音で弾けるわらべうたの第4弾です。
2019年のレコード大賞曲は、「パプリカ」でしたが、実はこの曲はペンタトニック(5音階)をベースにメロディが作られています。(曲中にはもちろん、一般的な7音階を使っている所もあるので、そう単純な曲ではありませんが…)
作者の米津玄師が作る他の曲も含め、ここ数年のヒット曲の多くにペンタトニックが用いられる傾向があると思います。
そのペンタトニックで流行歌を作曲する元祖が今回紹介する中山晋平です。1912年(明治45年)に東京音楽学校本科ピアノ科を卒業。島村抱月が旗揚げした劇団「芸術座」に参加し、1914年(大正3年)に作曲した劇中歌「カチューシャ」が大当たりして一躍、流行作曲家として有名になります。
中山晋平は本当に多くの曲をペンタトニックで作曲していますのでこのコーナーで取り上げることも多くなります。その都度、エピソードを少しずつ紹介していこうと思います。
さて、「てるてる坊主」ですが、この曲は1921年(大正10年)に「少女の友」にて発表されました。当初の3番の歌詞は、童謡らしからぬ過激な詩の内容のため、後に削除されました。
(上月正博・酒井博美著/風間書房/ISBN(13) 978-4759922899)
第3号で「ながら聞き」をおすすめしましたが、この本はまさしく日常生活の中へ上手に音楽を取り入れ、豊かに暮らす術が紹介されています。ストレス解消・安眠・認知症予防など、東北大学大学院医学系研究科の先生方によって書かれたものです。付録には音楽CDがついていて、演奏は私の師匠である角聖子先生が担当しています。最近はCD付きの音楽書も増えてきて、読んで良し、聴いて良し、楽しみが倍増します。
<ホ長調>
ホ長調の調号は#が4つ。明るい調ですが、昼間の明るさではなく朝夕の陽ざしを感じさせるように思います。
<ホ長調の曲>
別れの曲 op.10-3/ショパン
この曲の原題は「練習曲 作品10 第3番」とシンプルなものなのですが、この曲を使用したドイツ映画の邦題「別れの曲」(1934年)がそのままこの曲の愛称に。今回はこの映画で演奏を担当したエミール・フォン・ザウアー(なんとかのリストの直弟子)の録音を紹介します。
街にあったCD・レコード店はすっかり姿を消してしまいました。そしてCDプレーヤーで音楽を聴く機会もかなり減ってきたように思います。平成の終わりと共に、CDというメディアも一定の役割を終えたのかもしれません。
とはいえ、音楽そのものはなくなりません。今はインターネットを介して音楽を聴くことが多くなりました。YouTubeやApple MusicやSpotifyなどのサブスクリプション(定額聴き放題)で聴くことが多くなりました。インターネット上には、古今東西あらゆる音楽に溢れ、しかも無料・廉価であげく聴き放題です。かつて限りあるお小遣いを大量のCDで散財してきた私にとって、この状況は痛し痒しですが、本当に夢のような時代になったものだと感心しきりです。
おかげで私の音楽に対する好奇心が一層強くなりました。今までなら、その興味の範囲は自分の知力・財力の限りでしたが、その壁が取り払われ、一気に音楽の世界が広がりました。これまでなら多少興味があっても敬遠していたジャンルの音楽も、今では躊躇なく飛び込めるようになりました。やはり未知なる音楽に出会う刺激は、大きなエネルギーになり、生活が豊かに潤ってきたように感じます。
このように大変便利なのですが、少し心配もあります。インターネットの大海では、どんな音楽も並列されてしまうことです。あるところ、玉石混交の世界とも言えます。ですから、その大海で自由に泳ぐにも、ちょっとした予備知識や整理能力を備えるなどの一工夫が大切かもしれません。
(2020年2月第5号)
「あんたがたどこさ」
黒鍵4鍵で弾けるわらべうたの第三弾です。
「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ…」と歌詞にある通り、この曲は一般的には熊本県の手鞠歌として知られています。ところがこれには異説もあります。
続く歌詞、「せんばさ、せんば山には…」が問題になります。熊本城下には「船場(せんば)」という地名はあるが「船場山(せんば山)」はない。そこでにわかに注目を集めたのが、埼玉の川越です。川越には仙波山(せんば山)があり、そこにある仙波東照宮では「古狸」と知られる徳川家康が祀られている。そして幕末の戊辰戦争の時に、仙波山に隣接する川越城に駐留した肥後藩の官軍兵と、交流した近所の子供たちとの問答が歌詞になったのだという説が湧き上がりました。口伝で広まる「わらべうた」には、この様に諸説入り乱れることもあり、なかなか興味深いところです。
NHKのTV番組「ブラタモリ」では、熊本城の周りにお堀を作った時に生じた大量が、堀伝いに土塁として築かれ、それを「船場山(せんば山)」と呼んだという説が紹介されました。残念ながら、現在はその「船場山」は残っていないそうです。どうやらこの説の信憑性が高いようにも思いますが、はたして真偽のほどはいかに?
この本は「ピアノはいつピアノになったか?」という全8回のレクチャーコンサートを基に、補筆され書籍化したもの。毎回講師が異なり、おおよそ時代毎に現在とは構造が異なる当時の楽器を取り上げ、300年に及ぶピアノの歴史が紐解かれていきます。特に第5講の「ショパンとオペラ」は大変興味深い観点から切り込んでいるように思います。何より嬉しいのは、CDが付録され歴史的なピアノの音を聴けることです。
<イ長調>
イ長調の調号は#が3つ。全ての調の中で最も明るい色彩を感じます。弦楽器、A管クラリネットが演奏を得意とする調でもあります。
<イ長調の曲>
ピアノ協奏曲第23番 K.488/モーツァルト
この曲の第1&3楽章がイ長調です。今回紹介するのは、ピアノがルドルフ・ゼルキン、指揮がクラウディオ・アバドによるロンドン交響楽団による演奏。ちなみにゼルキン氏は私の師匠の師匠の師匠にあたります。とてつもなく遠縁ですが、そのピアノの音色に不思議と親しみを感じてしまいます。ロンドン交響楽団の華やかで軽やかな響きが大変心地よいです。
さて、唐突ではありますが、私は直接的な言語コミュニケーションがあまり得意ではありません。特に昨今のSNSのように即時性を求められるものは特に苦手です。言葉では、ある特定の現象をクリアに切りとれるかわりに、その周囲にある微妙なニュアンスは切り捨てられてしまうのではないか?とつい考えてしまいます。ですから、自分の心象にぴったりと合った言葉を見つけるまでが大変で、そこに至るまでどうにも変なストレスをためてしまいます。(私自身のボキャブラリーが豊富になれば済む話ですが…)
言語に比べ音楽は、その点輪郭がとてもソフトで包容力あるのが魅力だと思います。ピアノ等の器楽の場合、自分の感じたままそのままを遠慮なくぶつけてもいい安心感があります。そして音楽コミュニケーションでは、送り手&受け手共にどのように感じとってもいい自由があり、私はそこが気に入っています。ただし輪郭が曖昧さから音楽は明確に事象を伝えるには不向きで、もし待ち合わせの場所や時刻等細々したことを音楽で伝えようとすれば、きっと酷い誤解を生むことでしょう。
インターネットが発達して、すっかり言葉が優位な世の中になってしまったように感じます。言葉にできない微妙な心象が汲み取りにくくなったせいか、社会全体がどうにもギクシャクしてしまっている気がします。こんな今こそ音楽コミュニケーションにおける自由な「美しき誤解」が大切になってくると思います。
(2020年1月第4号)
「ほたるこい」
前回に引き続いて、今回も4つの音、しかも全て黒鍵(下からミ♭・ソ♭・ラ♭・シ♭)で弾けるわらべうたを紹介します。その第二弾は「ほたるこい」です。
この曲は、おおよそどの楽譜でも、「わらべうた」とのみ表記されていて、作者不詳の曲として扱われています。ところが鳥取県の公式サイト及び鳥取県の商工会議所のホームページでは、三上留吉(1897~1962)なる人物が作者として紹介されています。この2つのサイトを要約すると、三上氏のプロフィールは以下になります。
鳥取師範附属小学校に教員として勤務する傍ら、大日本少年団(ボーイスカウト)のリーダーとして活動し、多くの野外ソング、ゲームソングなどを作曲しました。昭和初期からは、鳥取県内の民謡や小唄の作曲・採譜を活発に行い、昭和8年(1933年)に「ほたるこい」が、日本音楽協会編纂の「児童唱歌」の1曲として採択されました。
この三上版の譜面が全国に広まり、上記のメロディが今日のスタンダードになったようです。前回の「かごめかごめ」もそうですが、わらべうたの伝播における小学校教員の大いなる貢献をうかがい知ることができます。
(岡田暁生著/中央公論新社/ISBN(13) 978-4121018168)
西洋音楽史の入門におすすめの一冊です。特定の時代に偏り過ぎることもなく、出来るだけコンパクトに平易な言葉で書かれている良書です。私が気に入っているのは著書の歴史観。最終章で「ポピュラー音楽の多くが、19世紀のロマン派音楽をそのまま踏襲している」という指摘は、実に的確だと思っています。さて著者は2013年から放送大学のラジオ講座で音楽史の授業を担当しておりました。ラジオ講座では、授業に沿って実際の音楽が聴けたのもとても良かったです。
<ニ長調>
ニ長調は、#が2つ。とても明るい調になります。明るさの中に、祝典的な厳かな雰囲気もあるように思います。
<ニ長調の曲>
皆さんご存じのこの曲はピアノ用にもよくアレンジされます。この曲の原題は「三声のカノンとジグ」といい、ヴァイオリン3挺と通奏低音(チェンバロやヴィオラ・ダ・ガンバなどの低音楽器)のために作曲されました。今回紹介する演奏は、パイヤール室内管弦楽団による演奏です。ゆったりとリラックスして聴くのにちょうどいいテンポのように思います。
ここ最近、情報収集で俄然、使用頻度が上がってきたのが、レトロともいえるラジオです。
ラジオの最大の魅力は「ながら作業」が出来ることです。散歩しながら、風呂に入りながら、家事をしながら、などなど。主なる作業の妨げになることも少なく、同時に情報収集も出来るので大変重宝しております。
視覚重視のテレビだとどうしても主作業の手を休めて画面に集中しなければならないので、やはり「ながら作業」は難しくなります。
視覚の場合、焦点をきちんと合わせないと対象が見にくいの比べ、聴覚の場合は、焦点がかなり甘いので、一点に集中せずとも対象を聞きとることができます。聴覚のこの性質のおかげで「ながら作業」が出来るのだと思います。
聴覚の芸術、音楽に接する時におすすめなのが「ながら聞き」です。最近はスマートフォンをはじめ、イヤホン、携帯用のスピーカーなど音楽を手軽に聞ける環境が整ってきました。ですから積極的に生活の様々なシーンで「ながら聞き」を取り入れてみてはいかがでしょうか?例えば、気持ちが落ちこんでいる時には、元気で明るい音楽を、怒りで荒ぶるとき時は、穏やかな癒しの音楽をといった具合に。昨今の不安定な気候や世情の中で、せめてメンタルだけでもなんとかバランスを保っていきたいものです。
最後に、音楽は「ながら」で無意識に侵入してきますので、「洗脳」や「集団統制」に活用される恐れもあるのでどうぞご注意を。日常何気なく耳にするBGMも、時には注意深く耳を澄ませると、普段とは違って聴こえてくるかもしれません。
(2019年12月第3号)
「かごめかごめ」
私達に耳なじみのある「わらべうた」の中には、シンプルに4つの音からなるものがあります。世界を見渡せば、例えば、エスキモーの歌にはわずか2つの音からなるメロディもあるそうなので驚きです。
さて、これから数回に渡り、4つの音、しかも全て黒鍵(下からミ♭、ソ♭、ラ♭、シ♭)で弾くことのできるわらべうたを紹介します。その第一弾は「かごめかごめ」です。
この曲の「かごめかごめ、かごのなかの鳥は…」の歌詞自体は19世紀初頭のいくつかの文献に残されています。ただ楽譜が残っているわけではないのでその歌い方は地域によって異なっていたと考えられています。
現在よく知られている上記のメロディは、小学校の教員で、作曲家でもあった山中直治(1906~1937)が自身の地元、現在の千葉県野田市山崎あたりで、子どもたちが歌っているのを聴きとり採譜したものです。その譜面が全国に広がり現在に至ります。
ですから野田市はこの曲の発祥地とされ、東武アーバンパークライン、清水公園駅の前には「かごめの唄の碑」が建立されています。
(吉松隆著/ヤマハミュージックメディア/ISBN(13) 978-4636909302)
当ブログのコーナー「ぷりま音楽歳時記」のアイディアの元になったのがこの本です。「調性」(西洋音楽の音階の体系)はなかなか理解しにくいところです。楽典を読んでも分かるようで分からない…。この本では様々な角度から「調性」についてアプローチしていて、説明もかゆいところに手が届くような非常に親切な本です。私が特に興味を持ったのが、第2章の「楽器からみた調性」です。楽器によって、得手不得手な調があるという視点は、まさに目から鱗でした。
<ト長調>
ト長調は、#が1つ。明るいトーンで健康的な印象があります。弦楽器が鳴らしやすいのも特徴です。
<ト長調の曲>
ゴールドベルク変奏曲/J.S.バッハ
バッハの弟子、鍵盤楽器奏者のゴールドベルクが不眠症で悩む貴族のために演奏したという逸話から、この曲の愛称に。
紹介するのは、この曲を一躍人気曲にした立役者グレン・グールドの演奏。グールドはこの曲をデビュー時にモノラルで、晩年近くにステレオで、二度、スタジオ録音をしています。今回は2度目の録音時に平行して記録された映像を紹介します。(6:20位から演奏が始まります。)
今回は音楽から少し逸れた話から。私が高校生の時に強烈なインパクトを受けたのが、駿台予備校の名物講師であった奥井潔先生の英文読解の授業です。(短期講習のわずか数日間ではありますが。)
課題は数行の短い英文で、表面的な直訳や文法、単語についての解説だけであれば、授業はわずか数分で済むはずです。ですが、奥井先生の講義はそこでとどまりません。英語特有の表現をいかに的確な日本語表現に置き換えるか?となると、もはや英語ではなく、国語の講義へと化していきます。また、課題英文は名文ばかりなので、その歴史的背景について解説がはじまれば、もはや英米文学史へと変貌していきます。わずかな英文から、縦横無尽にインテリジェンスのクモの巣を張りめぐらせる先生の講義は、多感な少年期の私には大変刺激的なものでした。
この経験は、その後の私の音楽の学び方に多大な影響を与えました。ピアノの場合、楽譜通りに運指ができてもそれではまだ道半ばです。曲を深く理解するには、やはり反復練習をして掘り下げる必要があります。ただ繰り返すだけではやはり飽きますので、この時の経験を活かし様々な角度から掘り進めるようにしています。例えば、楽曲分析をしてみたり、同じ作曲家の同時代の他の器楽作品を聞いたみたり、同時代の美術作品を鑑賞したりもします。
やはり行き詰る時もありますが、そこは諦めずにあの手この手を尽くしていくと、ある日突然、源泉を掘り当てます。まさに知の泉が湧きだす瞬間です。このブレイクスルーこそ、練習を続けてきた甲斐を感じる時でもあります。そしてその時に身に着けた技術は、どんな曲にも通用する普遍的な底力に繋がるように感じています。
(2019年11月第2号)
「蛍の光」
1789年(明治12年)に、文部省音楽取調掛が創設され、学校教育に西洋音楽が本格的に導入されます。
1884年(明治17年)に小学生用に編纂された「小学唱歌集」が音楽取調掛によって発行されます。全33曲が収録され、その中に「蛍の光」(当時のタイトルは「蛍」)もありました。他にも「見わたせば」(現在の「むすんでひらいて」)、「蝶々」、「君が代」などよく知られた曲も収録されていました。
当時、まだまだ国産のメロディは少なく、輸入したメロディに日本語の歌詞をのせることが一般的でした。今まで挙げた4曲でも「君が代」以外は外国曲になります。「蛍の光」はスコットランド民謡、「むすんでひらいて」はフランスのルソー作曲、「蝶々」はスペイン民謡といった具合です。
しかも当時の人々にとっては、西洋の「ドレミファソラシ」の7音階は難しく、もともと日本にあった音階に近い、4番目「ファ」と7番目「シ」を省略した「四七抜き音階」が重用されます。「蛍の光」は「四七抜き音階」を用いた最初期の唱歌であり、現在も卒業式や閉店時のBGMとして親しまれ続けています。
明治になり西洋音楽が本格的に導入されおおよそ150年。導入当時、人々は西洋の「ドレミファソラシ」の7音の音階にはなかなか馴染めませんでした。そこで従来の音楽との違和感ができるだけないように、2音を省いてできる5音の音階、ペンタトニックが重用されました。ペンタトニックは、唱歌や童謡はもちろん、演歌やポップスなどでも用いられ、現在まで広く愛用されています。
このコーナーでは、黒鍵の5音だけで構成される音階(四七抜き長音階、二六抜き短音階)を「黒鍵ペンタトニック」と呼び、毎月1曲楽譜とともにその曲にまつわるエピソードを紹介します。
もちろん楽譜のメロディは全て黒鍵で弾けます。伴奏には、どうぞお好みの黒鍵を即興でお使いください。
(芥川也寸志著/岩波新書(E57)/ISBN(13)978-4004140573)
この本は新旧入れ替わりが激しい新書にもかかわらず、初版の1971位年から、おおよそ半世紀も現役で売れ続けているベストセラー本です。著者は作曲家で、かの文豪、芥川龍之介の実子でもあります。言葉では説明しにくい音楽理論の基礎を分かりやすく、しかも作曲家としてのオリジナリティある視点からも描かれていて、とても面白く読み進められます。私は冒頭の「静寂」が特に好きな文章で、度々読みかえしています。
「今月の一冊」は毎月発行するおたよりの1コーナーです。
日々の限りあるレッスン時間では、どうしても演奏指導に追われてしまいます。ですが日々の練習に加え、幅広く音楽に触れることはとても大切だと思っています。このコーナーでは毎月、音楽に関係するおすすめの本や映画などを紹介していきます。日々のレッスンに少しでも彩りが添えられれば幸いです。